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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
9.冷たい指先
36/43

01

 一夜明けてから、オーレリーが町に戻れると、枯れ果てた町の様子は一変していた。


 雨はやみ、燦々と降り注ぐ太陽の光の下、曝け出されたのは、鋭利な砂粒に削られ、鈍器になった雨に叩き壊された残骸である。

 砂に塗り潰された町並みには泥がこびりつき、地面はぬかるんでいて、下手をすれば足を取られて滑って転ぶ。

 おまけにどの家も静まり返って、人の気配もない。どこかで皆集まっているのかもしれないが、目映いばかりの太陽に希望を見出して、どこからか歓声が聞こえても良さそうなものだ。


 だが、聞こえるのは泥を蹴る音ばかり。


 不審に思いながら、自然に町の中心に足が向かう。シューカ橋に続く大通りを歩いたが、その間も人には会えなかった。


 やがて橋まで辿り着くと、思わず足を止める。


 ラーテ川は氾濫寸前まで増水して、橋の真下までを濁流が飲み込んでいた。相当古い橋だろうに、よく耐えている。軽い一撃を加えれば崩れるだろう橋に、足を踏み出すのは、さすがに勇気が入った。

 何せ彼は、一昼夜何も食べてない。そんな体力で、この川の流れに対抗するなんて、考えたくもなかった。


 彼は一度自分の目の辺りを探り、布の感触を認める。これは目を覆う布の予備である。

 非常事態に備えて、常に五枚は携帯しているのだ。これも修行の末に行き着いた結論だったが、それはまた別の話である。現実逃避しても、川は激しく流れているし、橋は新しくならない。

 それでもこの橋を渡るしか、大広場まで更に迂回しなくてはならないし、そちらの橋が崩れていないという保障など、どこにもないのだ。


 彼は空腹で穴が開きそうな体を叱咤して、足を持ち上げた。

 そんな体調でも彼が橋を渡ろうとしているのは、橋の向こう側に、町の人の大半が集まっているらしく、誰もがこちらに背を向けて立っていたからである。


 あの人波をかきわけるのも一苦労だと思いつつ、橋の丁度中央に差し掛かったところで、背筋に刺すような冷たいものが走った。

 その後は、体の本能に従うままに身を捩り、――橋の柵にもたれるように倒れてから、川に落ちては大変と、地面にずるずるとへたりこむ。咄嗟に避けた時、黒い影が彼を擦るように通り過ぎていったことだけが把握できた。


 一体何だと、打たれた背中を擦りながら顔を上げると、橋の向こう側の人々もあの黒い影に突っ込まれたのか、座りこんでいる人や、人垣の向こうを指差して叫んでいる人がいる。

 奥に向かうにつれ、人の密度が高いせいか、あちこちから悲鳴が上がっているのさえ聞こえる。

 一斉に騒ぎが広がっているようだが、誰一人逃げ出そうとする人はいないようだ。


 あの向こうに、一体何があるというのだろう。


 オーレリーは緩慢な動作で立ち上がると、多少うんざりしながら人垣を越える努力をした。つまり、無理矢理真っ直ぐに突き進むという、非常に無謀な策に出たわけだが、思ったより早く広場の中心に出ることができた。すんなりとはいかないまでも、先程通った黒い影のお陰か、まだ呆然としている人たちが多く、道ができていたのである。


 しかし、周囲に群がる人たちよりも一歩手前に(弾き飛ばされて)出て見た光景に、彼は血の気が一気に引いていくのを感じた。

 広場の中心には噴水があるのだが、噴水を取り囲むように【森】に墜落した鉄の化け物二つが陳列されているのである。

 それに、むっとする臭いが辺りを立ちこめていた。その発生源は、円を描いた噴水の、中。


 思わず一歩後退し、奥歯を噛み締める。

 彼が立っている丁度直線状に、鉄の塊と塊の間に隙間ができていて、噴水が見えた。その噴水もまた、他の家屋と例外なく、中心の水が流れ落ちる所が欠け、泥で所々汚れている上に血痕が落ちていた。そんなに底が深くないために、無造作に積まれたものが、塊の間からもよく見える。


 それは、もぎれた人の腕。目を剥き、口を大きく開けた男の口の中から覗くのは、木の枝。胴体の上半身と下半身が千切れかけている人の姿。

 全員血塗れで、事切れている。

 この人たちは、【森】で死んでいた人たちだろう。


 遺族たちが泣き崩れる声が、ようやく耳に入ってくる。あまりの惨さに、誰も手を出せないでいるようだ。

 こんなものを、誰がここまで運んだのか。

 確信に近い予想はついている。


 そこでどこからか、甲高い悲鳴が上がった。

 誰もが叫びながら、大きい方の鉄屑を指差している。彼も、喉の奥からこみ上げるものを押さえながら、人々の指差す先を見上げた。


「……ベアニクル」

 鉄屑の上から人々を見下ろす黒い獣は、見間違えるわけがない。美しい毛皮が逆光を浴び、爛々と光る瞳と堂々とした威厳のある姿で人々を見下ろしている。

 ルミエラを追っていった後、一体どこにいったのだろうと探していたが……。やはりこれらを運んできたのは、獣なのだ。理由は聞かなくても分かるが、彼はそれを言うために人前に現れたのだろう。


