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監禁2日目。
トントントン、と包丁がまな板に当たる音が心地よい。
その音に目が覚めると、実に清々しい気持ちだった。
殺される目的ではないこの監禁は、ただ手錠と足枷がついているだけの居候だという答えに行き着いてしまったからだ。むしろペットでいいのかもしれない。
飢える心配もないし、お風呂もトイレも行かせて貰える。
夜の奉仕はどうやらないようだし、“いてもらうだけ”と言っていた通り、必要最低限以外は基本放っておかれる事も分かったので、ニートwith手錠・足枷として、番犬が如くしっかりこの部屋を守らせて貰う事にした!
学校の友人達にはちょっと心配をかけるかもしれないけど、まぁそんなに毎日頻繁に連絡をとっていたかというと否なので、面倒くさがりの私の癖が出たと思われるくらいだろう。
実際三崎君を探し回っていた時だって、顔合わせる事がなかった日もあったし。
とりあえず既に馴染んだ手錠の鎖を持ってベッドを下りる。
キッチンでは三崎君が朝ご飯を作っていた。
どうやら白飯にお味噌汁がつくようで、その豪勢さに抱きついた。
「……な、んで起きてる…! ちょっ、くっつくな…!」
肘で頭をゴンゴン突かれるが、開き直った私は強い。
長い足で腹を擦られようが、壁際に磨り潰されようが、私の好きは止まらない。
学校にいる時よりも、家にいる時の私への扱いがどことなく手荒いのが、素を見れたようで嬉しいかもしれない。
「……くそ…っ。鎖が長かったか…」
短いものを買わないと、と頭上でぶつぶつ言っているのを聞いてパッと手を離した。
これ以上短くされるのは色々と不都合だし!
名残惜しみながら戒めを解き、そそくさと部屋に戻る。扉の向こうのキッチンからは、はぁ、というため息が聞こえたような気がするけど気にしない。
何もする事がないのでテレビをつけて、クッションを抱いて朝のニュース番組を眺めた。当然ながら、私がここにいるというニュースはない。
だけど私はここにいる。
手足を拘束されて、ニュースを見ながらご飯を待っている。
なんだか不思議な感じで笑ってしまった。
「……何…笑ってる……」
トレイにご飯とお味噌汁を乗せてやって来た。
朝のニュース番組って久しぶりに見たから、と言うと『そうだろうな』と返された。
なんでそんな事言うんだろうと首を傾げると、
「……君が…来るのは、大体昼近く…だったから……」
と答えてくれた。
私は朝に弱い。
だから朝は沢山寝られるよう授業を入れておかなかったから、訪問は大体お昼になってからだった。
そんな私の行動がちゃんと記憶に残っていたようで、すっかり嬉しくなってしまった。
しまったという顔をしていたけど、もう遅い。
私は上機嫌で三崎君手作りの朝ご飯を食べ始めたのだった。
*
「三崎君って、いつも授業中何してるの?」
初めて授業が被った日、本能の赴くまま彼の隣を陣取って声をかけた。既に丸くなりかけていた彼の、目の前にぞんざいに放られた手つかずのノートが寂しそう。
「……」
ノートから本人へと視線を移せば、頬杖をついて視線だけを寄こし、『なんで?』とオーラで応えてくれた。
相変わらず三崎君は教室の一番隅の席に座っていたので、私が隣にお邪魔すればそれはもう楽に逃げ道は塞げました★
私が隣に来たのを見るなり席を立とうとした三崎君だったけど、授業の鐘が鳴り先生が入って来たのに気付くと、渋々といった風に腰を降ろしていた。先生ナイスタイミンッ!
授業が始まったから一応ケースから眼鏡を取り出してかける。
すると視線を感じ、顔を上げると三崎君と目があった。かもしれない。
何?と首を傾げると『なんでもない』とそっぽを向かれた。変なの。
そして私の側の右腕を立てて遮断しているけど、私が覗き込むと肩を寄せ合っているように見える事には、幸いな事に気付いていない。へへっ。
そうやってじりじりと距離を詰め、緊張気味の初会話は気になっていた授業中の事だった。
「……なんで…」
ゆらりと凄く胡散臭げに見てくるので、慌てて誤解(?)を解く。
「あ! いえ、あの…何やら丸くなって可愛…一生懸命やってて気になったもので…!」
嫌なら別に答えなくても大丈夫!そう締めくくると1度前を向き、それから下を向いて『……ゲーム』と答えた。
わお。やっぱりヤンキーかもしれない。
今そういうの流行ってるらしいからね。三崎君も例に洩れず現代っ子だったのか。まぁ情報科に入るくらいだもの、機械に強いんだ。
ちなみに私は弱く疎いから入ったのだ。
「……」
「……」
沈黙。
どうやら喋らない時はとことん喋らないらしい。なんて硬派!
