08
最終話
「よかったね、おかあさまがゆるしてくれて」
少女は蔓でぐるぐる巻きにされた、自分の腕を睨んだ。生意気な口を叩く光を、指で弾こうとする。
が、光は器用に避けて、きゃんきゃんと騒いだ。
「なんてことするんだ! しんでもいいの?」
「死にたくないけど、お前の減らず口をふさげるなら、少しくらい痛い思いをしても構わない」
冷えた声で、もう一度光を指先で狙う少女を本気と見て、子どもはしおらしくごめんなさいと謝った。
だが、少女は皮肉そうに口を歪めて、笑う。
「面の皮が厚いことだ。ま、それでいいだろうよ。下手に口を挟まないなら、な」
含みのある物言いに、さすがに子どもは黙った。
こいつは、オーレリーよりもタチが悪いかもしれない。
少女はそう思いながら、【森】の出口を目指した。これでいいのだと、自分に言い聞かせながら。
姉の形見になったネックレスを握りしめ、オーレリーの待つ外へと急ぐ。
良かったじゃないか。姉はあそこで、ゆっくり眠れるのだろう? もう消えてしまった姉の意識も、これでゆっくり眠れるじゃないか。もう、失望の夜を過ごすことはない。
そして、自分も。
ようやく顔形がはっきりと見えてきたオーレリーは、仁王立ちで少女を待っている。
彼は、この腕を見て、何と言うのだろう。
予想通りか。
失望するのか。
どちらにしろ、これで彼が少女を置き去りにする危険は減ったわけだ。
暗澹とした気持ちで、明るい世界に足を踏み出す。
彼女の姿を認めたオーレリーには、変化は見られなかった。顔に巻いた布のせいだろうか。
「おかえり」
少女が獣と姿を消したことを、責めもしない。それどころか、驚くとかがっかりした影もない。あまりに平然としていて、目の前にある少女の蔓に巻かれた腕など、目に入っていないようだ。
「……どうしたんだ?」
「これが、狙いだったのか?」
問い返され、オーレリーは顎に手をやってから、やっと少女の左腕を見る。
「まさか。アルは魔法を無効化するから、【木】に対しても同じだと思ってただけだよ」
暢気な返事に頭痛がする。そんな曖昧な状況で、人に危険な役を任せたのか。
「怒るなよ。俺だってアルが、【木】に適合する体質だなんて思わなかったんだから。いいか、【木】に適合できる人間なんて、そういやしないんだぞ」
「……お前、約束通り、ちゃんと説明しろよ。ルミエラは判事とか何とか色々言ってたけど……、本当なのか?」
オーレリーはあっさり頷いた。
「そうだとも。アルは種を取ってきて、俺が寄生されるつもりだった。この子を、俺はセナに、いや、ウィトワに連れて行くつもりだからな」
でも、と首を傾げる。
「契約は完全じゃないみたいだな。それじゃあ、残りは俺が引き受けよう」
そう言って、少女の左腕に人差し指を押しつけた。
戸惑う少女を無視して、オーレリーは呪文を唱え始めている。
契約は、二人に分けても構わないものなのか。
色々疑問は噴き出してくるが、呪文は止まらない。しかも、呪文に反応した蔓が、どんどん体に染みこんでいく。
まさか契約を引き受けると言いながら、実は少女に契約を全て押しつけようとしているのではないか。
その可能性に気づいたのと同時に、オーレリーの呪文が完成してしまう。
人差し指に触れられているところから、何かが吸い取られていくような、奇妙な感覚が少女を襲った。貧血を起こしたように、意識が遠のくのを必死で抑える。
その霞みかけた視界で、オーレリーが蔓に包まれていくのを、見た。
だが、何も考えられない。息が苦しい。足が震えて、体を支えきれなくなる。地面に崩れ落ちそうになったところで、腕を掴まれて引っ張り上げられた。
酷い眩暈に襲われて、少女の目の前は真っ暗である。
「しっかりしろ。ほら、ゆっくり座れ」
体を支えられながら、地面にゆっくり座った。次第に呼吸が楽になり、目の焦点が定まってくると、目の前にオーレリーが顔を覗きこんでいるのが見えた。
「今のが、契約?」
彼の見た目は何の変わりもない。だが、そうだと捲った左腕の二の腕まで、木を表す緑の刺青が入っていた。
「契約の残りって、何だったんだ?」
尋ねたが、そんなことよりも休めとはぐらかされる。
釈然としないが、まだ重だるい体を持て余し、少女は深く息を吸いこんだ。