 トーンの低い重苦しいが、広場一帯に響き渡る声で獣は言う。

「これで、お前たちが我らに寄越したものは返した。もう何度も警告しているが、ルミエラさまに代わって、私から最後の警告をしよう。これ以上【森】を冒涜するようなら、こちらも黙っていられない。我らの要求は唯一つ。二度と【森】に近づこうとはするな。それさえ守れば、お前たちに手出しをしないと約束しよう」


 しん、と広場に沈黙が落ちる。


 誰もがぽかんと口を開けて、獣を見上げていた。その中にはオーレリーも入っていたが、彼は口を開けていない。

 あれだけのことがあったのだから、獣が【森】を代表してこんな風に宣言したのも頷ける話である。彼としても、それで上手く話が纏まるなら、賛成に手を挙げておきたいところだ。


 だが、町の人々は戸惑ったように獣を見上げ、あるいは不安げに隣の人と顔を見合わせていたりする。


「それは……、もう【生命の木】から援助はいただけないということですか?」

 どこからか、男の声が獣に投げられた。不安に満ちた声に、固唾を呑んで皆が獣の返事を待つ。


 獣はぐるりと広場を一望し、ゆっくりと口を開いた。

「そうだとも」

 低く短い答えが返される。群衆はあちこちから漏れ出た悲鳴や呻き声を皮切りに、一斉にざわめき始めた。【木】からどんな援助を受けていたのかは知らないが、そこまで騒ぐものなのかと耳を澄ませてみると、聖水と葡萄がどうのこうのと口々に話している。


 聖水と葡萄?

 オーレリーが首を傾げていると、獣がもう一度口を開いた。


「我らは今まで、好意だけでお前たちにも【木】の加護を分け与えていた。しかし、だ!」

 びりびりと空気が震える声で、獣が唸る。またも静かになった広場で、人々は怯えた目でこの場を支配してる獣を見た。


「お前たちはこの悪魔に乗って、【木】を倒そうとしにやってきた。そのせいで、どれだけの仲間が死んでいったと思う。西に振り撒かれていった毒のお陰で、多くの仲間が、今でも病に死にかけているのを、どうやって責任をとるつもりだ? だが、お前たちは無力だ。だから我らは何も望まない。これが最後の温情だと思え。――二度と【森】に足を踏み入れるな。その時が、お前たちの命の消えるときだ」


「そんな! どういうことなんです?」

 また広場のどこからか、年若い女性の声が上がった。今回の事情を全く知らない人だろう。おそらく、この町に残っていた老人や女性、子どもには、何が起きているのか理解できないに違いない。男たちは反対されるだろうことを見越して、話さなかったのだろうから。


