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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
8.柘榴石
35/43

04

 仕留めた、とルミエラが思った途端、オーレリーの姿が目の前から掻き消えた。

 彼の姿を見失った鎌鼬は、空しく宙を切る。呪文を唱える体勢から、高速で動いたなどあまり信じられないが、現に姿がない。左や右に視線を動かしたが、影も形もない。


 消えてしまった?


 何が起こったのか分からないが、混乱しないよう心を鎮めて、ルミエラはすぐさま【木】全体に意識を集中させる。

 しかし、どこにも彼の姿を見つけられないことに愕然とした。


 そんな、馬鹿な。

 人が煙みたいに消えるなんてことは、できないのに。


 迂闊に身動きできずに、今度こそ心の奥底が渦を巻く。どろりとした、黒い汚いものに触れてしまったような嫌悪感。


 オーレリーの瞳が数百年に一度、ある一族に生まれる一人の子どもにだけ現れる特別なものだということは、風の噂で彼女も知っていた。何でも、その瞳に映るものの過去を観ることができ、物を動かしたりする能力が備わっているという。

 それは瞳を受け継いだ人それぞれで、こうして姿を隠すのが彼の能力なのかもしれない。


 そう考えると、あの男を寄越した教会の人間すらも疎ましくなる。こんなに手間のかかる人間は、久しぶりだったのもあった。

 元々気性の荒い彼女は、激情に流され、理性を失いつつある。


「早く出てきなさい! いるのは分かっているんだから!」

 【木】が吠えた。


 声は唸る風に乗り、辺り一帯を嵐の様相に一変させた。まだ木の実が危険な凶器になって降り注いでいるうちは、まだ良かったとも言える。攻撃はオーレリーにだけ向けられていたし、光り輝く様は恐ろしいが、神々しくも見えたろう。


 だが、こうなってはもう、どうしようもない。


 風だけではなく、地面も縦に揺れだし、ひびが入る。

 まるで【木】を中心に竜巻が居座っているような有様だった。

 このままでは、オーレリーが一番恐れていた自滅にひたすら走るだろう。


 そんな中で、一体彼はどこに行ってしまったのか、姿を見せない。

 もしかして、それが彼の本当の狙いだったのだろうか。そう彼女が思い始めるのは、時間はかからなかった。【木】がこうして他を巻きこんで自滅することは、滅多にないことである。

 【木】は寡黙で冷徹であることが多く、ルミエラのようなタイプは珍しいのだ。


 彼がそう仕向けることで、彼にどんな利益があるのかというと皆無だが、怒りに満たされている彼女には、そこまで考えが及ばない。

 自分の体の一部である枝も、上下左右に折れないのが不思議なくらい盛大に、勢いをつけてしなり、振り回されている。


 そのどこかで、ぴしりと何かが弾ける音がした。

 そこで気がつく。

 苛々として全身で力んでいるのに、どこか体が軽いことに。


 気づいた途端、煮えたぎった心が静まっていき、徐々に風も収まり、地響きも遠のいていく。

 彼女は神経を張り詰め過ぎたせいで、聞こえていなかったのだ。

 彼の呪文を詠唱している声が。


 なぜなら、彼は彼女の心臓部近く、【木】の中央にある窪みの中にいたのだから。

 そこには彼女も手出しできないという計算の上で、彼はそこまで登っていたのである。

 彼女にしてみれば、一瞬のうちに自分の急所に入りこまれるなど、憤慨を通り越して恐怖すら覚える。そこは、たとえ自分が死んだとしても守らなければならない所だからだ。


 そこにはオーレリーがいて、……呪文はもう少しで完成してしまう。


「何するの。……そこは駄目よ。嫌! やめて頂戴!」

 最後は悲鳴になった。


 何とかしてオーレリーを払いのけたいが、その部分は唯一彼女の意識が届かない箇所なのだ。そのため、その部分には誰にも触れさせないように、、外からは入れない細工をしてあった。


 それすら飛び越え、彼は窪みの中で呪文を唱えている。彼が時の止まった中で、見るからに守りが堅いここを見つけ出すのは簡単なことだった。こうなってしまった以上、手っ取り早く処理するためには、文献で読んだ急所を狙うしかないと踏んだのだ。


