管
天蓋付きのクイーンサイズ・ベッドに身を横たえて就寝前の読書に耽っていたソヨンは、寝室のドアの辺りから漂ってきた気配に気付き、本を開いたままその気配のする方に顔を向けた。
「ん・・・どうしたの、ソナ? 何か御用?」
案の定、気配の主は妹のソナだった。
ソナは、開けっ放しにしていたドアの端から半分だけ顔を出し、こちらに視線を送っていた。姉に声を掛けられて、『ぴょこっ』と弾むように部屋の中に入ってきたかと思うと、「いいなぁ、お姉ちゃんの寝室。広いし、綺麗」
抑揚を欠いた声で姉に言った。
(うまく寝付けないのかな・・・?)
ソナの声は、強がっているのかはぐらかそうとしているのか、なんだか言いたいことを留保しているように姉には聞こえた。妹に与えたゲスト用の寝室だって、この主寝室ほどではないにしろ、豪華な造りになっていて、かなり広い。暖房等の設備も充実しているし、倭奴をふんだんに使ったベッドメイクも完璧のはずだ。
ひょっとして、一人で寂しかったの?とソヨンが尋ねるよりも早く、「もっと一緒にいようよ、お姉ちゃん」すがるようにソナが言った。
「旅行で変なテンションになっちゃってるのかな、私。ひとりでいると、そわそわしちゃって」
それから少し言いにくそうに付け加えた。「それとね、あのゲストルームに一人だと、ちょっと寂しいかも。。。」
妹が素直に『もっと一緒にいたい』とか『一人だと寂しい』とか言うのを聞いて、ソヨンは少し感心してしまった。
小さいころは何にせよ姉に負けるのが大嫌いで、自分の弱いところを見られるのを何よりも嫌っていた妹も、もう18歳―、精神的に成長したのだろう。
◆◆◆
プレイルーム[遊技場]でダーツ・ビリヤード・紙相撲・絨毯ロデオ・と4種類のゲームで遊んだあと、ソヨンとソナは、倭奴たちに後片付けを命じて、使用人たちを帰して自分たちも部屋を出た。
二人は、体に残る心地よい、適度な疲労感を癒すため、屋敷にあるラウンジで軽く飲み直すことにした。
倭奴を虐めて遊んでいる間は気付かなかったのだが、その興奮が引いていくと、自分が意外と疲れていることをソナは知った。しかしその疲労感は決して不快なものではなかった。疲労感はまるで薄い膜のようになめらかに、ソナの身体全体を、優しく包み込んでいた。
ラウンジで、ソナは先ほど『絨毯ロデオ』で見事に勝利を飾った77番倭奴への『ご褒美』を準備させた。
それから二人はラウンジを出て、別々にシャワーを浴び、それぞれの寝室に入ったのだった。
姉のベッドルームにソナがやってきたとき、時計は夜の10時半を指していた。確かに夜はまだ早い。特に旅先でテンションの上がっている若い女性にとっては、旅の疲れを差し引いても、こんな時間に就寝するのは勿体無かった。普段会えない姉と久方ぶりに一つ屋根の下にいるとなれば、なおのことだ。
ソナは、いかにも嬉しそうな軽快な足取りで―姉がまだ起きていて、自分の相手をしてくれそうな様子だったので、嬉しかったのだ―部屋の中をぐるぐる歩いて回った後、ソヨンの寝ているベッドの横にある椅子に腰掛けた。すぐ側にある大きな窓は半分カーテンが開いていて、屋敷の広い庭を眼下に見下ろすことができた。しかし今は真っ暗で、まばらに立つ外灯の淡い光が届く範囲しか窓から眺めることができなかった。
広大な庭の向こうには、粗末な倭奴小屋が建っているはずだったが、背が低くて窓もほとんどない倭奴小屋は、ソナの目には入らない。かろうじてぼんやりと建物の輪郭が見えるくらいだ。その建物は、番犬が住む小さな犬小屋と同様、この屋敷の御主人様[韓国人様]たちの安眠を静かに支えるように、何も言わずひっそりと、つつましやかに、ただそこに存在していた。消耗品と化した30余の奴隷たちの生命を内包しながら、それは冬の夜の闇の中に静かに沈黙していた。
「今日はずいぶん飲んじゃってたみたいだけど、大丈夫? 気持ち、悪くない?」
ぼおっとした様子のソナに、ベッドに横になったままソヨンが話し掛けた。ソヨンは、ラウンジで妹がマッコリをたらふく飲んでいたのを思い出して、ちょっと心配になっていたのだ。