 獣は声が上がった方を見ながら、不満そうに鼻を鳴らした。

「これだから……。統率の取れていない集団は嫌なんだ。そこの女は、自分の亭主か、その隣にいる男にでも聞けばいい。

 それでは、確かに伝えたぞ。これは決定事項であって、苦情は受け入れん」


 それだけ言って、獣は鉄屑から足のばねだけで人々の頭上を跳び越し、橋に着地して振り返りもせずに走り去っていった。

 獣は数度瞬きをしている間に姿を消してしまったが、その後の広場の騒ぎといったら、オーレリーは思わず耳を両手で塞いでしまったほどである。


 つまり、渋い顔の男たちと、それを睨めつける女たちと老人たちの間で、喧嘩が始まったのだ。

 どうも誰もが切羽詰っているらしく、目を血走らせて一人の女性、おそらく最初に獣に質問をした女が口を開いた。


「これはどういうことなの! あの人はこの町を捨てたのだと思っていたわ。どうしてこんな姿になって帰ってきたのか、説明して頂戴よ!」

「だから、【森】に行ったからだよ、ニーナ」


 苦い返事をしたのは、昨日【木】まで辿り着いた男の中で、一番年齢が高いと思われる男だった。

 彼がここにいるということは、アルシオンもいるはずだが、人ごみで背の低い少女の姿は見つけられない。

 とりあえずこんな内輪の話には付き合っていられないと、オーレリーは脱出を図ったが、ニーナと呼ばれた女性に目敏く見つけられてしまった。


「そこのあんた! 旅人だろう? アルシオンお嬢様に呼ばれて、隠し通路で連れて行った! あんたなら説明できるんじゃないかい? 一体何があったのか、教えてくれよ!」

 たちどころに囲まれてしまったオーレリーは、苦い顔で頭を掻いた。


 この役は、できることならアルシオンに任せたかったのだが。

 男たちが青ざめて彼が話すのを止めさせようとしたが、逆に女たちに怪しまれ、隅に追いやられてしまう。


 オーレリーも殺気立った女たちに迫られ、仕方なく話して聞かせた。

 そうして話が終わる頃には、虚ろな沈黙が戻ってきた。

 誰も口を開かず、へたりこむ者さえいる。男たちは全てはお前のせいだと言わんばかりにオーレリーを睨んでいるが、それ以上手を出してこなかった。

 誰かがすすり泣く声がする。


 一人の老人が男たちに向かって、絶望したように呟いた。

「なんという、愚かなことを……!」


 愚かな男たちは、この呟きを聞き逃さず、町のためにだとか、どうしようもなかったと口々に叫び返す。だが、正反対に女たちは、疲れた顔で首を横に振るだけだった。

 残ったのは、鉄屑と死体の山だけ。挙句に【木】の援助まで打ち切られ、災害が去ったことなど小さな喜びにもならない様子である。

 こうして見渡すと、アルシオンはおろか、スタンリーの姿がない。金貸しは既に逃走していて、それを追っていったのだろうか。


 それでは、この民衆は誰が纏めるのか。


 人々に気づかれないように、ゆっくりとオーレリーは広場から逃げ出そうとした。二度目の挑戦である。失敗は許されない。捕まったら最後、関係者として扱われて抜け出せなくなり、【木】へ交渉に出向かされることになるだろう。それだけは遠慮させてほしいのだ。

 その努力あってか、今度は気づかれることなく、橋からずれた位置から広場を抜け出すことに成功し、そろそろと町並みに溶け込もうとした。


 が、その時。路地裏から腕が伸びてきて、彼の肩を掴んで引っ張った。

「お静かに」

 非難の声を上げようとした彼に、相手は自分の唇に人差し指を当てて、小声で囁いた。


 相手は頭から布を被っていて、顔が見えない。オーレリーは眉根を寄せて、自分より幾らか高い位置にある顔を探るように見上げたが、ついてこいという見知らぬ男に、黙ってついていった。

 人の喧騒が聞こえなくなるほど広場から離れた辺りで、前を歩く男は足を止め、振り返る。男は自分の頭から布を剥ぎ取り、肩にかかる金髪を払った。


 端正な顔の男だった。碧眼が煌く美男子で、着ている物は勿論、腰に佩いている剣も立派なものである。

 それなりの階級の人間であることには間違いないが、彼は口を開かずにオーレリーをじろじろと見ている。


「俺の格好がおかしいか?」

 堪り兼ねてそう言うと、男は我に返ったようにすまないと言う。

 それでもオーレリーが嫌悪感を露わにして、腕を組み男を睨みつけると、男は参ったと両手を肩まで挙げた。


「悪かった。突然ですまない。私の名はクラエス。君がオーレリーでいいんだろう?」

「よく知ってるな」


 益々怪しい男に、突き放したように答えると、しまったと悪さを見つかった子どものような顔をする。年で言えば二十歳前後だろうが、憎めない愛嬌があった。


「つまり、伯爵家の者だよ」

 そんなところだと思った。そう言うと、クラエスは面白そうに目を細めた。

「聞いた通り、変な人ですね。あなたは」

「アルはどこだ?」

 聞き捨てならないことを笑顔で言う貴族に頭痛を覚えながら、敢えて無視して話を促す。


 彼がアルシオンの居場所を知っているだろうと思ったのには、貴族の態度にあった。迷いのない歩調と、貴族が仲間を探す以外に、自分で足を伸ばすわけがないからである。この場合、少々都合がいい考えだが、少女が世話になっていたという貴族の誰かに違いないだろう。


 貴族はこちらです、と先導するのかと思うと、オーレリーの横に立って歩き出す。

「悪いね。貴族は苦手なんだ」

 歩き始めてすぐに宣言すると、ほうと、意外そうな呟きが聞こえたが、オーレリーはこれも無視を決めこむ。


 お綺麗な顔をしているばかりで、貴族という人種は昔から嫌いだった。

 アルシオンは貴族らしくないから許容範囲内に納まっているだけで、彼はかなり偏見だけで貴族を評価をしている。できることなら関わりたくないというのが本音である。


 クラエスはどうして、と質問はしなかった。ただ彼がどこから来て、どうしたいのかを淡々と語った。

 それによると、やはり彼はベッティーネ家の長男であり、父親の代理でここに来たらしい。どうもマヤが定期的に行っていた連絡が途絶え、大事になる前にと急いで駆けつけたのだが、既に大事が起きているようで混乱しているところを、オーレリーが通りかかったのだと。


「おい、ちょっと待て。あんたは、どこで俺の名前を聞いたんだ」

 ぴたりと足を止めて尋ねる。どうやら読みは僅かに外したらしい。


 クラエスはまだ微笑んだままで一緒に立ち止まると、当然とばかりにこう言った。

「広場で女性があなたの名前を叫んでいましたよ。アルシオンに呼ばれた、ともね。それに、私の知っているオーレリーという方は一人しかいません。その方が今回の騒動で敵方に回るとは考えにくいですから、ご一緒させていただこうと思いまして」


 なんとも呑気な返事だが、伯爵家の長男だけあって、きちんと見分けはつくらしい。

 貴族でも、自分の名を知る人は小数のはずだが、不運なことに、その少数にぶち当たってしまったようだ。


「じゃあ、どこに向かってるんだ」

 疲れた問いに、クラエスは勿論あちらですよ、と真っ直ぐ前方を指差した。


 その先には、オーレリーも捕らえられたことのある、古い城がある。

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