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01

 アルシオンの姉である、クーア=パチルは守護者ルミエラの侍女だった。


 一年前、薬草を取りに【生命の木】を囲む【誠実の砦】と呼ばれる森に入ったまま、今も戻ってこない。

 その朝にはみんなの前に現れたルミエラも、午後からはぱったりと姿が見えなくなってしまったのだ。


 二人の捜索はとことん行われたが、一月経つ頃には殆どの人が二人のことを諦めはじめ、クーア=パチルがルミエラを攫った説が有力になった。


 この説に反対するのは妹のアルシオンだけで、女にしては背も高く、大柄なクーア=パチルが彼女の半分サイズのルミエラを攫うのは大したことではないと、大抵の人が思っていたのである。


 ただし、今では妹のアルシオンだけが知るクーア=パチルは、人攫いどころか、ルミエラに口答えができるほど肝の据わった人間ではなかった。

 クーア=パチルは守護者ルミエラを神の如く崇めていて、御身に触れることなど考えられないと漏らしたことが一度あるという。


 アルシオンはそんな姉を、一年経った今でも諦めきれない。





「何の用だ」


「つれないなぁ、ご主人」


 オーレリーはまた、最初の酒場に戻っていた。

 あからさまに嫌な顔をする店主を気にせず、オーレリーは笑いながら店内に入っていった。店主は、先ほどと変わらない様子でカウンターに座ったまま酒を飲んでいたようだが、青年の再登場に酔いが醒めてしまったようだ。


「出て行けと言っただろう」

「食事はいらないから、泊めてくれないか? 聞けば、この町に宿はここしかないらしいじゃないか。この砂嵐じゃ野宿はきついからなぁ。出すものは出すから、泊めてくれないか?」


 店主は疑り深い目で彼を見て、首をひねった。

「そんなこと、誰から聞いた?」

「それは、ブロアさんに。あの人、自分から人を誘っておいて、すぐに叩き出すんだから。ふざけた人だよ」


 店主はブロアという名に少し反応したようだったが、ため息をついてオーレリーの図々しさに白旗を振ったようである。


「……しょうがねぇな。二階の一番端の部屋を使いな。何も壊すなよ」


 オーレリーは最高に明るく礼を述べ、軽い足取りで軋む階段を登った。

 店主の苦々しい視線に見送られて入った部屋は、小綺麗に片付けられていて、少し驚いた。半年以上客が入っていなかったにしては、用意が整えられている。


 それだけ、町の再興を願っているのだろう。


 もう日暮れが近づいているのか、部屋は薄暗くなってきている。彼は体に付いた砂を払い落とし、寝台に腰を下ろした。

 今日一日無駄足を食うかと思ったが、収穫は多かった。まずはおおまかな事情が分かっただけでもよしとしよう。


 彼はもうへとへとだった。砂嵐の中あちこち歩き回るのは、長旅の疲れに拍車をかけたのだ。


 それでも脳は目まぐるしく駆け巡る。これだけの情報では、あまりに偏り過ぎていて、まだ判断はできない。パズルのピースはどこに行った? 明日もまた、砂を被って歩くようだろう。アルシオンの頭の形が分からなくなるほど巻き付けてあった布は、使わない手はない。髪に砂が絡まって、落とすのに苦労する……。


 どんどん脳の処理能力が萎んで、ついに彼は、体にかかる鉛のような重みに身を任せた。





 ――誰が私を殺したの?

 ――それは、あなた。――あなたがその牙を持って私を殺した。

 ――誰があなたを殺したの?

 ――それは、私。

 ――私がこの牙で、あなたを殺した。

 ――でも、足らない。

 ――どこに隠したの?

 ――あと三人。

 ――出てこないなら、こちらから行くわ。



「……誰だ?」


 真夜中、オーレリーは奇妙な声に目を覚ました。

 目を覚ましたといっても、布を目の上に巻いたままだから、目を開けるわけではない。

 それでも、周りが異常な雰囲気に包まれていることは直ぐに分かった。肌が総毛立ち、息苦しい。蝋燭の炎ではなく、冷たく白い光が彼を照らしている。


「誰だ?」


 後姿は白いドレスを着て、長い髪を結い上げた女のようだった。

 彼女はオーレリーの呼びかけに応えるように振り返ったが――、その顔には大きな目が二つ、あるだけだった。その目も、金色に輝いていて白目と黒目の区別がつかない。


 見られた、と思った途端、全身を串刺しにされたような感覚に襲われた。口の中が干上がり、息を呑むこともできない。



 ――何をしにきたの。

 ――早く出て行きなさい。

 ――ここは滅び行く町なのよ。



 声が頭に響いた。やはり女の声である。どこか寂しそうな色を含んでいた。


「そうはいかない……。俺にはここであるべきことが、あるから」

 なんとか出た声を振り絞る。



 ――無駄なことを。後で後悔するわよ――



 そう言い残して、女は消えてしまった。


 呆然とそのまま固まったオーレリーは、信じられない口調で呟いた。

「幽霊……か?」

 それにしても、幽霊にしては意思がはっきりしているようだった。では、魔術師だろうか?


