8
目を開ければ三崎君がいた。
「…なんて、うまい事にはならないっか」
部屋を見回して1人ごちた。
布団の上から顔を覗かせればカーテンの向こうはもう日が昇っているようで、明るい光と、冬にしてはまだ暖かい空気に安堵した。
部屋の主はいない。
私1人。
当たり前だ。月曜に帰ると言っていた。
昨日の夜よりはマシにはなったけど、相変わらず身体は震えて顔には熱が集まっていて頭がぼんやりしている。
実家にいても縁のなかった風邪をひいたあたり、色々環境が変わって身体がついていかなくて参ってしまったのもあるだろう。
三崎君に参っているのも付加効果かのかもしれない。
わ。私ウマイ事言ったかも。
「……思った以上に頭がおかしくなってるかも…」
いつも通りとかいうツッコミがどこからか聞こえてきそうだ。
漏れた声は凄くガラガラで、空気を吸い込めば咳が出始めて止まらない。マシになったと言った途端これだ。
時計を見たらお昼をとっくに過ぎたようで、月曜までの時間が短縮された気がして幾分気が楽になった。
しかし…笑って貰う為にしたお菓子作り置き作戦も水の泡と化し、それどころか怒られる要素しかない現状には苦笑するしかない。
「…せめて帰ってくるまでに…ゲホ。治ってないかなぁ…」
*
「あ。三崎君だ」
休み時間に庭園に向かっていると、先客の姿が目に入った。
友人さん達とベンチに座って談笑している。文字通り談笑だ。笑っているの…! 私にはそんな笑顔見せてくれないのに…悔しいっ!
しかし成程。既にこの時間にいるのを2回も目撃している為、定期的にここへ来ているのだろう。オッケー覚えた。
私は気付かれないよう、身体を丸めて身を小さくし、2人から見えないよう木の影に隠れるようベンチの上で正座をした。聞く時は誠意をもって聞かないとね。
ポツリポツリと聞こえる会話に、たまに混じる三崎君の低い声に、私はしつこいくらいに反応をする。
それをうっとり聞いていると、私の名前が会話に混ざった事に気付いて心臓が高鳴る。
「三崎さー、どうしてさゆさゆを避けるの? 蔑ろにするの? 馬鹿なの? 見ててすげぇ可哀想になるんですけど? ていうか羨ましい限りなんですけど?」
「……」
私の…名前だよね…? アタックしているのを避けているって話みたい…だから…きっと私の事だ。
成る程、友人さんの間では私はそう呼ばれているのか。なんて気さくな人達。
やっぱり可哀想に見えるくらい相手にされてないのね…。うう。
ていうか友人さんてばなんていい事を言うの…っ! そうよなんで避けるの蔑ろにするの!!
ちらりと肩越しに三崎君を見やれば頬杖をついてむくれていた。
表情は見えないけど、突き出た唇が全てを物語っている。先程までの笑顔が嘘のよう!
「大学生にもなった事だし、いっちょオケしてみたら? もう十分堪能したろ。この際だし現実の女を見てみるのもいいんじゃない?」
そしたらリア充爆発しろと笑ってやる、と三崎君の肩を叩きながら友人さんが笑っている。
現実の女って…三崎君てばアイドルが好きなのか。三崎君の隠れた趣味を発見。結構ミーハーなのね。それで嫌いにはなったりしないけど。
しかし友人さんの言う通りだよ三崎君。アイドルよりも身近な女の方がお手軽よ!
そう乗り込んで説きたくなるのをグッと堪え、会話を見守った。
「……無理」
ガーン…!
あ、あれですか…やっぱり私みたいな地味女は嫌ですか恥ずかしいですか…!
そりゃアイドルには負けますけどさ。勝てるとは思ってないし。
ガックリ肩を落とし、落ち込む私を余所に会話が進んでいく。
「なんでよ。もういいじゃん受け入ちまえって。カッコつけて我慢しても好みは好みだろ? 素直になれって。この機を逃すとお前ぜってーDT卒業できないぞ。ほれ、さゆさゆ最高!」
「うるさい。ていうかお前が楽しみたいだけだろ」
わああ友人さんそうなんですかー!?
あの時言っていたのは本当だったのですね! 信じてなくてごめんなさい…! ていうか“でぃーてぃー”って何ですか2人だけの暗号ですか!?
…。
あれ。
じゃあ何!?
今までの仕打ちはなんなんですか!? そこをもっと突っ込んでください友人さんー!!
