3幕 夕刻の小悪魔
「魔族の復活、そして侵攻……か」
暮れゆく落陽の光と、訪れようとする夜の闇が鬩ぎ合う黄昏の刻限。
オレンジ色の斜光が幻想的ともいえる美しさを描き出す、そんな淡い雰囲気の中。
ミスティは誰に聞かせるわけでもなく、独り呟いた。
別に詩人を気取るわけではないが、この心奪われる情緒的な光景に対して今の自分は何をしてるのやら、と思ってみたりする。
だが、そんなことはどうでもいい。
そう……どうでもいいのだ。
「知らなかった方が……良かったかもしれませんね」
ミスティの言う通り、世の中には知らない方がいい事が多々としてある。
つまりそれは知ってしまえば、その事とは無関係な立場を保つ事が難しくなるし、場合によっては否応なしに自らが動かざるをえない状況に巻き込まれる。
ミスティは決して偽善的な人間ではない。
己の損得を考えぬ無償の奉仕など、虫唾が走るくらい嫌いだ。
それに人は……特に自分は、己が身すら完全に制御しきれぬというのに。
(しかしこればかりは……
仕方ない、のか……?)
正義の味方気取りで何かを殺める。
幼い頃から強大な力を持つが故、ミスティは自衛以外の力の行使とその事を自ら禁じてきた。
人は聖霊の寵愛児と寒い二つ名で自分を褒め称えるが、その裏では自分を危惧する……警戒する意が込められているのだ。
(こんな力など煩わしいだけなのに……。
いつでも簡単に他人を殺せる、こんな力など……)
それなのに何故人は大いなる力を求めるのだろうか?
煩悶するミスティが池に小石なんぞを投げ入れ始めた時、
「どうしたの、お兄ちゃん?」
少女特有の甲高い声がミスティに掛けられた。
「元気がないみたいだけど……大丈夫?
レティがお薬もってきてあげようか?」
ミスティに話し掛けているのは、まだ十にも満たない年頃の少女だった。
瑠璃色のポニーテールや団栗の様にクリクリと動く茶色の双瞳が、どことなく悪戯好きな小悪魔を連想させ可愛らしい。
身体のラインを強調すると、女性に不評の学院のローブも良く似合っていた。
だがミスティは少女を虚ろげに一瞥すると、またも視線を目の前の景色に戻した。
「あ~~~! レティのこと無視した!」
「少し黙っててくれないか、レティ。僕は今、思考模索中なの」
憤然と騒ぎ立てる少女に、ミスティは素っ気なく答えた。
無論このレティという少女はミスティの妹などではない。
少女はまだ正魔術師の資格すら持たない半人前で、とある事件でミスティに助けられてから彼をまるで実の兄の様に慕っているのだ。
もっともミスティはこの子を助ける事に深い思惑があったのだが。
「ふんっだ! せっかくファルお姉ちゃんがお兄ちゃんの事を呼んでいるから、わざわざ探しに来てあげたのに……もう、レティ知らないから!」
その瞬間、ミスティの表情が真剣な形相へと豹変する。
「そっ……それは本当ですか、レティ!?」
「レティ?」
「いえ、レティ様。貴女様の仰ることは真実なのでしょうか?
どうか哀れな下僕たるわたくしめに、是非ともお教え下さいませ」
プライドを完全無欠に手加減もなく捨てながらミスティは尋ねた。
「ん~どうしよっかな~」
優越感に浸った眼でミスティを見ながら蠱惑的な笑みを浮かべ答えるレティ。
これなのである。
説明する迄もなくミスティはレティの姉、ファルにベタ惚れなのだ。
下手をしたらその為に魔神と契約さえしかねない。
「そうだ! レティね、新しい召喚獣さんが欲しいの」
「それって確か、こないだ買って上げたばかりじゃ……」
「ほ・し・い・の☆」
「……分かりました。学費が届き次第、買わせて頂きます」
「きゃあ~♪ ありがとう、お兄ちゃん」
「そ、それでファルさんはどちらに?」
「旧校舎の競技場だよ。
何でも大事な話があるそうだから、急いだ方が……ってあれ?」
レティが喋り終えるのすらもどかしく、ミスティは疾風の速さで駆け出していた。
おそらく風の聖霊の力を借りているのだろうが……そんな事に使役される精霊が哀れですらある。
爆音を上げながら去り行くミスティの後姿を、呆れ顔で見送りながらレティは呟く。
「おとこって……悲しい生き物……」