再び編 2
結果的に言えば、ミッキーは来なかった。
「三崎くんは何かける?」
卵と納豆とふりかけを並べて、可愛く選択肢をくれた。
ローテーブルの上には、ピンクとオレンジの小さなお椀に入ったほかほかの白飯が2膳。そして同色の箸。向かいには白色のワンピースの村崎さん。
女子らしい色合いづくしに、黒い服から生える手を伸ばすのも躊躇いがちになる。異物混入。
だけど腹は減っているのでとりあえずふりかけを選んでみると、『はいどうぞ』とふりかけがかけられたお椀を両手に持って手渡された。
これは、やばい。
色気のないメニューが、新妻ちっくに渡される事によって食卓に華が添えられ、美味しそうに輝くメニューになった。
しかし現実は、ふりかけをかけたただのご飯だ。
ちゃんと現実を見よう。しばらく赤色に彩られた白米を眺めていると視線を感じ、顔をあげれば村崎さんと目が合った。
「て…手伝いましょうか?」
ともじもじ言われたので、何の事やらと思って村崎さんの移動した視線の先には手錠が。
ノーサンキュウ。
食べられないと思われたのだろうか。だが鎖は身の幅もあり、十分可動出来る長さだと首を振った。
『残念』と聞こえた声はきっと風の悪戯かなにかだろう、気に止める事はやめて白米に集中する事にした。
だが残念なのは、すきやきの味などしなかったという事だ。思っていた以上に緊張したらしい。
これだけで縮み上がるとは、チキンの名に相応しいな。流石俺。
奴が来るまでDVDでも見て時間を潰そうかという提案をされ、それに乗ったと頷くと、ウキウキと嬉しそうにDVDをデッキにセットした。
何故そんなに嬉しそうなのかは分からないが可愛い。
テレビの隣にはカラーボックスがあって、他にも沢山DVDが並んでいる。
参考書の中にレシピ本らしき物が見え、ふやけている雰囲気だ。…使っている…のか…?
鏡や化粧道具も並べられていて、その隣には黒い鼠の人形もある。そのつぶらな瞳、愛くるしい笑顔に、フルボッコしたい衝動が湧き上がる。
押さえろ俺。視界に入れるなとテレビに集中した。
しかし、テレビから流されてくる物語にいたたまれなくなった。というか初めてで恥ずかしくなった。
それは俗に言う“ラブストーリー”なるものだった。
アニメ映画やアクション映画以外見た事がない俺にとって、衝撃は凄かった。
だって戦わないから血は出ないし、ピンチになる山場がない。ただ淡々と愛?なるものを深めていく話なのだ。多少コミカルな要素もあるが、笑いのツボが違う。
男が戦ってヒロインを得るのならロマンがあっていいなとは思うが、オフィス街でちらほら降る雪の中、傷心のヒロインに手を差し伸べるヒーローの話に、面白さが見出せなかった。
ごめん村崎さんと横を見ると、いつの間にか眼鏡をかけている。本気だ。
そして唇を引き締め眉を寄せて、泣くまいとしているのだろう必死に目を瞬かせて食い入るように見ている姿があった。
DVDがあるという事はきっと、凄く気に入っているものなんだろう。テレビの横にはパンフレットもあるし、何回も見ていそうだ。うんうんと頷きながらも目を離していない。
時には笑って、時には怒る。諦めるなとエールを送っている。松岡か。
しかし。
こういうのが好きなのに、どうして俺なんだ、という疑問が浮かぶ。
映画の男みたいに社長でもなくイケメンでもない。車も持ってないし気のきく事もしていない。…痛たた…。
それでも飽きる事なく俺に笑う。
つまらないと、すぐに飽きるだろうと思っていたのに、なんて辛抱強さなんだ。
この1ヶ月、俺は何かをするどころか避けようとしていたとか、これじゃあ本当に最低じゃないか俺。オタク以前の問題だと、画面の向こうの彫りの深いイケメンの社長が哂っている気がする。
映画はエンドロールを流し始めると、ふとこちらを向いた村崎さんと目が合った。
すると慌てて目元を擦り、頬に手のひらを当てて『なんでこっちを見ているの』と怒った。
映画を見るよりも面白いとか思ってたなんて失礼な事を言える訳もなく、なんでもないと目を逸らすと、積み上げられた雑誌の下に何か大きなものがある事に気がついた。
「……あれ…何?」
すっかり荷物置き場になっていて、カラフルな部屋に似つかわしくない黒いものが気になった。
すると雑誌を避けてそれを見せてくれた。
「あ、これは電子ピアノですよ」
音楽室でしか見た事がない白と黒の鍵盤が現れた。
何故そんなものがと思ったが、そういえば前に趣味はピアノと言っていたのを思い出した。
「流石に実家にある大きいのは場所とって邪魔だったから、小さいのにしたの」
たまーに弾いてるよと荷物を退かしながらフォローしている。積み上げられた荷物の量に説得力がない。
自分にはないスキルに興味が湧き、何か弾けないのかと聞けば、少し考える仕草をした後、小さな手を鍵盤に滑らせた。
思わずお願いしてしまったが、ピアノの曲に縁があるわけがなく、知らない曲にどう反応しようかと焦っていると、知った曲が小さなピアノから流れてきた。
マジさゆのオープニング…!!!
