03
牢屋はお世辞にも居心地がいいとは言えなかった。
石造りの牢屋は雨漏りが酷く、とてもではないが座っていられない。この分では、食事は到底望めないだろう。
「参ったねぇ……」
今度は本気で困ったらしく、オーレリーは腕組みをして悩んでいた。
左足に、囚人よろしく大きな鉛玉が鎖で繋がれている。両手は拘束されていないが、全身は雨に打たれて冷え切っているし、とんだVIP待遇である。
勿論、いつまでもこんなところにはいられない。すぐにでも脱獄したくてたまらないが、問題はタイミングだ。
ここを出て、アルシオンと合流しなくてはならないが、オーレリーは町長にもう一つ、聞いておきたいことがあった。果たしてそれに、素直に答えてくれるかどうかは疑問であるが、聞いておかなくてはいけないことだ。
そんなことをつらつら考えたが、天井からひっきりなしにぼたぼたと落ちる雨と、ぬかるむ地面に辟易した。やる気を削ぐのが目的なのかもしれないが、こんなことをされたからには、それ相応の報復をしなくては気が済まない。
しかし、ここから抜け出すために騒動を起こすつもりはなかった。
鉄格子の向こうには木の扉があり、その向こう側に見張りがいる。見張りを倒して、奪われた持ち物を返してもらわなければならない。
――それであなたは、町長を殺しに行くつもりなの?
ぞくりと背筋に冷たいものが走った。昨晩と同じ、幽霊がきたのだ。
――思い直したの。あなたなら部外者だから、素直に答えてもらえると思って。
「それは……光栄だね。何を、聞きたい?」
息苦しさは変わらず、途切れながらオーレリーは尋ねた。
――町長は生きてるの?
「生きてるも何も、会いに行っただろう?」
――私はあれ以来、会ってないわ。
では、町長は嘘をついたということか。有り得ない話ではない。
「会えない? 見えない……ということか?」
――それなら、結界を張っているのよ。
意外と会話が成り立っていて、不思議な気分である。
「町長に会って、どうする」
――殺すわ。
その答えは予想していた。それでも、姿が見えなければ殺すことなどできないから、彼女はいつまでもさ迷っているのだろう。
しかし先程町長は、特に結界を張っているような気配はさせていなかった。
「俺は町長を殺しはしないが、一泡吹かせてやろうとは思ってる。町長の姿を見せてやるから、ここから逃げるのを手伝ってくれないか?」
――そんなことを言って、一人で逃げるつもりじゃないの?
疑わしげな幽霊に、オーレリーは首を横に振った。
「俺は遊びでここに来ているわけじゃないんだ。それに、約束は破らないのが信条でね」
それならいいだろう、と幽霊は頷いて、消えてしまった。
ぽかんとなにもいなくなった虚空を見つめた。何がそれならいいのか? 話に乗ってくれたということだろうか?
あまりに唐突に幽霊が消えてしまったので(でも幽霊とはそんなものなのだが)、またしてもオーレリーは呆然と立ち尽くすことになった。
つまり、ここからは自力で脱出しろ、ということだろう。
オーレリーは目の前に滴り落ちる雨に、手を翳した。そして、小さく口の中で何かを唱える。
彼の言葉が綴られていくにつれ、水が反応した。手が翳されたところで、水が宙でぱちん、ぱちんと弾ける。やがて大きく弾けると、水が小さな輪になって、回転を始めた。スピードはぐんぐん上がり、小さな凶器になる。
翳した手で輪の中を指差すようにしてやると、手の動きに沿って自由自在に動くようになった。
それを足首に食い込むように巻かれた、足枷の方に持っていき、根元から切り始めた。おそらく拷問用の特別製なのだろう。太い螺子を六本も使う念の入れようだ。それを切り落とすのに時間がかかったが、足を傷つけることなく切断し、軽くなった足を持ち上げて鉄格子も切断しに向かった。
金属の擦り切れる音が微かにするが、少しの音なら外の雨音に紛れて聞こえないはずだった。地道な作業を続け、ようやく外に出られた時は、ほっとした。泥沼から抜け出した気分である。
そこからオーレリーは素早く行動した。扉の向こう側にいた見張りを、声を上げる前に悶絶させ、壁に立て掛けられた私物を取り戻す。それを背負っている途中で、もう一つの扉が開かれた。
交代の見張りだろう。
男が扉を開けた状態のまま、目を見開いて固まっていた。
その男も一撃で沈黙させ、のびている体を跨いで隣の部屋に入った。どこまで部屋が続いているのか謎だが、扉は二つある。どちらも似たような扉で、少し迷ったが左側の扉を開けた。
そこもまた、牢屋だった。ただし、先程の牢とは待遇に差がある。
そう広くない板張りの部屋を、半分ほどで鉄格子が区切っている。どの部屋にも置いてあるランプが、ゆらゆらと部屋を揺らしているように見える。
だから、檻の中に人がいるのも夢の世界のことに思えた。
「殺して……ねぇ、殺して」
中にいるのは、女性だった。
後ろ手で縛られ、両足も縛られている。黒髪の淑女といった風情の美人だ。なぜこんなところに囚われているのか不思議に思ったが、彼女が零した涙を見て、納得した。
一筋流れた涙は、ぽたりと服の上に落ちたかと思えば、服に涙が染む込むわけではなく、直ぐにころりと赤いものに変わった。床にころころと落ちたそれは、宝石のような輝きを放っている。
「助けて……、わたしを殺して!」
「どっちなんだい。参ったなぁ……、自力で逃げられないの?」
そんなことは一目瞭然だが。オーレリーは真面目に訊いた。
「檻を開けて、縄を切ってくれれば、一人でも逃げられるわ」
どういうことだと思いつつ、縄を切ってやると、女性はいきなり顔付きが変わった。
力強く立ち上がり、服を叩いてごみを払う。か弱そうな雰囲気は一掃され、堂々とした物腰に、オーレリーは戸惑った。
この女性は一体何者なのか、疑問は募る一方だ。
女性はくるりとこちらを振り返ると、先程の涙はどこにいったのか、にっこりと笑った。
「あなたも捕まったの?」
「そうだけど……」
「なら、わたしに掴まりなさい。外に出られるわ」
おかしなことを言う、と思いつつ、それでもオーレリーは半信半疑で女性の服に掴まった。
次の瞬間――。
高速で地下に落ちているのか、それとも昇っているのか、よく分からない状態が数秒続いた。
はっと我に返れば、冷たい雨が全身を打っている。
外である。
「な……、瞬間移動?」
「そうよ。これで貸し借りはなしね」
同じく雨に打たれている彼女は、それじゃあ、とあまりにも自然に歩いていってしまった。
オーレリーは彼女が行ってしまってから、ここが町中の路地裏であることに気がついた。
今はそんなことを考えている暇はない。追っ手に見つかる前に、逃げなくては。
オーレリーは女性とは反対方向に走り出す。
雨の勢いは止まらないまま、どんどん空は濁ってきている。
その下で佇むしかない町に、明かりが灯るのはまだ先の話になるかもしれない。