第一話
そよそよと通り抜ける風に誘われて、折り重なる緑色の葉々がさらさらと音を立てていた。緩やかな傾斜のついた並木道。朝と夕の一日二回、そこは登下校の生徒で賑わいをみせる。その日もまた、丘陵の中腹にある学び舎を目指し、多くの生徒たちが並木道を登っていた。
坂を遡行する人波の一員として、土方まなかも、その道を歩いていた。ちょっとくせのあるショートボブ、眠たげとも優しげとも評される少したれ気味の眼差し。歩く姿は他の生徒同様、いたって普通の高校生。ただ、その歩みが少し緩慢なのは、彼女が前日体験したことに思いをはせているためだった。
ぽけっと視線を空に向け、時々はたと立ち止まる。その背後から腕が二本、彼女の肢体を捕らえんと迫りくる。
「きゃっ!」
いきなり後ろから抱きつかれ、まなかは小さく悲鳴をあげた。
「マ~ナ~」
耳元でささやかれる恨みがましい声。その声、この行為、まなかの中で思い当たる人物はただ一人。彼女は笑顔で振り返った。
「おはよう。なっちゃん」
だが、その人物を見るなり、まなかは顔を曇らせた。不知火夏海。まなかのクラスメイトで幼なじみ。元気ハツラツが取り柄であるはずの彼女の表情は、どんより沈み込み、目の下にはクマが浮かんでいた。
「どうしたの? その顔」
夏海はその質問には一切答えず、うつろな瞳でまなかをジッと凝視した。
「なんで昨日、メールかえしてくれなかったのさ。ずっと待ってたんだよ。電話もつながらないし……」
「『ずっと』って、まさか朝まで?」
まなかの問いかけに、夏海はコクリと頷いた。
「……」
申し訳なさ七割、呆れ三割の複雑な表情をうかべるまなか。そんな彼女の肩をつかみ、夏海はカッと目を見開いた。
「もしかして病気! 具合悪いの!」
「ちがうよ。そうじゃなくて……」
まなかの訴えは完全無視。
「熱は! ……ないね。 顔色! ……良好。 脈拍! ……正常。 後は、後は!」
血走った目で、次々と触診・眼診が展開されていく。
「もう! なっちゃん、落ち着いて!」
今度はまなかが肩をつかみ、ゆっさゆっさと揺さぶった。
「じゃ~なんでぇ~」
「あのね。ケータイ、壊れちゃって……」
フラフラふらつく夏海に対し、作り笑いをうかべて告げる。原因を省き、あくまで結果のみ。
「そっかぁ。なら、しょうがないかぁ」
「……うん」
ウソはついてないけれど、どことなく感じる罪悪感から、まなかは伏目がちに頷いた。
「でもさぁ、それならそれで教えてよ。家の電話だって、パソコンのメールだってあるでしょ。まったく、マナはしっかりしてるようで天然なんだからっ!」
屈託のない笑顔からこぼれる友人の軽口に、まなかの心も軽くなる。
「あは。ごめんね」
「これはもう、ケーキおごりだね!」
「うん! 新しいケータイ買うのに付き合ってくれたらね!」
「行く行く! マナとだったらどこにだって!」
「もう、なっちゃんてば、調子良すぎ!」
はしゃぐ夏海を軽くひとにらみ。しかし、まなかはすぐに顔をほころばせた。
「だけど、ありがとう。心配してくれて」
「えへへ」
夏海は照れくさそうに頭を掻いた。