特に会話がないまま、よく分からない言葉を紡ぐ先生の声が教室内に響き渡る。
別に2人きりという訳でもないのに、隣に三崎君がいるというだけで、私の鼓動が早鐘を打つ。
いつもは眠い筈の先生の声が、今日はとてもよく聞こえる。
だけどその分いつも以上に授業に身が入らない。
ノートの書き取りだって、私の字じゃないみたいにミミズが這いまわっている。
左手で頬杖をついて、ちらっと隣を盗み見ると、同じく右手で頬杖をついて黒板を見ていた。
前髪を少し流し、その間から見える瞳が真っ直ぐで、凄くドキドキした。
今日はどうやらゲームをしないよう。
隣に誰かいる時にそれをしないのは凄く好印象です。株が下落を知らない。
その瞳をこちらに向けて欲しい。
「三崎君」
私が小さく声をかけると、姿勢はそのままに視線だけくれた。
やった! 目的達成! 今きゅんってきた…っ!
…と喜んだのも束の間、視線は『何?』と、『用事は?』と言っていた。
…。
どうしよう…! 後先考えずに呼んでしまったけど!
何も考えてなかったー…! ひぃぃん!
私がテンパってる間もそれは逸らされる事はなく、焦りに焦って出た言葉が、
「―――み、“三崎”と“村崎”って似てますよね!」
だった。
…もう…穴があったら入りたい…何これ…何が言いたいの…。
今すぐ教室から飛び出したい。
顔を覆いながら羞恥に悶えていると、
「……まぁ…」
と呟いたきり沈黙が訪れる。
あ、やっぱり続きですよね?だから何?って感じの会話だったよね。
見られているのと会話の続きのなさに頭が真っ白になって、机に突っ伏した。
もう駄目だ、と少し離れた場所にいる友人に助けを求めて視線を送ると、『頑張れ!』と親指を立てられた。
孤立無援の状況の中、限りなく近くにあった腕と腕同士が微かに触れ合った。
ドキッと心臓が音を立て硬直していると、小さな振動が伝わってくる。
ちらりと隣を盗み見ると、頬杖をついたまま外を向いている三崎君の姿があった。
「……それで終わりとか…何それ…。つ…ツマんな…っ」
三崎君の背中越しから窓ガラスを見ると、唇が弧を描いていた。
こんな私のつまんない会話につきあってくれた。
ツッコミもくれた。ついでに駄目出しも。
クールに悪漢達から守ってくれた三崎君が、笑みを浮かべている。
そのどうしようもない幸福感に、机から顔があげられなかった。
*
「さて。今日は何をしようか」
腰に手を当て部屋の中を見回してみた。
とりあえずBGMにテレビをつけておく。
するとドラマの再放送が流れ、ヒロインが旦那の部屋の掃除をして(浮気の証拠を見つけて)いたのを見て閃いた。
「部屋の掃除をしよう!」
そして帰ってきた三崎くんに、
『なんて気がきく女なんだ。このまま一生ここにいろ!』
とかなんとか言われたりして! 広い胸にぎゅっと抱き締められたりしたい!(願望) そしてあわよくばもっと親密になりたいっ!(目標)
不埒な餌を自分で掲げ、鼻息荒く立ちあがって掃除機を求めて押入れを開けると、私の目の前で雪崩が起きた。
落ちてくる段ボールを避けようとして足元の鎖に躓き、不意打ちも相まってその場に尻もちをついて頭から倒れた。
手をつこうとしたけれど、鎖がお腹を締めつけ後ろに持っていく事が出来なかった。
決して鈍くさいとか反射神経がないとかそういう訳ではない。
「痛ぁ……」
前にしか持っていけない手で頭を擦り、置き上がれば私の上に覆いかぶさる物の正体を見て驚いた。
それはセーラー服だった。
「…何でここに…制服が?」
セーラー制服だけではない。
目にも鮮やかなピンクのブレザーや女物のワンピース、フリフリのレースのついた服やメイド服、果ては体操服などがあった。
どれも新品で、三崎君が着ている気配はなく、そこは安心した。とても安心した。
そして制服をどけると小さな人形やCDとDVDが散乱していた。そして隣にはくしゃくしゃになった中身の無い紙袋。どうやらそれに入れてあって、雪崩の際に散らばったのだろう。
