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監禁生活は3日4日と過ぎ、5日目に突入したけれど、
特に何か事件があったり、イイ仲になったりとかそういう事はなかった。
残念。
いつも通り1日中テレビやパソコンで暇を潰していたり、掃除をして洗濯をしたり。相変わらず掃除の方は気づいて貰えなかったけど、男の人っていうのはそういうものなのかと既に諦めていた。
洗濯をしてあった事に気づいた時は、最初こそ嫌な顔、それはそれは『何勝手に触ってんの』とでも言いたげな感じだったけど、家事をする手間が減る事には負けたのか受け入れてくれた。干し方も畳み方もなってないと駄目出しされたけど。
お昼は三崎君お手製のご飯(作り置き)を堪能したりと、かなりのんびりと充実した日を過ごしていた。
夜になれば家主は帰ってくるけど、2日目の質問攻め以来あまり口数は増えなかった。というかいつも通り。
私から何か会話を持ちかけなければ、部屋の中に会話は生まれず。
ご飯の最中、寝る前のちょっとした時間、朝出かける前の間に何か会話を持ちかける事といえば、お昼のドラマの過激さとか高校や大学であった話とか掘り出したり、実にくだらない事だけだった。
ていうか、会話をする時間自体が減っているんだった。
日が経つにつれ、段々と三崎君の帰りが遅くなっているのだ。
最初の頃は授業が終わって直ぐ帰って来ていたのだろう、6時頃だったけれど、3日目には9時を越え、昨日はついに11時を越えた。
夜遊びをしているのだろうか、それとも学校が忙しいのか、顔を合わせる時間が日に日に減っていく。
そして最初から遅く帰ると計画しているのか、律儀に昼ご飯と夜ご飯の両方を置いて行ってくれるのだ。
だから三崎君が出掛けた後、用意してあるご飯を見つけると、1日が寂しく始まって少し辛かった。
そして、もう1つ―――…
ガチャリ、と鍵を開けた音が聞こえた。
どうやら三崎君が帰ってきたみたいだ。眠くて閉じようとする目を擦り、布団の中からちらりと時計を見やれば夜中の1時前を指していた。
今日は金曜日だっけ。フライデーナイトを楽しんで来たのかな。
誰と。
どこで。
何をしていたの。
そう聞きたいけれど、聞く勇気はない。
今日なんて私、朝お風呂入った時とご飯食べた時しか喋っていないのに。ずるい。
じくじく痛み出す胸を押えて布団の中にくるまると、この部屋の中に入って来た。
トン、トン、とこちらへ向かう足音が聞こえる。
それは私の耳元近くで止まり、瞼の上からでも分かるくらい気配が近くに落ちた。
起きている事を覚られないように息を潜めていると、しばらくして気配が遠ざかり、変わりに小さく落とされた舌打ちが、私の鼓膜にまとわりつく。
そして鞄を、ジャケットを乱雑に置く音が聞こえる。布団越しにでもその振動が伝わってきそうなくらい。
がしがしと頭をかき、大きくため息を吐いて隣に寝転がった。
エアコンの活動音もなく、時計の音が響く訪れる冷たい静寂に。
私の心臓はドクドクと大きく音を立てていて、聞こえてしまうのではないかと怖かった。
―――そう。
最近、三崎君は苛々しているみたいなのだ。
朝私と顔を合わせると唇を尖らせたり、3日目に遅く帰った時、ご飯を食べず起きて待っていた私を見ては、『待ってなくていい』と盛大にため息を吐かれたりした。
私をここに閉じ込めている張本人なのに、何故苛ついているのだろうか。
嫌な事でもあったのかと聞いてみたけれど、答えは『別に』との事だったので別段気にしないよう過ごしてきたけれど。
いつも私の死角でこっそりとやっていたパソコンをする事もなくなり。
じっと私の事を見る事もなくなって。
段々と刺々しい雰囲気を出すようになった三崎君に、いつも通り抱きつくなんて事も出来る筈もなく。
機嫌が悪いのを更に悪化させないよう、さながら空気ばりに気配を薄くさせ大人しく部屋に引き籠っていたのに。
流石に何度か続くといくら私でも泣きたくなってくる。最初の浮かれていた2日間が思い出され、より一層それを際立たせる。
分かっている。
きっと苛々の原因は私なのだろう。理由は分からないけど、同じ顔をしている。
学校で見た、迷惑そうな顔が頭の中に鮮明に蘇る。
私の事で苛ついているのなら、罵るなりさっさと追い出すなりしてくれればいいのに。
何度口から出そうになったか。
でも。
自分から終止符を打つような真似は、臆病な私には到底出来そうになかった。
朝起きると、珍しく三崎君がぼうっとテレビを見ていた。
私が起きたのに気付くと、昨日の苛立ちが嘘だったかのように、おはようと挨拶をされた。
面食らって瞬きを数回すると、直ぐにむっと口を尖らせそっぽを向かれた。慌てて返事を返すとこくりと1つ頷く。
その大きな身体に似合わない可愛い仕草に、私の心は簡単に浮足立った。うん、私にあんにゅいは似合わない!
