01
この世界には、人間以外に魔族と呼ばれる者も存在する。数千年前、ウィトワに起こった大戦の後に、神は魔界の穴に聖木を植えたという。この聖木から挿し木したもので、各地に散らばる魔界への通路をふさいだ。それでも隠し通路があるのだろう。レベルの低い魔族は、今もあちこちに出没する。
おそらく、あの女性も魔族の部類に入るのではないだろうか。涙から生まれた、あの紅い石がただの宝石であるとは思えない。
ただ、今はそれどころではない。オーレリーはまず、アルシオンの家に行ってみたが、既に町長の手が回っていた。直ぐに引き返したが、今度は逃げるしかなかった。
そうこうしているうちに追っ手に見つかり、慌てて逃げ込んだ先は、やはりまた路地裏だった。
地理に疎いオーレリーでは、地元の足には勝てない。曲がった先が行き止まりになっているのを見て、舌打ちした。どうしようかと悩んでいると、右手の家の扉が小さく開いた。見た目では釘まで打たれて閉め切られているように見えたのだが、見せかけだったらしい。
扉の間から手だけが見えたかと思うと、こちらに向かって手招きをする。オーレリーは一も二もなく中に滑りこんだ。
中は暗かった。だが、そこに人が大勢いるのは分かる。しかも、その全てがオーレリーを注視していた。
「さぁ、早く奥へ」
その中から進み出た中年の女性が、オーレリーの手を掴んで中に入っていった。人の間を進むわけだが、その奇妙な感覚にまた戸惑う。衆人環視なのだからあまりいい気分ではないが、どうも歓迎されているわけではないらしい。かといって、追い出すつもりもないようだ。
ここにいる人達は、どうしてこんな普通の家に集まっているのかというのも、もやもやの理由に入る。
だが、今は黙って歩くしかない。
女性は隣の部屋に続く扉に向かうのかと思えば、その反対側の壁に置いてあった箪笥に向かった。
なんだろうと首を傾げていると、彼女はいとも簡単に箪笥を横にどけた。
「……」
「早く入ってください」
箪笥があったところには、ぽっかりと空洞があいていた。
言われるがままにくぐってみれば、また部屋があった。
女性は更に先へ行ってしまう。オーレリーはぽかんとしているところで、背中を押されて先に進んだ。後から人がぞろぞろとついてくるのである。
慌てて女性の後に続くと、今度は食器側をずらそうとしていた。その棚ですら、音を立てずに動き、その壁には穴が開いている。
さすがに、呆れた。
更にそれは六回にも及び、ようやく綱渡りは終わりかと思えば、今度は地下に潜るつもりらしい。やはり棚を移動すると、今度は壁ではなく、床に穴が開いている。
そこからは、延々と続く階段。足元は暗かったが、先頭を行く女性が持つ明かりが僅かに視界を広げている。ある程度下ると、一直線の通路に繋がる。このままだと町を外れるのではと危ぶんだ頃、上りの階段が始まり、今度は少し上ったところで、明かりが見えた。
階段を上りきり、頭を出してみれば、そこもやはり民家のようだった。
暗い屋内に視線を巡らすと、少し広い屋内には、あまり家具が置かれていないようだ。唯一家具らしいのは、一番奥に置かれた、机と椅子だけである。
その椅子には誰かが座っている。
「さぁ、こちらに」
女性が手招きをする。
その先にいたのは、
「やぁ、意外と早く出てこられたな。オーレリー」
アルシオンだった。
「……、こんなところにいたのか」
オーレリーは幾分脱力して、目の前で腕組みした少女を見下ろした。
しかも、今の言葉は聞き捨てならない。少女は、オーレリーが捕まることを見越していたような言い方だ。
「どういうことか、ちゃんと説明してもらおうか」
幾分強張った顔でオーレリーは尋ねたが、少女はもう彼の方を向いていなかった。
「マヤ、もうあの通路は閉じたか? 結界はそう長く開けると、不審がられる」
「それは勿論。皆様方も、無事に家に着いた様子です」
「そうか」
そう、振り返っている暇はなかったから確認していなかったのだが、後ろからついてきていた集団は、進むうちに足音が減っていた。階段を上るところまできたときには、誰一人残っていなかったのである。おそらく途中、脇道が存在していたのだろう。随分大掛かりな地下通路だ。町全体に繋がっているのかもしれない。
それよりも、今結界と言ったか?