「女の子の人形…ビスクドールって言うのかな? 意外と可愛いもの好きなのかしら」
同じ顔の女の子が色んな服を着てポーズを取っていた。突き出した胸は大きくなく、私は親近感を持った。非常に持った。
そう言えば高い所から落とした事を思い出し、慌ててばらばらに散らばった人形達を見回すと、生首が1つ、ころりと転がってこちらを見ていた。
「ひぃっ! どどどどうしよう…壊しちゃった…!!」
慌てて本体を探すと、可愛い制服に包まれているがやはり顔が無いという、見るも無残な姿で横たわっていた。すぐさま合体させようも凹凸式ではないらしく、はまらない。
どうすればいいのだろうと首の断面を見ると、透明なものが付着していた。顔の方の断面にも同じものがある。
「あ、もしかしてもうとっくに壊れてしまってて、接着剤でくっつけてあった…のかも…?」
とりあえず初犯じゃないという事実だけが私を安心させた。
ホッとして接着剤を探し、綺麗に合体させて証拠隠滅を図った。
直している間に気づいた事が。
人形の着ている物と床に散らばっている制服が同じ…ように見えるんだけども…。ていうか一緒だ。まるっきり。
同じものを原寸大で買ってどうするんだろう。…まさか作ったのだろうか? 裁縫が趣味!? ま、まさかね…。でも三崎君なら可能そうだけれどね。
ちなみに私なんて家庭科の授業は2だった。しかも限りなく1に近い2。(1は出したくない大人の事情もあった)授業で裁縫した時なんか、流血沙汰で周りの子達は血の気が引いてたし、ミシンを使おうものなら後ろと横に先生がずっとついていてくれたくらい。
「…ていうかこんな小さい服、何の為に?着るの?でも三崎君は…明らかに入らないし…」
そう、私ならば可能なくらいの―――
とまで思考が及んで制服を持つ手が止まった。
とても…嫌な予感が頭をよぎった。
監禁、拘束ときて、カラフルで多種多様な業種の制服達。
Q.それが意味するのは?
…。
「……いやいやいやまさかね! 私ったら何考えようとしてるのあはは!」
きっと中学生の妹がいて、彼女の私物を預っているだけだよね!
うんうん、きっとそうだ。勝手に見てごめんなさいと謝り、それを畳んで押入れに押し込む。そして目的である掃除機を引っ張り出し扉を閉めた。
プラグを捜して掃除機を無事に稼働させると、ブオオと少し煩い音が響き渡る。
ゴミを吸い取っている間も押入れが気になって仕方がない。
…もし。
もしもよ?
もし仮に三崎君がそういうつもりで買っていたとして、それを私に強要してきたら?
私はどうするんだろう。
…なんて愚問じゃない。
なんでもドンと来いと言ったのだから女に二言はない!
大好きな三崎君が望むならそういうのもヨロコンデやりますとも…っ!!
とりあえず言われたらの方向で。そういう心構えだけしておこう。
藪蛇は突付かないんだから!
それから布団を干して、洗濯機の端ギリギリにかじりつき、なんとか回す事が出来た。ドラムから取る時は布団叩きで掬う事になったけど。
三崎君の洗濯物を触るだなんて破廉恥な!と照れた…慌てたものの、自分の物を洗われる方がいたたまれないので、彼の居ぬ間にやり終える事にした。べ、別に匂いは嗅いでないからオッケーですよね!
1人言い訳をしながら洗われた洗濯ものを籠に入れ、ハンガーにかけてから窓のサッシに吊るす。
三崎君の洗濯物は当然大きく、自分のものと大分重さが違う事を知った。
そして窓に並べられた私の服と三崎君の黒い服が、仲良く(?)日に当っているのを見てどこか嬉しくなってしまった。
半面、少し羨ましくなった。
「私もこうやって隣にいれたらいいのに」
黒の服の端を摘んでグイグイと引っ張れば、少し伸びてしまった。
午後3時になり、私はテーブルの上にあるノートパソコンの電源を入れた。
人のパソコンを触るのはアレだと思うけど、別に禁止って言われなかったし…!