ベッドを降りて、あまり近づきすぎない程度にテーブルの前に座った。猫を相手にしているみたいだ、へへ。
「……あの、さ」
今日は食パンを焼いて苺ジャムを塗っただけの、休日クオリティの朝ご飯を頬張っていると声をかけられた。
声をかけられた!
三崎君からですよ!!
何回も言いますよ声をかけられました…!!!
数日ぶりのまともな会話に速攻で浮かれ、緊張のまま声が裏返りながらも『はいっ!』と返事を返すと、机の上にオレンジの携帯が置かれた。
見覚えのある、5日ぶりの私の携帯だった。
「これが…どうかしたんですか?」
置かれて私の方に押しやられる携帯を眺めていると、パンを頬張り言いにくそうに喋り出した。パンを頬張っているからではない。
「……君の…友人達がうるさいんだ…。君がどこに行ったか…知らないか、って」
ああ、成程。
流石に5日も学校に行ってなければバレちゃうか。
「……どうして…俺に聞いてくるんだ…」
「…えっ!? ていうかあの子達、三崎君に喋りかけたの!? わぁ凄い…! そんな事もあるんだね!」
私以上に男の人に奥手な子達なのに、自分から声をかけるなんて。
余程私の事を心配してくれたんだろう。凄く嬉しい。
「……だから、その」
「なんともないよって連絡すればいいのね?」
「………ああ」
この為に、今日は優しいのか。
少し残念に思いながら携帯を取って確認すれば、沢山の着信とメールが溜っていた。
新着のマークが沢山並び、既読のメールは読んだ事あるやつだ。
これを開いて中身を見たりとか、女子大生なりきり返信とかそういう事はしていなかったみたい。
本文を開くと、最初は“サボッてばっかりだと単位落とすよ(絵文字)”とか、からかったメールだったけど、“今なにしてるの?”“どこにいるの?返信くらいして!”と段々変わっていったのを見て、かなり心配かけてしまったのが分かる。
早速返信しようとカチカチと文章を打てば、隣に移動してきた三崎君にそれを覗かれる。変な文章を打たないように見張っているだけなのだろう。
だけど。
肩が触れ合う距離に、息がかかる距離に。
目の前に揺れる黒髪が、私の心を悪戯にくすぐる。
緊張のせいで何度も何度も打ち間違えをして、その度に入力をし直すものだから、勘ぐる三崎君が更に身を乗り出してきて距離が一層近くなってしまう。
や、それは嬉しいのだけど! 心臓がもたないというか!
ていうか昨日お風呂入ってなかったの忘れてた…!
臭うかもしれない…!
それはちょっと駄目だ、あんまりだとずりずりと距離をあけようと横にずれれば、気づいた三崎君が再び距離をつめてくる。
長い左腕が私の背後に置かれるものだから、覆いかぶされたようで、それがまるで黒い鉄の檻に囲われてるみたいで、逃げる気がガリガリと削がれてしまう。
男の人が、女の人より臭いに鈍感だと誰かが言っていた気がしたから、それを信じる。信じてるから…!