「俺に説明する気がないなら、帰る」
「まぁまぁ、そう逸るなよ。昨日の話の続きはここでしよう。あんな狭いところより、いいだろ」
機嫌が悪いのを示すように口をへの字に曲げるオーレリーに、少女は意地悪く笑って宥めた。
「わたしはマヤといいます。この屋敷のメイドです。こちらへどうぞ」
にこりともせず自己紹介をして、案内役を務めた女性は少女の対面側にある椅子を引く。
色々と突っ込みたい気持ちを抑え、オーレリーも名乗ってから、椅子に座った。
「それじゃあ、姉が失踪したところから始めようか」
少女は真顔に戻り、テーブルの上で手を組むと語り始めた。
「姉さんと守護者がいなくなって一月もしないうちに、墓地の番人が死んだ。医者の見立てでは、多分強いショックを受けて、心臓が停止したということだった。その前日まで、番人は町に来ては墓場に幽霊が出ると騒いでいた。ということは、番人は幽霊に何かされて、途轍もないショックを受けたということだろう。
それから、町中にも幽霊が現れるようになった。幽霊は一晩に一人か二人、目の前に現れては光る金色の目で品定めするらしい。町の人を一回りすると、今度は少しずつ砂嵐が起きるようになっていた。それが酷くなって、昼夜問わずに嵐が続いていた。昨日までの話だけどな」
少女は一気にそう言うと、ため息を吐いた。
「俺も幽霊に会った。昨日の晩と、さっきだ」
オーレリーが首を傾げてそう言うと、二人して仰天した顔で口を開けた。
「二度も見た? お前、何をやらかしたんだ」
「人聞きの悪いことを言うな。あっちが勝手に来るんだから、俺に問題があるわけないじゃないか」
それでも、少女は疑わしそうにオーレリーを睨んでいたが、まぁいい、と呟いた。
「その話は、後でゆっくりすることにしよう。続けようか」
右手から、すっとティーカップが目の前に置かれた。中には紅茶が入っているようだが、こんな嗜好品がよく手に入ったものだ。
「一番最初に被害に遭ったのが、農作物だ。砂嵐は害虫まで呼び寄せて、せっかく収穫時だったものを食い荒らした。それでも一月はなんとかしのげた。それにも限界がきたとき、食料庫を開けることになった。これは町長の独断だが、食料は金品と引き換えしなければならない」
「まぁ、無料ってわけにはいかないだろうしなぁ」
呑気な返事に、少女は嫌そうな顔をした。
「ふざけたことを言うな」
「続けるんじゃなかったのか?」
からかうように言ったオーレリーだったが、背筋が凍るような舌打ちがした。――後ろから。
「マヤ」
少女が窘めるように声を低めて制する。
マヤはしれっと、失礼しましたと言う。物静かな女ではないと思っていたが、まさかこんなに早くに本性を現すとは思っていなかった。
少女はマヤをもう一度睨んだが、気を取り直して口を開いた。
「そう、町長がそうしたのは当然の話だ。勿論、彼は引き換えた金品を隣の町まで、食料と交換しに男たちと出かけて行った」
少女はただし、と付け加える。
「誰だってこんなことは当然だと思うだろう。人の金で火遊びをしなければ、だ」
よくある話だ。位が高い人ほど金を持つと、いかにもっと儲けるか、いかに他人から金を騙し取れるかばかり考える。
「それと、さっきの集団は関係あるのか?」
「金がない人には配給はない。しかも元来とは桁違いの請求をふっかけてくる。彼らはブロアに金を借りた人たちだ」
「ブロア?」
「あいつは高利貸しだ」
ようやくオーレリーは、町長が彼の名前を出した意味と、あの部屋がどういった所なのかを理解した。
彼は旅人のオーレリーからも何かを騙し取ろうとしたのだろう。あの本の山は台帳だったわけだ。
「そうすると、ブロア氏が町長と結託していたわけだ。しかしこんなところで貸しても、得にならないだろう?」
「だから、彼らが借りた金は大抵、働き頭の男たちが出稼ぎ先から送ってくる金で返される。あまりの高額に、この町を見捨てる男は少なくない。だから、老人や女が多かっただろう?」
「……」
「金が払えなくなれば、家の物を差し押さえるか、……娘を差し出すか、男の子がいれば、売り飛ばされる」
少しだけ言い難そうに少女はそこまで言って、口を閉じた。平気で人身売買を行っているところは、昔はともかく、今はそうない。
「だからといって、彼らに金を貸すことはできない。うちの財政も火の車だからな。それに、ブロアや町長に金を渡すようなことはしたくない。その代わりに、あたしが食料の配給をしているんだ」
「一部だけにか?」
「いや、町全体にだ」
それだけの食料となると、相当な量のはずだ。いや、それよりもまず、こんなに態度がでかい子供が、どうやったらそんなことができる?