「……だから言ってるだろ…。駄目なんだよ。俺なんかが―――…」
そう言った後1つため息を吐いて立ち上がった。いつもの鞄を背負ってひとつ背伸びをしている。
友人さんも立ち上がり、やはり彼より幾分高い位置にある三崎君の頭をべしっと叩いていた。な、何あの仲良しさん…! 親密さが伝わる…う、羨ましい…!
遠いところからこそっと覗いているのには気付いていない2人は、更に仲良さが増していく。
「あー…なんだ、まぁそれはいい心がけだけどさ。それはいいんだけど。…三崎さ…」
「何」
「俺男だぞ? 甘いお菓子なんか、それもてめぇの手作りなんかいらねぇって何度言わせる!」
…なんですって…? 三崎君の手作りお菓子ですって…!?
怒鳴る友人さんの手元を見ると、確かにラップに包まれたお菓子が見えた。凄い! 美味しそう!
ふむふむ。そんな趣味があったのか。成程、メモメモ。今日1日でかなりの収穫だ。忙しいじゃないの。
私がメモを取っている間もじゃれ合いは止まらず、そのまま構内へ向かって歩き出した。
「作ったはいいけど食べきれない」
「じゃあ作るな。いくらさゆさゆの為と言ってもお前の修行に付き合わされるこっちの身になれ。その気持ちは分かるが、見てみろ、お前のせいで益々太ってきたじゃまいか」
「最初からじゃまいか」
三崎君が友人さんのお腹を摘まんで肩を震わせて笑っている。
その様子がなんだか年相応で、いつも見ていた三崎君の違う一面が見れて、胸がほっこりする。
それにしても、私の為に修行してるって…ど、どういう事だろう…!
握る手に汗が滲んできた。
え、何、あ、まさか三崎君がお婿に来てくれるっていう話なの…? 大丈夫? まだ告白も付き合ってもない上無理とか言われたのにそこはいいんですか?
もう頭がぐちゃぐちゃすぎる。どういう事か聞きたいけどこれは盗み聞きだから無理だし。
ていうかそんな素振り全然なかったから凄く目から鱗なんだけど。べ、別に嫌な訳じゃないよ! 私はご飯作れないから全然オッケー来て下さいって感じですよ三崎君!!
ああ、でも実際本当に来たらどうしようとベンチの上でごろんごろん悶えていると、幅を見誤った。
あっと思った時には芝生の上に仰向けで倒れていた。
もう。あまりの興奮にベンチから落ちてしまったじゃまいか。あ、うつってしまった。
しかし、2人がいなくなっててよかった。
盗み聞きがバレる所だった。
倒れたまま青空を仰ぐ。なんか妙に清々しい気分だ。
結局三崎君が何で駄目なのか分からないけれど。
私とどうこうなる気はないと言っていたけれど。
だけど私の事は、友人さん情報だけど、こ、好み?(ひゃあ照れる…!)とか言ってくれている。
私はたいそう困惑した。
身体と心は別物って事?
男の人ってよく分からない。
ていうか『俺なんかが』って言ってたけど何を言っているんだろう。そのままで十分すぎるくらい素敵なのに!
なんか、私の知らない所でかなり買いかぶられているのではないだろうか。
私こそ私なんかが勝手に貴方に恋をしているというのに。私の小さな胸でよければどしどし飛び込んできてくれればいいのに。
だから。
だからね、結論として私は諦めない事にしたのだ。
三崎君が私の事を恋をする相手として認めて貰えるよう、心の準備が整うまで、待つ。
見たくない程嫌いな顔という訳じゃない、ただそれだけが救いだった。
*
―――村崎さん!
ああ、なんだろう。
声が聞こえる。
三崎君のあの低音が。
いつもの静かな話し方ではなく、少し荒々しい声。
…おかしいなぁ。
私は今熱で寝込んでいて、更には部屋には誰もいない筈。
あ…だからか。
ちょっとヤな事思い出しちゃうのは熱のせいか。
三崎君が想いを馳せる子がいたなんて。
現実の子じゃなくても妬いてしまうよ。
あれ、でもどうして声が聞こえるのだろう。
都合のいい夢を見ているのだろうか。
それならば自分を褒めてあげたい。
幻聴まで聞こえるようになって。
どれだけ好きなの私。
無論凄く好きだ。
愚問すぎる。
死にそうでもこの部屋から出ようとしないくらいに。
もし仮にこの部屋で死んだとしたら永遠になれるかな。
なんて乙女らしくポエムってみた。へへ。
ていうかこれはかなり迷惑がかかる。
うん、駄目。
ああ…なんか身体も揺れ出した。
やっぱりまだ寒くて震えてるのか。
―――村崎さんっ!
