乙女椿の花落ちつ
散りてこそ花、されど落ちつる花はいかに。乙女椿なるはかく美しき花、されど散らず、すべてそのままに落つる花なり。われ思へども、かの花は世の乙女の恋のゆくへを表すものにあらぬか。乙女の恋は散る。美しきも醜きも散りぬ。乙女椿の花々は、乙女の恋の散りぬを知り、いとあはれに思ひ、思ひ余りて、つひに落ちぬべし。乙女椿よ、なはいかに優しき花ぞ。
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これはわたしの母が遺した日記の抜粋である。母は少し変わった人だったが、日記までもが変わっていた。擬古文。何て酔狂な日記だろう。きっと時間もかかったに違いない。
母は恋多き人だった。すれ違っただけの人に恋をしては失恋していた。最後の恋は、始まった瞬間に終わった。母は車道の向こうを歩く男を追いかけ、大型トラックにはねられて死んでしまったのだ。
さて、わたしは今、狭い庭に面した縁側のガラス戸の内側にいる。庭には乙女椿。ピンク色の、バラのように可愛い花が咲く木だ。母はこれが好きだった。
葬式も初七日も終わり、わたしは親戚や友人に煩わされず自由に過ごしている。小さな木造の家の中で。
最初はほっとしたが、最近、この暮らしは大していいものではないと思い始めた。乙女椿が落ちるのである。一つ、二つ、三つ。偶然ならいいが、落ちただけ咲き、また落ちる気がする。
わたしは母の日記を読み、この現象に理由を、それも非現実的な理由を与えねばならないように思っている。
乙女椿が落ちる。恋多き母の散った恋の数だけ。明日には三つ、明後日には七つ、明々後日には二十くらい落ちているだろう。
それは母の妄執を思わせるようで、少しぞっとする。
《了》
普通続きがあるんでしょうが、思いつかないので、というか擬古文で力尽きたのでここで。2013.1.5.花木静