大丈夫だよね、とちらりと横目で伺うと、サラサラの前髪の隙間から黒い瞳が見えた。いつもだったら有り得ない角度から見る事が出来たその瞳は、最初に感じた印象より優しく思える。
少ししか見えないから余計にドキドキして、目線を落とせば私とは違う男らしい顔のラインに色気を感じ、更に手が震えた。
結果、無駄に時間がかかってかなり怪しまれてしまった。
無事に入力を終えた携帯を掲げ確認して貰う。
「……“急に旅に出たくなって、1人で温泉巡りをしていました。心配させてゴメンね★”…」
何て事。
口に出して読むのだったらもうちょっと違う文章を打てばよかった…!
『1人になりたいんだ。だが何も心配はいらない。直ぐ帰るからね、子猫チャン達★』とか『もう暫くの辛抱だ。いい子で待っていなベイベー★』とかさぁ…!
ああっでもそんな事この低い声で耳元で囁かれたら私倒れちゃうかも…!
…なんて。
そんな事打ったら無言で打ち直しさせられるのは分かっていますとも! ちょっと夢見ただけですよ!
ただの妄想で勝手に1人悶えていると、三崎君が眼鏡を直しながら頷いた。
「……変な改行もないし…いいよ、これで」
暗号でも入れると思ったのだろうか。そんな高度な事私に出来る訳もないのに。
言われるまま送信ボタンを押して、完了の文字を見届けると私の手から携帯が抜き取られた。
その際に少し指が触れる。
ひんやりとした指が私の指の股をなぞり、思わずビクッとして手を引いてしまった。
こ、こんな唐突に触れ合いとか心構えが…っ! 私の指が三崎君の指に届かないとか…!! おっきいようっ!!!
久しぶりの接触に名残惜しさを感じてそれを目で追うと、私の携帯を持ったまま口元を手で覆う三崎君がいた。眼鏡と手の隙間から見える頬が少し赤い。
…赤い?
自分が見たものが信じられず、一度大きく瞬きをしてから再び見た。
赤いと思った頬は青やら緑に変わるわけもなく、ほのかに赤いままだった。
「…三崎…君…?」
どうしてだろう、と本人の名前を呼ぶと微かに揺れる肩。そして一度私の方に視線をやったかと思うと、直ぐに逸らして立ち上がった。
更に疑問符が浮かぶ私を余所に、三崎君は机の上の食器を重ねるとキッチンへ向かっていった。
三崎君の足を止めるべく追いかけようと慌てて立つと。足元に冷たい鎖の感触を感じ、あ、と思った時には私の身体は傾いて、温かい壁にぶつかった。
…うん、この感触には覚えがある。
その感触の主を見上げると、やはり口を尖らせこちらを見下ろしていた。
「…や! わ、わざとじゃないんです…!! 今のは本当に事故で―――」
「……触るな」
「は、はい! ごめんなさい!!」
背中にしがみついていた手を浮かせ、慌てて三崎君の身体から離れた。
それにしても相変わらず私が体当たりしてもビクともしないとは。いい身体だ。だけど最近食べていないのか、少し薄くなった気がする。
まだ三崎君の影が落ちる距離に立ってぼうっと眺めていると、聞こえるか聞こえないかくらいの小さなため息をついた。
「……こんな筈じゃ…なかったのに……」
振ってくる微かに漏れた小さな声に、私の全身は固まった。
呼吸すら出来ているのかも怪しい。
時間にして一瞬の事なんだろうけど、次に三崎君が喋るまで永遠と思える時間が流れた気がした。
出かけるから。イベント行ってくるから。月曜まで帰らない。
そんな私の好きな音で紡がれる言葉も、どこか遠くに聞こえていた。
耳の中に流れ込んできただけで、意味の処理も追いつかず、気づいた時にはキッチンに1人で立っていた。
そして私の頭の中では、さっきの言葉がこびりついて離れない。
―――こんな筈じゃなかった
…じゃあ本当はどんな筈だったのだろう。
いくらポジティブな私でも、今は全然いい事が浮かんでこない。
しばらく何もする気が起きないままベッドに寄りかかっていると、いつの間にかテレビからお昼を迎えるニュースが流れていた。
ぼんやりそれを眺めていると、暇を潰す為に身体が勝手に動いていた。
すっかり癖になったパソコンの電源を入れ、相変わらずロックされている画面に苦笑しながら、前と同じように違うユーザーでトップ画面を開く。随分パソコンに慣れたものだ。
何の目的もないままクリックするだけのゲームに躓き、当ても無くインターネットの波に漂っていると、美味しそうなお土産品の広告が目に入る。
そしてさっき友人に送ったメールに“温泉”と入れたのを思い出した。
「…アリバイ作り…とかした方がいいかなぁ?」
温泉へ旅行してるって言っちゃったけど、お土産がないと不自然だよね?