「アルシオン様は侯爵家の主です」
オーレリーの心を読んだようなマヤの言葉に、危うく手に持ったカップを取り落とすところだった。
それは――没落したというのなら話は分からなくもない。こんな薄汚れた服を着て、痩せ細った男のような少女をお嬢様と呼ぶには、かなり抵抗があるが。
「実権は町長に取られたが、財産を売ればいい金になったよ」
町の人に対しては、この少女ではなく、侯爵家の後ろ盾になっている人が送ってくれているということになっているらしい。
「なんでわざわざそんなことを」
「それも今のところは秘密だな。
見ての通り、何もないだろう? ここにも限界が来たんだ。だから、お前がここに来たとき、嵐を止められると聞いて、もしかしたらと思ったんだ。魔術士だろう?」
オーレリーはその問いには答えなかった。
「それよりも、さっき結界がどうとか言ってただろ。あれはどういうことだ?」
「よく覚えていたな。この屋敷には鼠一匹入れない結界が張ってある。仕方ないだろう? こうでもしないと、町長らにいつ侵入されるか分からない」
なら、とオーレリーは身を乗り出す。その顔には、期待が滲んでいた。
「あんたかメイドのどちらかは、魔法が使えるんだろう? それなら問題ないじゃないか」
少女がぶすっとして答える。
「ああ、マヤは魔法が少しは使えるとも」
でも、と断りが入る。
「その魔法も、柘榴石があるから、なんとか持たせてるんだ。あれがなければ、結界なんて形にもなってない」
「ざくろ石?」
「そうだ。【誠実の砦】の入り口にある、柘榴の樹から採れる石だ。彼女は今も町長に囚われている。本当はお前が逃げるときの混乱に紛れて救出するつもりだったんだが……。早く助け出しに行かないといけないんだが、手伝ってくれないか?」
彼女? 囚われる? 樹が捕まるなんて、表現がおかしいだろう。しかも今、聞き捨てならないことを言った。
「……樹はなかったけど、女の人はいたぞ」
今度は少女たちが身を乗り出す番だった。
「黒髪の勝気な女性だった?」
オーレリーは少したじろいで、頷いた。
「ああ、縄を外すまでは死にたいとか言ってたけど、外したら見違えるように元気になったよ。あの人が、まさか?」
「そうだ。あの人はプレッシャーに弱いからな。……言っておくが、あの人は精霊だぞ」
プレッシャー……。そんな風には見えなかったが。しかしこれで、幽霊が町長を見えない理由が分かった。この屋敷と同じで、町長自身、結界を張っているのだろう。原理さえ分かっていれば、初級の魔法はほぼ誰でも使える。
「それで、今彼女はどこに?」
「俺と瞬間移動で逃げた後、一人でどこかに行っちまったよ」
少女はその答えを予測していたように、ため息を吐いた。
「……。そうか、無事ならまぁいい。で、手伝ってくれるのか?」
オーレリーは二つ返事で頷いた。
「初めからそう言えばいいのに。ところで、聞きたいんだが」
「何だ?」
少女の眉が片方だけ器用に持ち上がったが、堪えることにしたらしい。
「あの幽霊の正体を知ってるだろう? 彼女は俺に、自分を殺したのはあと三人と言った。一人は町長だとして、あと二人が分かるか?」
その時、いつの間にか席を外していたマヤが、燭台を持ってきた。
そういえば、もう辺りは真っ暗だ。少女の顔がやっと見える程度である。
「もうそんな時間か?」
「ええ、そろそろ、お食事においでください」
マヤはそう言い残して、またいなくなった。少女はいつものことだと言うが、ただのメイドにしては態度が大きい。
「じゃあ、続きは明日にしよう。ところで、寒くないか?」
言われるまで、彼自身も体が冷え切っていることに気づかなくて、ちょっとだけ身震いする。
「寒いな……」
「じゃあ、着替えてから食事にくるといい。マヤに用意させるから」
そう言って、少女はマヤを呼び、オーレリーを客室に案内するよう言いつけた。
彼は無愛想なメイドの後をついていきながら、少女にうまいこと話を流されたことに、こっそりため息をつく。――まだ道のりは、長い。