「うーん。やっぱり私、けっこう飲んでたよね。けど、、、、」
夜の風に優しく頬を撫でさせながら、ソナは一瞬、言い淀んだ。ソヨンが、「なーに?」と言って促すと、ソナは続けた。
「確かに、途中ちょっと気持ち悪い時あったけど、その、、、ね。。。。その、、、ラウンジのトイレで『大きいほう』をしたら、スッと気分が良くなって、今はぜんぜん大丈夫かな」
そう言って、ソナは少しはにかんだ。「きたない話で、ごめんね」
「なーんだ、そんなことか」
ソヨンは妹の潔癖でうぶな内面を垣間見て、嬉しそうに微笑んだ。ソナは、トイレ関連の下[シモ]の話題を遠慮して、言い淀んだのだ。(やっぱり、まだ18歳だものね・・・まだまだ可愛いとこあるじゃん)
◆◆◆
「ねぇソナ、知ってる?」ソヨンがなおもベッドに身を横たえたまま、体をソナのほうに向き直すようにして話し出した。声がほんの少しだけ小さくなった。ソヨンが『ねぇ、知ってる?』で会話を始めるとき、そこには往々にして得意気な雰囲気が醸し出されたが、ソナは決してその雰囲気が嫌ではなかった。むしろ懐かしくさえあった。幼いころからの姉の口癖なのだ。ソナは身を乗り出してその話を聞いた。
「酔っ払っているときにトイレに行くのはすごく大事なことなのよ。特に『大きいほう』を出しちゃうことはね」ソヨンが言った。
「なぜかというと、人って、お酒で酔っ払っているというよりは、まだ体の中にある、アルコールの混ざった飲み物や食べ物の残骸で、酔っ払っているのよ」ソナは目をぱちくりとさせて、姉の話の続きを待った。
「喉や食道や胃って、意外とほとんどアルコールを吸収しないの。アルコールは、腸の、それもかなり後のほうで、時間をかけてゆっくり吸収されるのよ。つまり人は、お酒そのものというよりは、『かつてお酒だったものが一緒に食べたものやもともと体の中にあったものと混ざり合って、どんどん下に降りてきたもの』によって酔っ払ってるのよ。腸の中でね。腸の中で、そういうやつらがアルコール分をじわじわ滲み出すおかげで、ソナのからだは酔っ払っちゃうの」
ソナはベッドに寝転がったまま語る姉の話を聞いて、自分のからだが理科の教科書に載っている人体図のように透けている様を頭に思い浮かべてみた。それから、いま着ている服の下で、絶え間なく動き続けている体の組織たち―胃や腸といった消化器官たち―のことを考えた。自分が食べ、飲み、そして外に出したものたちのことを考えた。黙っている妹を見つめながら、ソヨンは話を続けた。
「一方で、人間のからだというのは、すごーく端折って言うと、ただの管なの。ゴム管なの。多少構造が入り組んでるけど、遠目で見たらゴム管と一緒なの」
「つまり上に入口があって、下に出口があって・・・」ソナが口を挟むと、姉は軽く頷いてその後を引き取った。
「・・・中は空洞で、入ったものはいつか必ず外に出るの。何らかのかたちでね。熱量やほかの物質に形を変えることがあったとしても。要は、ゴム管の内部にいる時間が長いか短いかの違いだけなの」
ソヨンは少し間を置き、右耳に垂れかかった髪をかき上げた。その優美な指の動きを見て、妹も無意識に姉のしぐさの真似をしてそっと自分の髪をかき上げた。ソヨンは続けた。
「それで、最初の話に戻るんだけど、人は、かんたんに言うとまだ自分の中にある自分のうんちで酔っ払っているんだから、それをなるべくすぐ外に出しちゃえば、酔いはスッと止まって、体が楽になるのよ」
ソナは、目の前のベッドに横たわっている大きな『ゴム管』―ソヨン―の方を見て、可笑しくなって微笑んだ。「やだ、お姉ちゃん。。。それ何の話? もぉー」
「・・・酔っ払っちゃったときの対処法、とりあえず出しちゃうこと。ソナも覚えておくといいよ」まじめな口調でそれだけ言うと、ソヨンも我慢できずに思わず吹き出し、声を出して笑った。それにつられて、ソナもまた笑った。「ラウンジで出しておいて、正解だったってわけね(笑)」




