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鼻塚

会見の日、大公は大変に緊張していた。

初代秀佶から代々引き継いでいる猿顔と小身の体。その体いっぱいに汗を掻き、会見の場所である韓国大使館へ出発するまでにすでに2度も下着を交換していた。もちろん残暑のためではない。身をすり粉にするかのような、圧倒的な緊張感である。

食事は喉を通らず、朝から何も食べない状態で、彼は会見場に赴いた。


車を降りると、案に相違して、会見相手である皇太嬢―22歳にして占領軍総司令・元帥―が、館の正面玄関まで迎えに来ていた。

大公は事前の女権帝国からの指示通り、お付きの者を連れず、一人で玄関に向かった。

玄関には、守衛の兵隊のほかに、占領軍高官と思しき人物が、皇太嬢の他に4・5人いた。いずれも、すらりとした背格好の貴族女性だった。

彼女らの得意げな表情と、高所から見下ろすような視線に大公は早くもパニックになっていた。勝者の余裕・威厳が過剰なほどに漂っている。

彼は居ても立ってもいられず、「ア…アンニョンハシムニカッ[お早う御座います]!」と、その集団に向けて緊張した声を発した。


その挙動不審で唐突な言動と、たどたどしい韓国語を聞いて、皇太嬢は笑いを堪えるように口に手を当てた。そして打ち消すことのできない軽蔑の跡を口元に残したまま、「おはようございます。お待ちしておりましたわ、大公殿下。どうぞこちらへ」と、大公の韓国語と対照的に、よく通る流麗な日本語で言った。皇太嬢は完璧に日本語を使いこなしていた。


皇太嬢と大公は並んで歩きながら、会見部屋へと向かった。4・5人の占領軍高官、それから3人のカメラマン―うち2人がビデオカメラで、1人は写真用カメラだった―が、並んで歩く二人に付き従った。一方、日本側の随員はゼロ、である。

二人が並んで歩くと、その身長差が露骨に際立った。

時折、カメラマンが正面やサイドに回って二人の写真を撮った。何度か、無遠慮にも大公の顔面数センチまでレンズを接近させるカメラマンもいた。

大公にとってそれは生き恥以外の何物でもなかった。さらに汗を止め処なく流しながら、大公は一刻も早く会見部屋に到着することを願ったが、会見部屋は玄関から一番遠い部屋だった。なかなか到着しない。これももちろん女権帝国側の心理的演出である。


しかし、『大公にプレッシャーをたっぷりと与えながら、長い距離を長身の皇太嬢と並んで歩かせる』というだけでは、女権帝国の演出は納まらなかった。

赤絨毯の敷かれた階段の踊り場で、皇太嬢が大公を制してその歩みを止めさせた。

踊り場の広いスペースの一角に、なにやらケースに入って展示されているモノがある。ケースは、美術館にあるような腰の高さまである台に載っていて、台の上には古めかしい壷が置かれていた。


「何だと思いますか?」皇太嬢が大公に質問した。

「…古い骨董品でしょうか」

「残念、違いますわ。壷ではなく、中身が問題ですの」

大公は答えることができない。

「ヒントは、あなたの御先祖が関係していること、ですわ」

大公はなおも黙っていた。


「本当に分からないのか、分かっていても答えたくないのか、どっちかしらね。よろしい、教えて差し上げますわ。これは、京都の鼻塚から出土した鼻です。400年前の我が国の戦士たちの鼻が、手柄を証明するために倭軍の兵によって削ぎ取られ、異国に持ち去られたのです。京都にあるあなたの御先祖を祀る神社の門前に埋められていたものの、ほんの一部です。私の軍が京都を占領した直後、真っ先に塚から救出して、その後、私の軍のお守りとして、ずっと近くに置いて、供養していたのです」

そう言って、皇太嬢は、鼻塚の一部が納められた壷に向かって頭を下げて黙祷した。

大公は黙祷する皇太嬢の横顔を見た。

長いまつげを湛えた瞼がゆっくりと閉じられたその横顔は、歳相応に若く、健気に見えた。


もちろん大公は、彼女のお説を拝聴して、「400年も前のことを時代背景を無視して非難するのは正当ではない」とか、「日本側で丁重に供養しているものを一方的に掘り起こすほうが冒涜だ」とは、絶対に言えなかった。立場上、言えなかったし、言ったとしても、口の達者な相手に完璧に言い負かされてしまうことは明らかだった。


彼は、ただ黙って、皇太嬢に倣って壷に対して黙祷した。


大公の精神は完全に萎縮していた。体中から滲み出るような嫌な汗も、大公の心を苛んでいた。

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