そして一層大きくなる声。
どうしよう幸せすぎる。うふふ。
凄く死にそうだったからこれだけで大分というかかなり生き返っ―――
「―――だからっ、ぶつぶつ言ってないで目開けろって!!」
「へ…!?」
重たい瞼を上げると髪の毛がぼんやりと見える。汗を吸いこんではりついた自分の前髪だった。
ふいにそれが退けられると、ここにはいない筈の彼の顔が見えた。
「あれぇ…ゴホッ。私ついに幻覚まで見る事に成功したー…」
「まだ何を言ってるんだ。いい加減目ぇ覚まして、村崎さん」
村崎さん。
そう耳元で言われて私の意識は急激に戻り、正常に働き出す。
クリアになった視界いっぱいに三崎君の顔が映り、あろう事か私のおでこに彼の大きな手が乗っている。
「…えっ!? あ、あの…! ゴホゲホゲホッ!!」
「…起き上がらなくていいから。そのまま寝てて」
慌てて起きあがろうとした私を、おでこに当てたままの手に阻止されて枕に逆戻りさせられた。
布団を顔まで引き上げられて、至近距離にある三崎君の顔に、顔が更に熱くなったのが分かる。
この空間に人がいるという事に酷く安堵し、三崎君、と蚊の泣くような情けない声が漏れ出てしまえば、堰を切ったかのように涙が零れ落ちていく。
溢れてくる涙が止まらない。
今ここに三崎君がいる、それだけで嬉しい。
ボロボロと出る涙は、頬を伝って耳の中に入って冷たくて気持ち悪い。
霞んで見えなくなっていく視界に、三崎君が苛々したように頭をかく姿が入った。
面倒くさい女だと思われたのだろう。
次何を知らされるかと思うと怖くて。
ぎゅっと目を瞑ると頬に指が触れた。三崎君の冷えた指が涙の後をなぞっていく。
突然の接触に驚いて目を開けると、困ったように笑う三崎君がいた。
…どうして、笑いかけてくれるの?
帰ってきたという事だけでも嬉しいのに、優しくされるなんて思ってもみなかった。
触れられた場所から熱は上がり、頭の中は沸騰。ふわふわして現実味がなくなってきた。やっぱりまだ夢なのかと思ってきた。
「……本当、困ったよ…最悪。折角のイベントだったのに君の事が気になってそれ所じゃないし…帰ってきてみれば部屋に電気は通ってない上酷い有様だし…。当の本人は風邪でうなされてるしでもうどれだけフラグ回収するの君は。萌えるだろばかやろうほんと帰ってきてよかったよ」
久しぶりに聞いた三崎君の長い台詞だったけど、熱に浮かされた頭に台詞の殆どは意味を成して入ってこない。最後の方は早口で全然聞こえなかった。早く喋れるんだね三崎君。
意味は分からないけど紡がれる音は十分に伝わり、その酷い心地よさに襲われ段々と意識が遠くなる。
はぁ、と一つため息をはいたかと思うと、おでこに冷たいタオルが敷かれその上から氷袋が置かれた。
何故そんなものあるのだろう。ほぼ開いていない目で不思議に眺めていると、考えている事が分かったのか、
「…誰かさんのせいで冷凍庫にあった氷は溶けてたからね…。コンビニ行って買ってきたよ」
と優しく教えてくれた。わお。
ごめんなさいと謝ると、『とりあえず今はいい』と布団の中に押し込められた。…今は、らしい。今から回復するのが恐ろしい。
「……こうなった訳はあとで聞くから…今は寝てて…。色々用意しておくから」
そう言ってキッチンへ向かっていき、扉が閉められた。
ガタ、と引き出しが開く音がしたから何か作ってくれるのかもしれない。や…優しい…。
そのまま真っ暗の視界の中、トントントンと、私とは違ってリズムよく紡がれる音を聞きながら眠りに落ちた。
「エアコンの温度を上げてテレビを見ながらオーブンを使ってケトルで湯を沸かした後風呂に入ったから風邪ひいた…だと…?」
「は…はい…」
鼻をくすぐる粥のいい匂いに目が覚めると、ベッド脇に座った三崎君に事情聴取をされた。
起き抜けである。
あるが故に小指をぶつけた事も転んでおでこを打ってしまった事も、1から10まで事細かに喋り出てしまった。酷いよ三崎君…!