ないのは変じゃないけど、大体買って帰るし。それにあった方が信憑性が増すというか。
ホームページに入って色々見て回るも、沢山美味しそうなものはあって物はだいたい決めたけど、配達が随分と遅かった。1週間とか2週間とか普通にかかっている。
イコール私が後1週間も2週間もここにいるという事になる。
いや…いたいんだけど…この雰囲気で2週間もいられない。いたくないという気持ちの方が大きい。
それに、そろそろこの生活も終わりな気がする、そんな予感もあった。
もう少し早い方法はないのかと思考を巡らせると、地方にいる友人の顔が浮かんだ。
そしていつも使う画面に辿りつき、ログインしてフリーメールを開いた。
「あ。三崎君てば。この連絡手段忘れてたね」
ああもう。うっかり屋さんだなぁ。
それともまさか私がフリーメールを使ってるとは思わなかったのだろうか。うん、有り得るかも。だって無防備にパソコン与えてくれてるし。
て、いうか、逆に逃げる気がないというのがバレていたり…とか…? そ、そうだったら非常にマズいけど!!
「まさかね…あはは…!」
もうこれ以上問題を増やして頭をパンクさせないよう振り払い、アドレス帳を開いて、地方にいる友人の連絡先を入力した。
「雪奈、へ、何、か、適当、に、2、,、3、個、お土産品、送って、くれないかな、?、お金、は、後、で、払う、ので、荷物、も、着払い、で、お願いね、。、…と」
しかし、こういう時顔が広い親がいてよかったと思う。
この雪奈という子は、小さい頃から親同士の繋がりで仲良くして貰っている子だ。内気な私の変わりに親が友達を連れてきてくれたようなものである。
そうして出来た友人は全国各地色々な所に住んでいて、各方面に広がるネットワークはバッチリなわけです。
住所を打ち込んで、そこでピタリと指が止まる。
このままメールに私の今の状況を打ち込んだらどうなるのだろう。
私は助け出されるのだろうか?
その場合、三崎君はどうなるのだろうか。
下手したら警察に捕まってしまうんじゃないだろうか。
そんな想像をしてぶるりと背筋が震えた。
「…そんなの駄目! 私なんかのせいで三崎君が警察になんて…!!」
こんな状況になっても、やっぱり三崎君は私の好きな人には変わりはないのだ。
何も酷い事はされていないし、エロい事もっていうかむしろ何もされなさ過ぎて実感が沸かないくらいなのに。
それにまだ私の心は、悔しい程三崎君の言動一つ一つに動かされている。
辛くはない。
寂しいだけ。
メールには“彼氏さんにもよろしく”と当たり障りのない文章で締めて送信をした。
パソコンを閉じるとテレビの天気予報のアナウンスが流れてくる。
どうやら今日はとても冷えるらしい。
そういえばどことなく寒くなってきたかも。
エアコンのリモコンを取って温度を上げると、ゴオオと音が少し大きくなった。
1人の静かな部屋には、丁度いいかもしれない。