と心の中で言い訳をしていると、ユーザー選択画面にぶち当たった。
「むぅ。しっかり保護されている訳ですね」
覗くつもりはなかったのだけれど、少し…ほんのちょーっぴりは気になっていたのに。
マウスを動かして違うユーザーの方をクリックしてインターネットを開く。
「肉じゃが…肉じゃが…は、と」
そうです。
ご飯を作って貰ってばかりではあれなので、私もお返しにと今日の晩御飯をこしらえる事にしたのです。
だけど残念なのは、私は料理が得意ではないという事。
三崎君と違って私は1人暮らしのくせに自炊なんてこれっぽっちも出来ておらず、大体外食か白米オンリーで乗り切ってきたくらい。
そんな腕の私が肉じゃがの作り方なんて知っている筈もなく、こうやってパソコンを拝借する事になったのです。
レシピ本を探したんだけど、そういうのは置いてなかったんだもの。最近の子はネットで調べるんだね。タダだし便利なのかも。
そして何故肉じゃがなのかというと、こう、胃袋をゲットする為です。
「…わぁ…沢山必要なのね……」
材料の欄を見て冷蔵庫を開けると物は揃っていた。
流石三崎君。完璧。
しかし、対する私は全然完璧には程遠かった。
ガシャンとボウルが落ちれば包丁が落ち、肝を冷やせば調味料をぶちまける。
台を拭けば材料が転がってゆき、追いかければ鍋が傾く。
その度にジャラジャラと鎖が音を鳴らす。
きっと両手が塞がっているせいだ。そう信じて初めての肉じゃがの完成を心待ちにした。
「……………なに、これ……」
いつも以上に言葉少なになっています。家主の三崎君のお帰りです。
「お、お帰りなさ…い? こ…これは、あのですね! 肉じゃがを作っていました!」
床に座り込んで掃除をしてしていた私の前に、三崎君が立ち塞がりました。
180センチ越えの身長はなんとも言えない威圧感に溢れていた。
こそこそと片し終わらせ、バケツに雑巾とモロモロを入れてキッチンの隅に寄って彼の進路を開けた。
だけど三崎君は一向にその場を動こうとせず、遥か高い位置にある顔を伺うと。
「……なんで?」
と質問された。
なんで、とは。
“なんで”肉じゃがなのか。今日はカレーの気分だったのに。
とか。
それとも、
“なんで”勝手な事をしたのか?
とか?
さっきまで高ぶっていた気持ちが一瞬にして萎み、三崎君が見れずそっと視線を外した。
どう言えばいいんだろうと汚れたキッチンマットを見つめていると、質問の答えをくれた。
「……待てなかったの?」
そんなに腹減ってたのか、全く斜め上の答えが返ってきて私は驚いた。
どれだけ飢えてる子に見られてるの!卑しいと思われてるの…!!
慌てて首を振って弁明を図る。
「き、昨日作って貰ったし…! 日中ここにいる私に出来る事って言ったらこれ位だし!」
「……出来る…事…だと?」
シンクにうず高く積まれた物を見て怪訝な声で言われた。
うぐ。出来ては…ないけど、無事に終わった、し…!それくらい多めに見て欲しいと思う!
「は…初めて作ったから…上手く出来なかったんです…。ご、ごめんなさい勝手な事をして…」
「……確かに何でもしていいとは言ったけど…」
がしがしと頭をかきながら三崎君は言った。
「……飯作るとか……自覚、あるの?」
と、言うのは、この状況の事を指しているのだろう。コクリと頷くと三崎君はため息を吐いた。
そしてちらりと鍋を見、私を跨いで部屋に入っていってしまう。
置いていかれた私はその場で動けずにいると、部屋の中から呆れたような三崎君の声がした。
「……飯、炊いてないじゃん…。君って…本当、猪みたいだな……」
冷凍庫からカチカチの白飯を出し、レンジに入れていく。それをじっと眺めていると、三崎君の唇がヘの字になる。
「……何してる…。食べるんだろ…」
そっけない声の温度とは裏腹に、意味の温かさに私の心は舞い上がる。
ジャラジャラと鳴る鎖の音は、今は聞こえなかった。