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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
9.冷たい指先
40/43

05

 翌朝は、雲一つない晴天に恵まれた。


 太陽が完全に顔を出す前に、オーレリーはクラエスにだけ礼を言って、侯爵邸を辞することにした。

 その肩には、来たときと同じく布を巻いた槍を担ぎ、左手には新しく革袋が握られている。これはクラエスが持って行けと手早く用意してくれた、水と食料が入っていた。


 まだ冷えた空気の中、町の大通りは凍りついたように静かである。

 向かうのは、【森】だ。昨晩の夢が本当でなければ、心が痛むが無理矢理メルキオールを連れ出すつもりでいる。


 そうならなければいいと思いながら、彼は溜め息を吐いた。

 ずいぶんと長居してしまったせいで、それでなくても目立つのに町中の人が彼が何をしたかを知ってしまっている。

 こちらの計算違いも甚だしいことだ。


 そんなことをつらつら考えているうちに、鬱蒼と茂る【森】に着いた。

 【森】の前の立ち、彼は違和感を覚える。

 入り口が固く閉ざされているのは前に来たときと同じだが、不気味なほど静かすぎる。草木はあの強靱なまでの生命力を誇示することを忘れ、本来なら高らかに歌っているはずの鳥も、沈黙を守っている。

 一体これは、どうしたことだろう。


 彼が一人首を傾げていると、背後から砂利を踏みしめる音がした。

 まさか、と思う。人の気配なんて、なかったはずだ。

 振り返って、また驚く。


「……アル」

 そこに立っていたのは、彼と同じような袋を抱えたアルシオンだった。

 驚きのあまり、少女をぼんやり眺めてしまってから、気づく。

 少女は今から旅路に出るような格好である。その上、ここにいるということは。


「……まさか、ついてこようってんじゃないだろうな」

 思い切り嫌そうに顔を顰めると、少女は器用に片眉を持ち上げて、傲岸不遜に腕を組んだ。

「そうだが、何か問題が?」

「大ありだ! 今あんたがここを出て行ったら、この町はどうなるんだ?」


 現在町は大混乱に陥っていて、このままだと町が廃墟になるかもしれないところまできている。それなのに、元領主である侯爵家を継ぐ者がいなくなっては、歯止めさえかけられなくなってしまうではないか。


 その事情を嫌というほど分かっているはずなのに、少女は態度を崩さないまま、こう言った。

「侯爵の位を王に返還しに行くんだ。ここは、伯爵家から派遣される新しい町長が治めることに決まったと、昨晩遅くに連絡が来たんだよ。聞いてなかったのか?」


 寝耳に水の話である。

 もしかしたらクラエスが、オーレリーに気を遣って何も言わずに送り出してくれたのかもしれない。

 そう考えてみて、すぐさま頭の中で振り払った。彼は伯爵家の跡継ぎに見合う思考の持ち主であることは、ここ数日で立証されている。


 では、なぜだろう。

 少女は隠された目から突き刺さってくる視線に、怪訝な顔をする。


「……それなら、一人で行けばいい」

 結果を出したオーレリーに、少女は益々疑わしげに目を細めた。

「旅の護衛は必要だろう。クラエスが行くなら今日だって、いきなり言うから来たのに」

「……」


 つまり、クラエスが図ったということか。

 来るなと言ったところで、彼女は意地でもついてくるだろうし、どうしたものだろう。


 オーレリーは気を取り直して、背後の【森】を指差した。

「ここってこんなに静かだったか? 前に来たときは、もっと近寄り難かったというか」

「何を言ってるんだ。お前が【木】を封印したからだろ」


 呆れた顔で言われて、失言に気がついた。【木】がこの【森】の統率者なのだから、彼女が沈黙している今、【森】が活発になるわけがない。

 それもメルキオールがここに来るなら、魔法解除しても構わないのだが、果たして本当に来るのかどうか。


「お前、頭大丈夫か?」

 酷い言われようだが、自分でもおかしなことを言った自覚があるから、反論できない。


 しかし、誰にも【木】をどうするかは話していないから、これから起こる出来事をどう説明するべきか。少女に町の出入口で待っていてほしいと言ったところで、絶対素直に聞かないだろう事は、容易に想像がつく。

 だからといって、出発前に話をこじらせるのもどうかとも思ってしまう。


 良い案が浮かばないまま、ザクロの木を見上げた。

 相変わらずザクロとは思えない巨木は、無言で聳え立っている。その主はどこに行ったのだろう?




 ――ここよ。




 まるで、タイミングを見計らったように、頭の中でクロエの声が響いた。

 ここってどこだと視線を下ろすと、【森】の奥に青白い何かが光っているのが見える。




 ――受け取って……。




 か細い声は、今にも途切れそうな危うさを感じさせながら――消えた。

「クロエ!?」

 少女の悲鳴に我に返り、彼は光に向かって走り出した。

 そう、【森】へと。

 しかし、あと一歩で【森】に踏みこめるところまで来て、立ち止まる。

 これ以上先には進めなかった。獣の警告を無視すれば、どうなるかなど目に見えているからだ。


「来い!」


 彼は大音声(だいおんじょう)で光に向かって叫んだ。

 クロエの思念はもう感じ取れない。まさか力尽きてしまったのか。

 今更思い出したのだが、【木】の子どもは一人では移動できない。その移動手段として判事がいるからだ。なぜこんな重要なことを今まで忘れていたのだろう?

 判事が担うべき仕事を、クロエが買って出てくれたのだ。彼女が弱っているということは、獣に妨害されたか。

 だが、光は一向に動く気配はない。


「アル!」

 突然呼ばれた少女は、一瞬戸惑って、それからオーレリーの隣まで来た。

「……あれは、何?」

「ついてくるなら、一つ頼みを聞いてくれ! アルは魔法が効かないんだったな? 【森】に入っても、アルなら気づかれないかもしれない!」

「は?」


 質問に答えず、勢いよく捲くし立てるオーレリーに、少女は理解できない顔をする。

「いいか。あれがないと、俺たちは出発できないんだ。【森】に入って、あの光るものを取ってきてほしい」

 話を聞く少女の顔色が、みるみる青ざめる。彼女も今、【森】に入れば町がどうなるか分かっているからである。


「……確かに、この【森】に入って、気づかれたことはない。

 でも! それはただ偶然姿を見られなかったからだ! そんな危険を冒してまで、なんであんなものが必要なの?」

「俺がこの町に来たのは、あれを受け取るためだからだ!」


 焦りのあまり、声が大きくなる。

 少女は気圧されたように一歩下がって、光とオーレリーの顔を交互に見比べる。


「アルのすばしこさなら、そう時間はかからないはずだ。頼む! 行ってくれ!」

 最後は懇願になった。

 まだ姿は見えないが、黒い獣の足の速さは、シューカ橋で体感しているだけあって、いつ現れるか分からない。

 それに、少女なら、という狙いもあった。彼女は昔ルミエラと親しかったから、あるいはと。

 少女は目を泳がせてから、オーレリーを上目遣いで睨みつけた。


「行ってあげよう。でも、後でちゃんと話を聞かせてもらうからな!」

 そう言い放つと、少女は獲物を狙う鷹のように、走っていってしまった。

 少女も迷っている時間はないと気づいていたのだろう。


 やはり話さないと駄目かと苦く思いつつ、ぐんぐん小さくなる少女の後姿を眺める。

「……問題は、なぁ」

 行ってもらったのはいいが、少女があの光を取ってこられるかが問題だった。こればかりは祈るしかない。


 何に?

 彼女の能力に、だ。


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