蹂躙
裸でうつ伏せにされた上、2人の女神―ソヨンとソナ―の楽しみの為だけに、しっかり体重を掛けて四肢を踏み躙られる。欲求不満の解消の具[ネタ]として、体中を、隅々までくまなく鞭打たれる。
このゲーム『絨毯ロデオ』において、それが彼ら『絨毯』役の倭奴の、存在意義の全てであった。
たとえどれほど泣いても、喚いても、喉が潰れるほど声高に許しを請うても、出血しても骨を折られても、彼らは女神たちの足の下から開放されえなかった。
唯一、彼らが自らの力で解放される方法は、女神をその背中から振り落とすことであったが、このゲームにおいて、その可能性は極めて低いものだった。ソヨンもソナも、過去に何度かこのゲームで遊んだことがあったが、ゲームの途中で倭奴の背中から脚を踏み外してしまったことは、これまでに一度も無かった。
つまり、自分か、相手の倭奴が、動かなくなるまで延々と身体を踏まれ、鞭打たれ続ける―それが『絨毯』に指名された倭奴たちの、ほぼ例外の無い『ゴール』の姿だった。
「キャハハッ。いいじゃん。サーフィンみたい」
ソナはまずは鞭を使わずに、左手に握ったリードで巧みにバランスを取りながら、自らの両足の裏と倭奴の背中とを馴染ませるように、倭奴の上で小幅な体の動きを続けた。
足の動きは最小限に留めて、痛みにもだえる倭奴の動きを受け流すことを念頭に置いた。
51番の体はまさに波乗り板のように―あるいはゴムでできたバランスボールのように―、ソナの体躯に心地好い、適度な振動を与えこそすれ、決して彼女の想定を越えるような大きな衝動を彼女にもたらしはしなかった。その『適度な振動』の代償として、51番は、ジワジワと着実に自らの体力をすり潰していった。
一方、ソヨンは対照的に、序盤から大胆に77番の体力を削りにいった。
競馬にたとえるなら、先行逃げ切りの作戦だった。
ソヨンは、鞭を倭奴の臀部に思い切り振り下ろし、利き足である右足の爪先や踵で、77番の脇腹や腰を何度も踏み付け、蹴り付けた。ソヨンのプレイは、飛躍的に絨毯―77番―の身体にダメージを蓄積させていった。
◆◆◆
ところで、このゲームにおいて、『絨毯』が積極的に体を波打たせて、背中の上のプレイヤーを振り落とそうという『気概』を保持していられるのは、通例、開始からせいぜい3・40秒の間だけである。目一杯もったとしても、1分間が限界だろう。
だいたいそれくらいの時間を過ぎると、倭奴たちはもはや、神様[プレイヤー]を背中の上から落下させるという大それた、身の程知らずな野望は捨て去ってしまう。
背中の上の彼女らによる、技巧的な操縦術と、その体重によって、いとも簡単になけなしの体力を枯渇させてしまうのであった。
そしてその後、彼らは、『いかに「フォール」を先延ばしにするか』という、現実的な目標にシフトチェンジすることになる。
◆◆◆
(・・・だいぶ動きが大人しくなってきた。多分もう、私を振り落とすことなんて、諦めちゃったみたいね・・・)
おろしたての新品の靴の底から伝わる、足の下の倭奴の動きが、まるで潮が引くように減退していくのを感じながら、ソナはほくそえんだ。
(・・・ほんとに、憐れなチョッパリね。同情しちゃう(笑)。けど、、、まだ、まだ。。。ゲーム[お楽しみ]は、まだこれからよ。。。)
ソナは51番の臀部に、手にした鞭を思いっきり打ち据えた。そして、まるでトランポリンのバネを確かめる競技者のように、グッ・グッッと、身体全体で倭奴の背中に体重を掛けた。
足の下の倭奴は、もう殆ど動くことが出来なかった。『ぐぅええぇっ』と、獣のように醜い呻き声を上げるだけだった。苦痛のあまり目にはたくさんの涙を浮かべていた。
「あら? お隣さんもビシビシ鞭、入ってるみたい」ソヨンも足の下の『絨毯』に話し掛けてやった。
「ね、、、聞こえるでしょ。お隣さんの鞭の音。さぁ、こっちもどんどん行くよ♪」言って、鋭い鞭の一閃を倭奴の背中に叩き込んだ。
隣で楽しむ妹の鞭の音と、自分の鞭の音とが、混ざり合って聞こえてくる。
妹の鞭の音は派手で小気味よく、姉の鞭の音は、厚くて重みのある、倭奴の身体の芯まで応えるような、そんな音だった。
お互いが鳴らすそれぞれの音の調和[ハーモニー]を聞きながら、2人のテンションは否が応にも高まっていった。
