神性
自邸に向かう通勤用の高級車の後部座席に二人並んで座りながら、ソナはパワーウィンドウ越しに沈み行く夕陽を見ていた。
焼け野原[東京]でみる夕陽は、地平線が開けているせいで、いつもより大きく見えた。
日本で夕陽を見ると、ソナにはいつも思い出される光景があった。
戦時中、夏の終わり。
開戦以来、ソナはずっと空軍で戦闘機パイロットの任にあったが、上層部の指令により、まもなく爆撃機部隊に配置換えされることが決定していた。
戦闘機乗りとしての最後の日、ソナは上官に出撃を『志願』した。
前線のパイロットが自ら出撃を願い出るなど異例のことであったが―将棋の駒が勝手に動くようなものである―上官はソナの願いを快く受け容れてくれた。
その時点で、ソナの撃墜スコアは『97』だった。しかし爆撃機部隊に異動となると、スコアの更新はほぼ不可能になる。
そして何より、ソナには戦闘機乗りが性に合っていた。
ソナは、自らの撃墜スコアを大台に乗せるためという『私欲』で、さらに言うと『最後の思い出作り』のため、出撃を志願したのであった。
軍人たるもの、敵を見くびることは厳に慎まなければならない。普通であれば、ソナの動機を知っていた上官が、出撃を許可するはずがなかった。
しかしエースとしてのソナの空戦能力を心底から認めていた上官は、我彼の実力差を鑑みて―日本の戦闘機のラインナップ・および対空砲火陣地はすでにボロボロの状態で、小部隊による出撃であってもこちらに損害が出る危険性は極めて低いことを冷静に認知していた―部下のわがままを許したのであった。それはいわば『ご褒美』だった。「その代わり、編成は3機で行くこと。大部隊が出てきたら戦わずに退却すること」
上官はそれだけを言って、出撃指令書にサインしてくれた。
結局、その日ソナは11機の日本軍機を撃墜し―2機の僚機を含めると全部で20機撃墜の荒稼ぎだった―、生涯撃墜スコアを『108』に伸ばした。
ソナが帰投の途中、戦闘機乗りとしての最後の戦果に心地好く酔いしれながら、愛機Kf-17『ローズマリー』の操縦席から西の空を眺めると、遥かな水平線に沈み行く夕陽があった。
「この戦争も、もうすぐ終わりね」両腕に残る適度な疲労感が、ソナの気を大きくさせた。「楽勝・楽勝。ちょろいもんだわ」
―眼下に広がる大地から、自分がこれまでに屠ってきた倭奴たちの魂が、湯気のように空へたなびいていくみたいに見える。
きっとあの巨大な夕陽が、死者たちの魂魄を熱して蒸発させているんだ。
たぶん私は、この光景を―この夕陽と空の光景を―またいつか思い出すんだろうな。
◆◆◆
「お姉ちゃん、私ね、倭奴たちにご褒美あげたいの」青春の一ページとさえ言ってもいいその光景をささやかに胸に蘇らせながら、ソナは隣に座る姉に言った。
何の話? と逆側の窓の外を見つめたまま、ソヨンが答えた。
「あのね、さっき局長室のソファに座って話してるときも言おうとしてたんだけどね…。私、倭奴にご褒美をあげたいの。って言うかお礼がしたいの。頑張ってるお礼」
姉は少しだけ興味を引かれたようだった。
「あら、珍しいじゃん。戦争中はあんなに倭奴を嫌っていたソナが。心境の変化?」
(やれやれ、何を言い出すのかと思ったら)ソヨンにも妹の心情は理解できなくもない。いわば憐れな乞食に対する、施しの心持ちなのだろう。勝者としての余裕、あるいは『母性』と言ってもいいかも知れない。
(敗戦国の倭奴どもを近くで観察して、憐れになったのかな。お粥の炊き出しとか、そういうの?)
しかしソヨンにとっては、その『ご褒美』の内容は、全く意外なものだった。
「どんなご褒美?」ソヨンが聞くと、ソナは事も無げに、真面目な口調で言ったのだった。
「私たち韓国人を神様として拝ませてあげるの。つまり『宗教』をプレゼントしてあげるの。どうかな?」
ソヨンが目をぱちくりさせると、ソナが慌てて付け加えた。
「あ、もちろん今でも、倭奴の中には、私たち女権帝国の貴族を神聖視してるっぽい奴はいるよ。けどさ、それもどこまで本気なのか、分かんないじゃん? っていうか、中には単に私たちのことがすっごく恐くて、私たちのことを崇拝してる『ふり』をしてる奴も、いっぱいいると思うんだよね。保身のために」
ソヨンは口を挟まずに、話の続きを待った。
「ねぇ、奴らってさ、上辺ばかり真面目なふりして、信仰心がぜんぜん無いの、有名でしょ? 無宗教な民族なのよ。けどさ、今後ずっと、たぶん永遠に、私たち女権帝国の植民地としてやっていく人たちが、それって可哀想じゃない。何か『拠って立つ』モノを、与えてあげたいの。だからさ、神様になってあげるの。拝ませてあげるのよ、私たちのことを」
ソヨンは唖然としつつも、目を輝かせている妹に対し、どうにかして言葉を捻り出してみた。
「・・・。拝ませる、って…。人間が、人間を?」
「倭奴を人間だと思ってるのが間違いなのよ。奴らは家畜よ。『罪深きケダモノ』なの。もちろんお姉ちゃんも、奴らが過去に、どれほど酷い行いを韓国人にしてきたか、よく分かってるでしょ? 奴らは間違いなくケダモノなの。そのケダモノに贖罪の機会を与えてあげるの」
いつものソヨンであれば、『贖罪』なんていうムズカシイ言葉を健気に使う妹に萌えてしまうところだが、もちろんそんな気分じゃない。ソナに言われて、ソヨンはまるで自分が間違っているような錯覚に陥ってしまった。
「倭奴に罪滅ぼしさせる、ってこと?」
ソナは上目遣いにソヨンを見据えた。その瞳は、まるで深い泉のように澄んでいた。
「そう! 心の底から罪滅ぼしさせるために、ケダモノの心が綺麗になるように、私たちのことを本気で拝ませるの! ね、すごくない?!」
しばしの沈黙があった。ソヨンはゆっくりまばたきした。「…理屈としては分かるけど…。そんなこと、できるの?」
「もー。。。お姉ちゃん、言ってたじゃん。総督府ができて、民政局長に就任するのが決まったときよ。『今の日本では、私たちは神様【みたいな】存在だ』って。その、【みたいな】を取るだけじゃん。簡単よ。」