恥ずかしいのと近いのとで布団の中に隠れた。
「……じゃあなんでブレーカーを上げない…? 何で放っておくんだ」
「ぶれーかー?」
「……」
布団から少し顔を出して私が聞き返すと、ギュッと音がしそうなくらい唇が尖る。あ、顎にしわが出来てる。
「……ちなみに聞くけど…、停電した時はどうするんだっけ…?」
「そ、それを調べようとネットつけたんだけど、繋がってなくって…! け、携帯も…なかった、し!!」
「そんなもん調べなくても分かるだろっ!」
「ひゃっ!!」
初めて三崎君の怒鳴り声を聞いた。思ったより迫力がある。自分の行いに非があるのも相まって。
再び布団に潜った私の頭上から、長い長い、凄く長いため息がはかれた。
「……今時ブレーカーを知らない奴がいるか? 1人暮らしなんだろ? アパート借りる時に大家に教えられただろ…」
「確かに…言ってたかも…? でもぶれーかーの意味まで教えてくれなかったですよ?」
「…」
「…」
再び沈黙が落ちる。
どうやら“ぶれーかー”は知っていないといけない物らしい。今度友人達に知ってるか聞いてみよう。
「……ああ、そうか…。実家で電気が落ちるなんて心配はなかったんだろうな…。じゃあ今日から覚えておくといいよ。ブレーカーってのは電気の元締めみたいなもので、停電になったらスイッチを全部上げるんだ。玄関の上にあるアレだ。はい、よかったな、これで1つ賢くなったな」
「は、はい!」
成る程。
そういうものがあったような、なかったような。
でも。
「どっちにしても無理だったかもー…。私、多分届かない。洗濯機までがギリギリだもん」
30センチ定規があっても無理だろう。記憶にある玄関を思い出し、距離を考えて1人うんうん納得していると、顔を手で覆った三崎君が頭を下げた。
「三崎君…っ!?」
「……ごめん。色々気づかなかった……。一歩間違ったら死なす所だったじゃないか……」
そりゃ辛くて死ぬぅとか思っていたけど、私的にこんなに真剣に謝って貰う事じゃなかったんだけど…!
こうやって喋っていく内に段々元気も出ている気がするし。ああ、でも回復すると怒られる…!?
ていうか。
この状況はかなり変だ。
監禁主が、非がある対象物に対して謝っているのだ。
そして昨日のトゲトゲしい雰囲気は何処へ。
相変わらずどこまでも優しい彼に、思わず笑いが漏れてしまった。
「……なんで笑う」
「だって…変ですよ。悪いのは私で、謝らないといけないのも私なのに」
「……本当だ」
「です。…ごめんなさい。余計な事をして、無知で、迷惑をかけました。ごめんなさい」
「……本当だよ。無知は罪だよ」
「はい」
「……そういう事じゃなくて―――…」
真っ直ぐ見つめられ、心臓がざわざわと早まり出す。
なんだろう、と続きを待っていると、
ピンポーン
静かな部屋に、電子音と共に『お届け物でーす』という明るい声が響いた。
その声につられ玄関の方を向いた三崎君が首を傾げた。
「……宅急便…? 俺何も注文してないぞ…」
「あ、多分私のかもしれません! ほら、温泉行ったって言ったけどお土産ないのは変かなぁと思って、アリバイ作りの為に友人に送って貰いました」
「………本当に君って人は―――って…友人…?」
「あ」
あちらを向いていた三崎君が私の方を向き、更に訳が分からないという顔をした。
やばい。
あの子の仕事の速さは感心物だけど、タイミングが最悪…! 私が外部に連絡を取ったのがバレてしまう!
しどろもどろになりながら言い訳を考えようにも、熱が下がりきっていない今全然いい案が浮かばない。
「…えっと…、あの…ですね……そのー…」
「さっさと言う」
「パソコンのフリーメールを持っていたのでそれで連絡取りました! でもお土産以外の事は言ってないから大丈夫です!! なんなら今から送信メールを見て貰っても構いません!!」
パソコンをどうぞ!と言うと、はぁ、と一つため息を吐き『そんな事出来たんだな』と漏らした。
私の機械音痴さを知っている風なその言葉に、少し嬉しくなってしまった。それが顔に出ないよう堪えていると、三崎君が立ち上がる。
「……とりあえず受け取ってくる」
「あ! 着払いにしてもらったので、お金は私の財布から出してください!」
部屋の隅に置いてある鞄を指すと、『別にいい』と言って玄関へ向かって行ってしまった。
DT=童貞(ぼかして書きませんよ)
フラグ=自分の行動により後にイベントが発生する事の意