 オーレリーはルミエラが叫んだのと、ほぼ同時に呪文を完成させた。仕上げとばかりに槍の石突で床を叩く。

 すると、槍が当たった所から、染み渡るように光が広がっていく。

 もうルミエラの悲鳴は聞こえない。彼の魔法が発動したからだった。


「……やってくれたよなぁ、もう」

 吐き出したのは、腹の底から絞り出した本音と、深いため息。これで終わりではないから、気は抜けないが、小休止くらい入れてもいいだろう。町に入ったときは、ここまで手こずるとは思っていなかったから、余計疲労が肩にのしかかってくる。

 後始末まで待っていることは、頭を振って考えないことにした。


 あとは、仕上げだ。

 槍に意識を集中させると、同調し始めている【木】の鼓動が聞こえてくる。

 ルミエラは気絶した状態にあり、染みこんでいる光が【木】全体に回るまで、この魔法は完成しない。


 彼は起きろと、強く呼びかけた。



 ――あなた、誰?



 呼びかけに答えたのは、ルミエラではなかった。

 舌足らずの幼い声が答える。



 ――どうしてここにいるの?



 (君に会いに来たからだよ)

 オーレリーが質問に答えると、不思議そうに彼を見ている気配がする。



 ――おかあさまは? おこってたのに、さっきからこえがしないの。



 不安そうな声に、こちらまで不安になってくる。

 彼が思ったよりも、声が幼いのも、不安要素の一つだった。ルミエラが自滅しても構わないと思っても、支障ない年齢まで育っていると考えていたのである。


 そう、声の主は、ルミエラの子なのだ。

 【木】は五百年に一度、子をその胎内で産む。実は種はできず、【木】は自分の体の好きな部分で子を産み、ある程度まで育てることができる。時が満ちると、子は母に別れを告げ、新しい別の地に移動する。移動手段は判事が行うのだ。


 そこで、ようやく合点がいった。

 ルミエラがオーレリーに気を許さなかったのは、彼が子を奪うと予め吹きこまれていたからだと。

 その吹きこんだ男こそ、イリーズに違いない。



 ――ねぇ、おかあさまはどうしたの?



 警戒心からか、怯えが混じった声が尋ねて、オーレリーは我に返る。


 (おかあさまは寝てるんだよ。俺は君を迎えに来たんだ)

 できるだけ優しい声で、相手を落ち着かせるように語り掛ける。


 だが、イリーズの言った通りにしなければならない。彼は、そのためにここまで来たのだから。



 ――そうなの? おおきなこえだしすぎて、つかれちゃったのかな?



 (そうだよ)

 少し心が痛んだが、肯定した。

 だがすぐに、声はがらりと変わった。



 ――あなたはもしかして、オズワルド?



 声が頭に響いた瞬間、やってしまったと後悔した。イリーズなら、彼が子どもを宥めようとするくらいは読むだろう。

 (そうだよ、俺がオズワルドだ)



 ――おかあさまをどうしたんだ!



 (本当に君のおかあさまは眠っているんだよ。話を聞いてくれないからね)


 どういうことだと、甲高い声がキンキンと頭の中を駆け巡る。

 どうやら母親譲りで、相当気が強いようだ。これまた厄介だと思いつつ、後はこの子を信じるしかないかと腹をくくる。


 (俺は君たちを倒しに来たんじゃないんだ)

 とりあえずそう言ってみたが、子どもはとりつく島もなく、嘘だと切って捨てられた。


 (嘘じゃないさ。俺はデジレ爺さんに言われて、ここまで来たんだからな)

 暫く子どもから返事がなかったので、彼は独白するように続けた。


 (名前くらいは知ってるようだな? あの爺さんの跡取りは、お前の母さんとは遠く離れた場所にいる、姉さんの子だった。過去形なのはな……カルサが、お前の従兄弟が何者かの手によって、惨殺されてしまったからだ。誰がカルサを殺したかは、すぐに分かった)


 子どもは動揺しているのか、幾らか緊張した空気が伝わってくる。

 オーレリーは構わず続けた。


 (犯人は賢者を殺して、崩壊のフィーラを盗んでいった。そこまでイリーズは話してくれたか?)