2人が彼らを踏み躙る足にも、自然と力が入った。
◆◆◆
絶対的な上位者である2人の若い女性の、それぞれの遊具と化した2匹の倭奴にとっては、もはや彼女たちが履いている靴でさえも、畏敬と崇拝の対象であった。
ソヨンとソナという『本体』でなく、それよりも遥かに下位に位置する物体である『靴』そのものを畏れ敬うという、ある種異常な心理状態だった。それほど彼らは追い詰められ、貶められていた。
ソヨンの『絨毯』である倭奴―77番(29歳♂)―は、涙で曇った視界の中、正面にある鏡を見ていた。
極限まで身体を痛めつけられながら。まるで身体全体が重い虫歯のように、ねじ錐を穿たれているかのように痛かった。
目の前に据えられている鏡は巨大な姿見だった。77番は、もし見ようとさえ思えば、背中に乗っているソヨンの上半身、あるいはその『御尊顔』さえも見ることが出来るのだが、彼はやはりソヨンの膝より上を見ることは出来なかった。
いや、殆ど『靴』までしか、視線を上げることが出来なかった。靴より上を見ることは、バチが当たるほど畏れ多いことだと思えてきていた。
◆◆◆
『御靴を磨かせて頂くときは、御靴そのものを神聖で崇高なものと思って、お前の全身全霊を捧げるような気持ちで、磨かせて頂くのだ』
77番は、鏡に映るソヨンの靴を涙に曇る目で見据えながら、彼の靴磨きの師匠であり、上司でもある倭奴丸山の言葉を思い出していた。
『俺たちみたいな下賤な倭奴にとって、神々の御靴に触れるだけでも、身に余るほど光栄なことなんだって、片時たりとも忘れるな。いいか、どれだけ拝んでも拝み足りないってくらい、御靴それ自体を拝むんだ。それがお靴磨きの御奉仕における、最も重要な心構えなんだ。絶っ対に、忘れるな。そして起きてる間は常に、飯を食ってるときも何をしているときも、御靴様へのご奉仕のことだけを考えていろ。他の事は、何も考える必要はない』
彼―77番―にとって、丸山は本当に厳しい『師匠』だった。
新米の所有倭奴[飼い倭奴]としての77番のお役目は、『御靴箱番』倭奴だった。
彼は御靴箱番として、来る日も来る日も、ソヨンの無数の靴のコレクションと対峙する日々を送っていた。
戦前は、軍用車両を製造するメーカーで働く、普通のサラリーマンをしていた77番にとって、ソヨンの家での靴磨き奉仕は、まさに未知の領域であった。日々、彼は靴磨きが甘いといって、飼い主であるソヨンや、その下の韓国人使用人に叱責された。鞭打たれ、足蹴にされた。反抗的な態度など、たとえ露ほどでさえ取るべくも無かった。
同じ時期に『御靴箱番頭』―靴磨き倭奴=御靴箱番 のリーダー格―を務めていた丸山は、その靴磨きの実務的なスピードとテクニックだけでなく、靴磨きへの真摯さと、他の同僚たちへの思いやり・リーダーシップのどれをとっても、一級品の倭奴だった。
しかし、そのストイックで行き過ぎた『御靴様』への滅私奉公の念が、ともすれば他の御靴箱番の倭奴の反発を招くことも皆無ではなかった。
(いくら戦争に完敗して我々全員が奴隷にされたからといって、よくもまあ、あんな心の底から韓国人を崇拝できるもんだ。よしんば、その靴までをも『神』として拝むなんて・・・)
77番も、無論、決して口には出さなかったが、そのような思いが心の中に全く浮かばなかったと言えば嘘になる。もちろん77番も、飼い主であるソヨンには全幅の忠誠心を持ち、服従していた。そうでないと、敗戦国民の彼らは生きていけなかったのだ。しかし彼はどこか、この仕事―靴磨き奉仕―に心身を投げ打つように、脇目も振らずのめり込めている倭奴丸山に対して、一歩引いた冷めた目を持っていた。
◆◆◆
丸山からすれば、そんなことは到底許されることではなかった。
『99パーセントの忠誠心なんて―たとえ1パーセントでも夾雑物の混ざった忠誠心なんて―もとから全く無いのと同じだ』
韓国人に対する忠誠心を、丸山はそのように捉えていた。つまり根っからの『倭奴』であった。
そして、その忠誠心は、『崇拝心』へと昇華していた。
彼女たちの履き物さえをも御神体・御本尊とし、崇め奉るという『崇拝心』へ―
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