口を閉じた少女に、オーレリーは安堵した。納得したとは考えられないが、今はそこまで知らせない方が良いと思うのだ。契約が不完全だったのも幸いした。【木】との契約は、死ぬだけではすまない。
顔を出した太陽の眩しさに目を細めながら、これからのことを考える。
少女を連れて行くのは、この際諦めるとして、気掛かりなことがあった。
スタンリーである。
あの男が落としていったとと思われる(渡したとは考えにくい)指輪のせいで、城が全焼してしまった。確かに倉庫は残ったが、中のめぼしい物はすっからかんになっている。あの城は隣国の遺産であり、貴重な資料になるはずだったのに。
あらかじめ下調べをした時、ここに隣国の遺産があると聞いて、胸を躍らせていただけ、ショックは大きかった。何せ、長い戦争に明け暮れた挙げ句に荒れ果てているとはいえ、その昔は巨大な魔法大国だったのだから。
今では、いつの頃から魔法が廃れ、鉄の塊に縋るようになっている。
その歴史を探るという点でも、彼の学者魂を擽っていた。それなのに、だ。目の前でご馳走を奪われてしまっては、元も子もない。
これは判事としての任務ではなく、個人的な理由だが、実際スタンリーが闇市で品物を売り捌いてしまったら、国にとって大きな損失となり、損害になるかもしれない。
彼が盗品を持ちこむだろう店の目処は立っているが、果たして間に合うだろうか。
そう思うと、いても立ってもいられなくなる。
彼の足下に蹲る少女は、貧血を起こして立てそうにもないし――。
「……早く、行こう」
見下ろすと、少女は既に立ち上がろうとしていた。
「そんな、急に立ち上がったら、」
「早く行こう!」
切迫した声に、よく少女の顔を見ると、苦渋が滲んだ酷い顔つきをしている。
「早く行こう。あたしはもういいんだ。もう、いいんだ」
自分に言い聞かせるように、少女は遙か先を見ている。
後ろを振り向かないのは、【森】と決別したからだろうか。少女が獣についていったということは、……何かしら【森】の中で見たのだろうから。
立ち上がるのさえ億劫そうな少女に、思わず手を差し出す。
無視されるかと思ったが、少女は素直に手を出した。
先日から、慣れない家事に勤しんで荒れた手を握ると、皮膚の下に血が通っているとは思えないほど、冷たい。
オーレリーは無言で少女を引っ張り、少女も俯いて、それ以上は言わなかった。
立ち上がった少女をまじまじと見ると、一回り小さくなったように思う。それは仕方ないか、まだ少女は――。そういえば、いくつなのだろう。
話題を逸らすために、わざとらしいが軽く質問してみる。
「十八だ」
短い返事に、そうかと頷いて、頭の中で反芻した。
……。
「……十八? アルが?」
「何でそんなに意外そうなんだよ」
「何でって、どう見たって十三か十四、」
そこで、勢いよく下から拳が繰り出された。間一髪で避けたが、さっきまでの弱々しさはどこに行ってしまったのだろう。
「お前が女扱いされるのと同じくらい、あたしは年のことを言われるのが、大っ嫌いなんだ。よく覚えておけよ」
煮えたぎる怒りを孕んだ声に、頷くことで許してもらう。
「そんなこといってないで、はやくいこうよ!」
どこからか聞こえてきた、甲高くはしゃいだ少年の声に、少しどきりとした。
声は、少女の左手辺りから、聞こえてくる。
「メル、早く人型になれるようにしろよ」
「それなら、はやくひとのいるところにいかなくちゃ!」
どんな格好になればいいのか、分からないらしい。
少年は浮かれて少女を促したが、少女は益々顔を引きつらせて、黙って歩き始めた。
少年の騒ぎ声と、陰鬱な少女の後ろ姿をぼんやりと眺めて、オーレリーは旅が一時的に賑やかになるのは、嬉しいことのはずだと、自分に言い聞かせた。それでも、山積みになった懸念は解消されることはない。
彼はため息を喉の奥に押しこみ、少女を追いかけることにする。
次の旅に、出るために。
それから三年。
旅人が【森】に入ったことにより、シシロはほぼ廃墟となった。
だがそれは、旅に出た三人は、知らぬ事である。
――今は、まだ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
実は続きものなんていうありがちなパターンですいません。
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