 無論、そんなことを彼が言う訳がない。



 ――そんな! 嘘だ……。



 言葉とは裏腹に先程とは違った意味で、声が震えている。

 信じられないのも分かる。

 いきなり今までの考えを覆されても、脳はすぐには受け付けないだろう。突然やってきた見知らぬ男に、素直にうんと頷けるわけがない。

 ただ、彼が今相手にしているのは子どもである。その柔軟さに賭けるしかないのだ。


 (じゃあ、何のためにあいつはここに来たと言っていた? 多分、お前がまだ小さいことを、確認しただろ? それから……何か、したか?)


 びくりと【木】の鼓動が乱れた。

 もう少しで魔法が完成する。


 無理矢理子どもを強奪することや、ルミエラを自滅しないよう、心を奪うことも、この槍には出来る。

 しかし、彼はそうしたくはなかった。できるだけ、彼らに道を選んでもらいたいかったのだ。自分が示した道が、絶対だとは言わない。それでも、これだけはどうしても譲れない。


 魔法が完成すれば、ルミエラはここから動くことができなくなる。人型をとることも、力を無鉄砲に撒き散らすことも、だ。

 話すことはできるが、それ以上は無理である。


 彼女が起きてしまったら、また話がややこしくなってしまう。その前にこの子どもを説得できたら、と思うが、子どもはまだ口を開く様子はない。

 (俺はデジレ爺さんに言われて、お前を迎えに来た。俺が嘘をついているかどうかは、お前が決めればいい。お前の母さんにしたことは悪いと思ってるけど、お前と話がしたかったんだ)



 ――デジレさまを、ほんとうにしってるの?



 小さな声が尋ねる。


 すぐにオーレリーは応えた。

 (小さい頃から、あの人を見て育ったからな。よく知ってるよ。じゃなきゃ、こんなことはしない。分かってほしいんだ。君の母さんは反対するかもしれないけど、俺についてきてほしい)



 ――どうやって、しんじればいいの。



 これを、とオーレリーは槍を指し示した。

 (この浄化のフィーラに誓おう。君をデジレ爺さんのところまで、無事に送り届けることを。その間、命をかけて俺が君を守る)


 今更ながらの疑問を返した。

 (ところで君は、なんて名前なんだい?)



 ――メルキオール。



 短い答えに、少し手応えを感じる。

 (じゃあ、メルでいいな)

 そこで、子どもの笑い声が漏れ響いた。



 ――おかあさまも、そうよんでくれてるよ。

 ――オズワルド。あなたがやくそくをやぶったとき、あなたはしぬよりつらいめにあうことになるけど、それでもいいの?



 メルキオールが言っているのは、判事と【木】が交わす契約のことである。【木】から産まれた子どもと結ぶ契約で、もしこれを破ると、正に生き地獄を味わうことになる。

 しかし、そんなことはフィーラを継いだ時点で知らされていることだ。覚悟はとうの昔にできている。


 (できるだけ努力するさ。それには、君の協力もかなり必要になってくるから、そのつもりで)

 そう言うと、メルキオールが今度は声を立てて笑った。



 ――へんなにんげん。

 ――いいよ。どっちにしろ、おかあさまとはいつかおわかれをしなくちゃいけないんだ。あなたもけいやくをまもらなければ、わかってるみたいだしね。



 (それじゃあ、君の母さんを説得してもらえるか。多分俺じゃあ、聞いてもらえそうにないから)

 いいよと快諾されて、次に早く帰れと言われる。

 何でと返せば、おかあさまがおきちゃうから、とこうだ。

 子どもなりに、母の性格をよく理解しているらしい。


 そんなわけで叩き出されたオーレリーは、一度だけ【木】を振り返った。

 彼が内部から抜け出した後、魔法は完成して【木】は沈黙を守っている。中に入る前の嵐は消え失せ、不気味なほど静まり返った【木】はとても不自然だ。


 この数日のうちに話は済むと言っていたが、逆に母親に説得されてしまうのではないかと、一抹の不安がよぎる。

 だが、この魔法はオーレリーでなくては解けないものだ。母として、彼女はどうするのだろう。

 どちらでも結果は同じだが、彼としては穏便に済ませたい。


 クロエの声が頭の中で叫んだ。

 アルシオンを裏切るな、と。

 裏切るつもりはない。


 でも、この結果を、彼女はどう思うだろうか。


 それを考えると、背筋が寒くなるが、まぁなんとでもなるだろう。

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