何度確かめても俺の知っている曲なのは確かだった。それはサビから始まったかと思えば直ぐに終わってしまい、興奮のあまり何故止めてしまうのかと詰め寄ってしまった。
村崎さんは肩をすくめ、目を真ん丸に開いてドン引きして後ずさる。
ゴメンこんなオタクが近寄って! ハァハァはしてないと思うから許して! だけどそれどころじゃないんだ!
「どうしてその曲を…!?」
余程必死な顔をしていたんだろう、落ち着かせるかのようにふわりと笑い、携帯を指差した。
「さっき、三崎君の携帯が鳴った時に流れていたのを弾いてみただけです。着メロにしてるから好きな曲なのかなぁって」
何の曲なの?と首を傾げてくるから、マジさゆのオープニングだと教え、携帯を開いてフォルダからフルを再生させた。
「……これ、弾けたり…する?」
頭を寄せ聞いていた村崎さんに問うと、『初めてだから上手くいかないかもだよ』と笑って音を鳴らした。
それはまさしくネ申だった。
小さな2つの手が迷いもなく鍵盤を弾く。
流れるように動く指は、いつもどんくs…おっとりしている彼女からは考えられないくらい鮮やかだった。
時折そのふわふわの髪を耳にかけたりして、髪が絡まる指に、普段見る事のない小さな丸い耳に、目が奪われる。
鍵盤を見つめていたかと思うと、『合ってる?』とこちらを見上げてくる。
頷くと『よかったー』と笑い、再び鍵盤に視線を戻す。
その様子が可愛くて、ずっと眺めてしまった。
やっぱり不思議と飽きがくる事はなかった。
じゃんっと締めて、鍵盤から指が離れる。
「これ可愛い曲だね。弾いてて楽しいかも!」
何でもない風にやってのけた村崎さんに、堪らず大声をあげてしまった。
「凄い…! 凄いよ村崎さん! 貴女がネ申か!!! ていうか意味わかんないナニその手どうなってるの!!」
逆に怖いわと興奮のまま叫ぶと、『てぇーーーっ!!』と真っ赤になって叫び返す村崎さんと目が合った。
何事かと思って視線の先を見ると、村崎さんの両手をしっかり握り潰している自分の不埒な手があった。
その下で揺れている鎖が嘆かわしい。貴様全然枷の役割を果たしていないじゃまいか。
慌てて離すも、気まずい沈黙が訪れる。
なんとかせねばと急いで口を開けば、
「……エンディングは…弾ける?」
と出るのだった。
もう俺死ねばいい。
どこまでKYなの。気が利かないの。
そろそろ自分の対話スキルもあげねばならないと心に決めていると、『聞かせて?』とはにかむ彼女がいた。
他にも弾いて貰っている間に色々聞いてみると、ピアノの他にフルートやハープ、バイオリンやトランペットなどと、かなり幅広く出来るようだった。いや、本当はまだ他にも言っていたけど、耳馴染みの楽器じゃないせいで全然覚えてられなかった。
だけど決まって、ピアノと同じくらい下手と言っていた。
じゃあ上手いんじゃないかばかやろう。何を謙虚に。らしくない。
ていうか、もしかして身体が小さいから色々届かなかったりするからなのかと邪推してみた。やだナニソレ萌ゆるっ! 是非見てみたい!