 オーレリーは暫く頭をひねったが、眠気に負けて寝てしまった。


 次に気がついたのは、翌朝のことである。

 しかも、昨日と打って変わって、バケツをひっくり返したような大雨の音で、目覚めたのだ。


 まだぼんやりとした頭を抱えて、オーレリーが階下に降りると、店主が待ち構えていたようにすっ飛んできて、カウンターに無理矢理彼を座らせた。


「おはよう! 朝ごはんはどうですかな?」


 上機嫌の店主に、はてなとオーレリーは首を傾げた。昨日と今日の、このギャップはどういうことだろう?


「おはよう、ご主人。何かいいことがあったのかな?」

 オーレリーは真顔で尋ねたのだが、店主は笑顔で軽く受け流した。


「外のこの雨! まさに恵みの雨じゃないか!」


 ああ、と気のない声で、オーレリーは窓の外を見た。激しく窓を打ち破ろうかというほど、雨が視界を遮っている。

 これのどこが恵みの雨なのか、オーレリーはさっぱり理解できなかった。しかし、今まで砂嵐に悩まされていたことを考えると、この変化をこの一年近く待ち続けていたのだろうから、下手なことは言えない。


 彼は大人しく、朝食の準備が整うのを待つことにした。

 昨日アルシオンからもらった夕飯は、豆雑炊でちっとも腹の足しにならなかったのだ。もらえるだけありがたいから全て食べたが、あんなものしか毎日食べられないとなると、少女の細さも理解できる。


 店主が厨房から出したものは、ごくありふれた朝食メニューだった。スクランブルエッグに硬いパン。それでも空きっ腹には贅沢なご馳走である。

 オーレリーは猛然と食事を始めた。ただし、飢えた獣のようにがつがつとしているわけではない。あくまで淡々とフォークとナイフを操り、黙々と食べ続ける。

 店主はその間にどこかに行ってしまったが、彼が食事を終える頃に、タイミングよく帰ってきた。

 店主が戻ってきたときにオーレリーは、パンの最後の一切れを口に放りこんだところだったのだ。


「ところでご主人、昨日の晩、部屋に誰か入ってきたようなんだが、あれは誰だい?」


 パンを飲み込むと、コップに入った水を飲み干し、オーレリーは笑顔で尋ねた。

 途端に、店主の表情が変わった。それは怒りではなく、明らかに恐怖が張り付いたものだった。

 引きつった顔に気づかないように、オーレリーは歌うように続ける。


「白いドレスを着た人だった。目が金色に光っていたから、あんまり人間に見えなかったけど、この町に魔術師がいるのかい?」

「いいや」

 店主は尋ねられ、息を吹き返したように目を見開いた。


「……いいや、この町には術士はいない。みんなこの町を出て行ってしまったよ」

「では、あれは幽霊ということか?」

 店主は渋い顔でオーレリーから目を背けた。

「……そうだとも。この一年、あれはこの町をさ迷い歩いてる」


 ほう、とオーレリーは腕を組む。昨日の記憶だと、彼女は自分を殺した人間、それも複数を探しているようだった。あと三人――。しかし、この町はそんなに大きいわけではない。なぜ見つからないのだろう?


「町の人全員が、あの幽霊を見たのか?」

 店主は重々しく頷く。


「あんたの部屋に出たように、あの幽霊は所構わず出る。それで金色の目でこっちを見たと思えば、違うと言って消えちまうんだ。

 でも、あの幽霊を見た奴はそれから二度と見てない。俺もだ。まるで人を選んでるみたいだろ?」


 それは、みたい、ではなく選んでいるのだ。


 しかしオーレリーの前に現れた時と、随分態度が違うようだ。彼の前では多弁だったのに、どういうことだろうか。


 そこで物思いは途切れた。大きな音を立てて、入り口の扉が開かれたのだ。


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