5幕 幻朧の影法師
「ファルさん……僕に御用って、いったい何でしょうか?」
夕日をバックに、斜め45度の角度でポーズを決めながらミスティは尋ねた。
その言葉に、ファルと呼ばれた年齢の頃十六、七くらいの少女は面を上げる。
美しい少女だった。
ミスティやレインとて常人離れした美貌の持ち主なのだがこの少女には遠く及ぶまい。
夕映えの光に照らし出される、黄金の美髪。
切なげに揺れ動く、哀愁をたたえた翠玉の双眸。
それら個々のパーツが、絶妙の配置で一つの貌を形成しているのだ。
ミスティがファルを美の女神と崇めるのも、むべなるかな。
一方、ミスティの呼び掛けにしばらく躊躇する仕草を見せていたものの、何かを決心するかのように、ファルはその可憐な唇を開いた。
「あのぅ……ミスティさん?」
「はっ、はい!」
落ち着いた振りを装うも、心臓はバックンバックン。
声は上擦っているミスティ。
「今……お付き合いしている女性はいますか?」
「い、いえ! とくにいません!」
「それじゃ……好きな人は?」
「それは、その……」
まさか『貴女です』などとは、口が裂けても言えない(彼は意外とナイーブなのだ)。
「誰か……私が知らぬ誰かをお慕いしていらっしゃるのですね?」
「い、いいえ! そんな人はいませんよ。ハッハッハ」
思わず乾いた笑みを浮かべる。
「本当ぅ……ですか?」
「無論ですとも!
僕は女性に対して、決して虚実を述べたりはしません」
それ自体が嘘である。
「よかったぁ~。
それなら……私にもチャンスはありますよね?」
「それはどういう……」
誰何しようとしたミスティの声は、突如抱きついてきたファルによって塞がれる。
「ファ、ファファファファファルさん?」
「ずうっと……ずうっとお慕いしてたんです、ミスティさん」
ミスティの問い掛けに、さらなる熱い情熱を込めてファルは身を寄せた。
柔らかい膨らみがふたつ、薄いローブごしにミスティを圧迫する。
結構大きい。
(って、何を考えているんですか! 僕は!)
ファルに呼び出された時点でありとあらゆるシュチエーションを憶測してみたものの、いざ実際にこうなると、パニックに陥るミスティ。
「好きです、ミスティさん。
きっとレティシャも喜んでくれます……」
(………?)
何か、違和感が頭の端をよぎった。
しかしその違和感も、瞳を閉ざしながら迫ってくるファルの前に、つい消える。
二人の唇が重なり合う、ほんの一瞬前。
ミスティは何気なく、足元に視線を落とした。
それは優れた術者である彼の、一種予知めいた直感だったのかもしれない。
同時だった。
ミスティがファルと突き飛ばすのと、
少女の手から放たれた朱い魔力光がミスティの脇腹を抉るように掠めるのは。
「ぐっ……!」
突如奔った激痛にミスティは顔を歪める。
咄嗟に身体をよじったが完全には回避しきれなかったのだ。
彼の脇腹は押さえた手の平から溢れ出る鮮血で赤く染まっていた。
「たかが僕を殺すのに、随分あざとい趣向を凝らしてくれますね!」
口元から零れる鮮血を拭おうともせずミスティは叫んだ。
(まずい……内臓を、傷つけたか)
「どうして……躱せたんですか?
何故わかったんです?」
地面からゆるりと身を起こしながら、ファルだったものは心底不思議、といった口調で尋ねる。
その顔に、慈愛の微笑さえ浮かべて。
「影、ですよ」
徐々に荒くなる呼吸を苦心して整えながら、ミスティは答えた。
「影?」
「そう、影です。この黄昏の刻だというのに貴女の足元には然るべき影法師がいない。
何故か? 答えは簡単に推測できました」
「へえ~~~~~……何です?」
「僕はこう見えても博識なんですよ。
学院の図書館の奥深く<禁断の間>にあった、とある古文書にはこう書かれてありました。『……彼のモノ達に憑依された者達は、精神のポテンシャルたる影を失い、生前持ち得た記憶を共有する操り人形じみた存在に成り下がる』、と」
「あら? ルージュフィアの蔵書なんてまだ存在していたのですか?
大変でしたでしょう、あれを読むのは?
何せ私達の積年の呪いが込められているのですから」
「ええ、苦労しましたとも。
読み終えるなり、いきなり劫火が噴き出してきたのですから。
おかげで危うく図書館炎上の放火犯にされるところでした。
「それは災難。で、続きは?」
「『……その力、生物の精神を苗床にして存在するが故に、古えの神々によって封印されし邪なるモノ達に連なる証なり。それら口に出すのも憚れるモノ達の名、それ即ち』」
「即ち?」
「『即ち魔族と呼ばれるモノなり』」
パチパチパチ。
小馬鹿にするように乾いた拍手が、夕刻の広い競技場に響き渡った。
「正解ですわ、ミスティさん。
私は栄えある魔族が一人「幻朧のノーヴィス」というモノ。
以後、お見知りおきを願います」
言って、優雅に一礼をする。
「あまり長い付き合いになるとは思えませんがね……」
大量出血の為か朦朧とする頭を総動員させながらミスティは皮肉った。
「しかし途中まではうまく演ってたのに……どこで間違えたのかしら?」
ノーヴィスという魔族にとって、それは相も変らぬ謎らしい。
思い悩んだ仕草を見せる魔族に対し、ミスティは小馬鹿にした笑みを浮かべながら解説してやる。
「フッ。どうやらファルさんの身体に憑依して、その表層思考を模倣しているようですが……詰めが甘いですね」
「あら、どうして?」
「人間の思考はそんなに単純なものではありません。
その日の天気、その日の気分によってさえ変わってきます。
例えば先程、貴女はファルさんの妹の名を「レティシャ」という本名で言った。
いつものファルさんなら愛称である「レティ」という呼び方をする筈です」
「……その割には、最初の頃は巧く騙されていたみたいだけど?」
「うっ、うるさいですね!」
「まっ、何にしても状況は変わらないわ。私はこの娘の身体に憑依しているだけ。
お優しい貴方には、傷一つ付けることはできないでしょうね……」
「くっ!」
ノーヴィスの言葉は、確かに痛いとこを突いていた。
「反対に私は、何の躊躇もなく貴方を攻撃することができる……。
これがどういう素敵な事だか分かる?
つまり私は……いつでも貴方を殺すことができるのよ!」
嘲りをあげるノーヴィス。
その口元には歪んだ半月が浮かんでいた。