足下
「へぇー…おどろいた。意外と良く飼い馴らされてるじゃん」
ソナは人力車のシートに深く身を沈ませながら、ゆっくりと流れていく東京の風景を見下ろして独りごちた。道端からこちらに向かって土下座して礼をする倭奴を、もう何匹通り過ぎただろうか…。
このときソナは羽田飛行場からリムジン・バスで千代田の総督府ビルに到着した後、姉との約束の時間までの数十分を潰すために、流しの人力車に乗って周辺を見物に出ていた。
人力車は韓国人専用の高級仕立てで、車夫はもちろん倭奴である。乗車するときは屈んだ倭奴の背中を踏み台にして座席に昇る。
きっと緊張しているのだろう。18歳のソナに背中を踏まれるとき、車夫がその痩せっぽちな体を震わせていたのが靴底から感じられて、ソナには印象的だった。見たところ40代の復員兵で、首には『猿』ランクを表す赤い首輪を嵌めていた。ソナのような位の高い貴族女性をお乗せすることはめったに無いほど、ソナから見ればゴミ粒同然の身分の低い倭奴である。時折ソナがシートに深く腰掛けたまま、むき出しの背中を蹴って進行方向の指示を与えると、そのたびに車夫は上ずった声で「はぃっ、畏まりましたぁっ」と叫んだ。
『アハハ…いいザマだわ。鞭や足蹴りが嫌だったら、もっと必死で走りなさい、みじめな倭奴クン』
車夫はソナの忍び笑いを知ってか知らずか、全力で車棒を押し続ける。その健気な必死さは、車上のソナにはとても滑稽で、かつての敵兵の落ちぶれっぷりが胸に心地よかった。
ソナはまず『乞食橋』と呼ばれる、浮浪者たちが集まることで有名な場所に行ってみた。
ここはかつては大公の宮殿を守る堀にかかる橋で、『三重橋』と呼ばれ、戦前は国の重要文化財に指定されていた。そのため、韓国軍はその歴史的価値を慮って―より正確にいうと、占領後に観光資源[レジャーランド]化するため―空爆や地上戦での砲撃の対象から外していた。
その甲斐あって現在は旧大公宮殿の表玄関として、韓国人の修学旅行生や観光客のメッカとなり、同時に、彼女たちからの施し目当ての乞食倭奴も多く集まってきていた。
本来、韓国人の住民が多い東京の中心地は、景観保護の観点から、汚らしい乞食やホームレスの倭奴は強制的に立ち退かされているのだが、『憐れな倭奴の現状を旅行者の目に曝すのも悪くない』という総督府観光課の意向で、三重橋周辺の乞食行為については、特別に大目に見られており、当局の取り締まりは緩くなっていた。そのためこの橋には乞食倭奴が『大量発生』しており、いつしか、海外からの観光客から、面白がって『乞食橋』と呼ばれるようになっていた。
「チョコレート[お恵み]を下さい」と走り寄って来る子供の倭奴、一方で壮年の倭奴は土下座したまま「お靴を磨かせて下さい」と口々に叫んでいる。いずれも、なかなか流暢な韓国語だった。
どの倭奴も決して韓国人に嫌がられるような無理やりな乞食行為は行なわない。むしろ韓国人旅行者は彼らの頭上に―まるで鯉に餌をやるように―用意しておいた菓子をばら撒いてやったり、靴を磨かせてやって捨て銭を与えたりして楽しんでいた。そしてその様をデジカメに納めて、お互いに撮った映像を自慢し合っている。一方その足許には、施しを受けてニヤニヤして喜んでいる倭奴や、中には嬉しさのあまり泣いている倭奴もいる。
ソナは人力車を橋の袂に一時停車させて、そういった風景をしばし眺めていた。人力車の高い座席からは橋の全貌が観察できた。
『この橋を壊さなくて良かったな』
かつては神聖なる大公宮殿のシンボルとして―戦前、立ち入りが禁止されていた宮殿敷地への入り口であるこの橋は、旧日本人にとって唯一目に出来る『お住まい』の一端だった―その壮麗なたたずまいを誇っていた歴史的建築物が、今では韓国のみならず全世界に旧日本人の醜態を曝す情報発信源となっている。そして彼らに施しを与え、靴を磨かせてやっている韓国同胞たちの喜々として満足げな顔・顔・顔…。
ソナは民政局長の地位にある姉をはじめ、総督府の賢明な統治、なかんずく旧日本人たちの馴致・精神的奴隷化の手腕に敬意を表さずにはいられなかった。
しばらくしてソナの車の傍にも「チョコレートをお恵み下さい」「お靴を磨かせて下さい」と懇願する倭奴たちが、まるで虫が湧くように寄り集まってきたので、ソナは鞄に入っていたチューインガムを何枚か投げてやり、それを這い蹲って拾い、叩頭してお礼する倭奴どもを横目で見ながら、乞食橋の袂から車を離した。