なんて失礼な事を考えている俺の前で、至って真面目な顔でこちらを見上げる村崎さんがいた。
焦って何を見ているのかと聞けば、『さゆさゆはピアノ弾けるの?』と聞かれたので、バレてはいないとほっと胸を撫で下ろしつつ否と返すと、『やった勝った! 年の功ね!』と拳を作った。
いやいやいやいや。
リアルにいる時点で勝っているというか、最早争うレベルではないというk
キャラソンを華麗に弾く彼女に、苦いものが胸に広がる。
彼女の好きな映画も見てない俺に、愛どころか気の利いた冗談も言えない俺に。
こんな俺に付き合ってくれている。
甘えている自分のこの状況に、苛立ちも感じた。
せめてこの笑顔が自分の手で見られるように、釣り合う人間になれないのだろうか。
この鎖が必要としなくなるようにと、そう思えた。
どれだけピアノで遊んでいたのか、時間は5時頃になっていて、小腹も空いてきた。
「そういえばミッキーさん遅いですねぇ」
外を見ればもうとっくに暗くなっていて、携帯にも連絡はない。
おかしいと思って電話をかけるも、電源が入ってないとアナウンスされた。
「……出ない……」
ガックリ項垂れると、村崎さんは『忙しいのかもしれませんね』と笑って台所へ立った。
何をするのかと見ていると、包丁を取り出した。
まさかと思って声をかけると、
「え? あ、はい! 炒飯を作ってみようと思いまして! 今からやらないと6時に間に合わないので!」
と返ってきた。どういう計算だ。
包丁を両手で握っている時点で冷や汗物だったが、調理?し出しす頃にはそれがまだ可愛らしい物だったと悟った。
ただでさえ台所の台が高くて切りにくそうだと思っていたのに、ネギを切るだけなのにへっぴり腰になって更に切りにくそう。
猫手を意識してるのはいいが、力が入りすぎてネギを磨り潰している。横にずれるなんて事は考えもつかないのか、上下運動になっている。
それを見て大人しく待っているだなんて出来る訳もなく、数歩でつく台所にいる村崎さんの後ろに立つと、ビクッとしてへっぴり腰が直る。まだ何も言ってないのに。
「み…三崎君…?」
「…ネギはあるんだ……?」
「あ、はい。納豆にはネギがないと…って、あ、あの…、まだ全然出来ないからテレビでも見ててというか…途中経過はまずいというか…」
ビクビクとチラ見してくるのがまた面白い。
自分の腕に自覚はあったのか。それはよかった。
「……切るのは…やるから……村崎さんは…ご飯、よそって…」
危ない凶器を奪い、背を押して目の前から追い出せば、むくれたように唇を尖らせた。
慣れない事をして怪我でもしたらどうする。それに自分でやった方がいろんな意味で安心すると言えば、そのまま力なく頷いた。
…やばい。
このままではいつも通りただの嫌な奴のままじゃないか。
ちゃんと人の事を考えて行動しろよ俺! さっき頑張ると言ったじゃないか!
どうすれば傷つけないのかとぐるぐる思考を巡らせて、ようやく出てきた答えは、
「……上手く…出来るよう…教えて…あ、あげる、から…」
という大変上から目線のものだった。
もう嫌だ。
どうしてこうなるの!
実際上だと思ってもそう感じさせないようにするのがいい男、イケメンなんだろうが!
外壁は仕方ないから心だけでもイケメンにと思ったけど、やっぱりどう天地がひっくり返っても無理なんだな!
そう世の常識を嘆いている俺の前に、ご飯をよそって戻って来た村崎さんの顔には満開の笑顔があった。
何故。
「はい! お願いしますっ!」
そう言ってご飯が入ったボウルをくれた。
そして隣に立って『次何すればいいですか?』と見上げてくる。萌えのゲージがあるとしたら振り切っていた。
どうしてそんなに可愛く出来r…何故あれで機嫌が戻ったのか分からないが、やる気が戻って来たのはよかったと思う。
それからネギの切り方から卵の割り方、炒め方から味付けの仕方まで実践交えさせながら調理していると、完成したのは6時を少し回っていた。成程、計算通りだ。
何もないのはアレなので、インスタントの味噌汁もつけた。合う合わないは別として。
「いただきます」
テーブルに乗せて囲めば、終始笑顔だった村崎さんが更に笑顔になる。とろけそうだ。
本当に美味しそうに食べる。
それをじっくり堪能した後、ほぼ自分で作った炒飯を口にした。
「……ん?」
「どうしました?」
止まった俺に、村崎さんは向かいで不思議そうに眺めている。
何でもないと頭を振るが、やっぱりおかしい気がするんだけど。
材料も最低限だし、所々ネギが繋がっていたり、白飯が混ざっていたりする不格好なものなのに、
いつも自分が作るものより凄く美味しく感じた。
「美味しいですね。流石三崎君です」
へへっと笑う彼女を見て、ようやく分かった。
その答えに頭を抱えた。
ああもう駄目だ…俺の頭…。
「…本当にいいんですか…?」
風呂からあがってきた村崎さんが、髪の毛を乾かしながら言った。
「……手錠…のままは…流石に無理…。…明日…入る…」
軽く2日入っていないのは土下座したくなる程申し訳ないと思うが、このまま上手く入れる術を知らない。
あの時のように鍵もないから外して服を抜く事も出来ないし、何より俺のヤツよりも鎖が短い。脱げない服が水浸しになる未来が安易に想像出来る。
「大丈夫ですよ? お風呂だけなのでびちゃびちゃにしても。あ、なんなら私手伝いま―――」
す、と言う前に口を覆ったが、遅い。全部聞こえた。
誰が触らせるか…!
恥じらいの意味でなく、理性と萌え的な意味でだ…!
断固断って携帯を取り出し電話をかけるも、相も変わらず電源がお切りの状態で、本当にこのまま泊まるしかない状況になってしまった。
どうしようと項垂れていると、テーブルをどかしている村崎さんがいた。
何をしているのか眺めていると、ベッドの足元側にある押入れから布団を出した。最早それは布団が歩いていると言った方がいいだろう。
どさりと床に置いた(落とした?)かと思うと、それを敷き出した。布団を敷いている! 大事な事なので2回言いました!
「私が地べたに寝ますので、三崎君はベッドに上がってください」
時計を見れば9時を指していて、その準備をするのは頃合いだとは思う。
だけど俺の準備は出来ていないのに。何故こんなにナチュラルなんだろうこの子は。
「今日は夜更かししましょうね! お菓子もジュースもバッチリですよ!」
1回やってみたかったんだーとウキウキと毛布を敷いている。
成程、彼女は昨日も経験している為にこの落ち着き様か。
そして俺が酔い潰れていたせいで、修学旅行の夜イベが出来なかったと責めているのか。
…。
よ、酔い潰れたい…っ!
あれ程酒は駄目だと言ったが今はいいんじゃないだろうか…!
しかし幾ら望んでも未成年は駄目だし、酒を買いに行かせても100パー年齢確認をされるじゃないか萌え…っ!!
うおおおと(色々)悶えているうちに舞台は整い、布団の上でお菓子を広げジュースを注ぎ出した。
それがこれから続く夜の時間に妙な生々しさを感じさせ、今まで無意識に見ないようにしていた現実が目の前につきつけられた。
薄いピンクのパジャマに、横で1つに纏められた水気を帯びた髪。
垂れる水滴が、パジャマの襟から中に入って鎖骨を濡らす。
ズボンの裾から覗くほっそりとした足首には枷はなく、くるぶしの凹凸が浮き彫りになっている。
上着のボタンの間の間隔が広いせいで、中が見えてしまうんじゃないかと冷汗が垂れる。
そんなラッキースケベ今は望んでいない! 無理! もっと(心が)大人になってからでお願いします!
堪らずチェンジを要求した。
「え!? だ、駄目ですよ! ていうか三崎君そればっかり! ここは私の部屋です、お客さんを地べたには―――」
「ベッド小さい」
そう言えば、え、と口を開けて見上げてくる。
足を伸ばしてベッドの柵に向ければ半分程使う。胴はこれより長いんだからと言えば、成程、と手を叩いた。
「だから丸まって寝ていたんですね」
小さくなって可愛かったと呟いたのは聞こえなかった事にする。
もっと深く追求されれば他にも色々言い訳を考えていたが、アッサリ納得してくれてよかった。
場所が入れ替わり、ほんのりあったかい布団に座った時はどうかなるかと思った。タヒね俺。
だけど今日1日で精神疲労が半端ないお陰で、既に眠気が瞼を襲っていた。
仕方ない、自然の現象なのだとお似合いの地べたに這いつくばると、ベッドの縁に寝そべった村崎さんがこちらを覗きこんでいた。
何を見ているのかと聞けば、別にとはぐらかされる。
だけど相変わらず見られているのに耐えられず、傍にあったチョコ菓子を摘んで軽く視線を逸らして逃げると、オレンジ色の布団を少し手繰り寄せ、抱きしめるように腕の中に収めるのが目の端に入る。
そして。
「…明日、楽しみです。初デートですね。よろしくお願いします」
頬を染め、柔らかく笑うのをバッチリ見てしまった。
口の中でチョコが溶け、甘さが広がる。
外も内も、甘ったるいものが俺をどろどろに溶かしにくる。
それは、非常に心地よいものに感じた。
だけどね、村崎さん。
俺は明日が怖いです。
生きていられるのかね、俺。