03
彼は言った。
もうすぐ貴方が終わる日は近いと。
その時にはあいつが来て、何か言うかもしれない。でもそれは、信じてはならないと。
その終わりの日というのが今だということは、嫌と言うほど分かっていた。
たとえ、世界が崩れたって構わない。
守るに値しない人間など、一度滅んでしまえばいいのだ。
ベアニクルが追ってきて、何か話しかけてきたようだが、それは彼女の耳には入らなかった。ただ口を動かしている姿しか、今の彼女には見えない。
そう、彼女が息を吹きこんだ木や獣たちまで失うのは避けたいが、ここまで来たら付き合ってもらわなければならない。
彼らは非難するだろうか。
彼らは憎むだろうか。
それを考えると、胸が裂けるように痛い。
けれど、限界なのだ。
もう、耐えられない。
電流が全身をくまなく暴れ回る。
体が砕け散るような衝撃。体内に潜んでいる、自分の知らない何かが暴れ狂っている。
しかし、恐ろしいとは感じなかった。むしろ、何もかもから開放された気分だった。
だがそこで、無粋にも自分を呼ぶ声に思考を中断され、彼女は更に気分を害してしまった。
目を開けば、今一番見たくない人間が足元に立っていた。
オーレリーである。
今彼女は強烈な熱を発していて、近づけるわけがないはずなのに、だ。
彼を忌々しく思うのは、こんなところである。普通の人間では、到底まともにいられないところを、平然と立っている。
否、それを言うなら、以前ここに来た、彼もその仲間になってしまうのだが……。
「イリーズに会ったのか」
いきなりその名前を出されて、なぜか彼女はどきりとした。別に焦ることでもなければ、逆に知ってもらったほうが都合がいいことなのに。
「来たわよ。彼は壁を越え、わたくしのところまでやってきた。そうして言ったのよ。人はわたくしのことなど必要としていないと。近いうちに、必ず町の男たちがやってきて、カシヤーンの二の舞になると。
人がどんな勘違いをしているのかは知ったことではないが、その汚い手で触れられるのかと思うと、怖気が走るわ」
彼女は既に人型をとっておらず、本来の【木】に意識を戻していた。
彼女はそう言われても、今まで必死に冷静を保っていたのだ。彼女は長い時間をかけて人と付き合い、人が過ちを犯しても、反省し悔い改めることが出来る種族だということは分かっていた。その部分をすがる思いで、信じたのだ。
だがその反面は、自身の都合に悪いことは忘れやすい、ということも分かっていた。
ずっと彼女はこうならなければいいと願っていたが、人間は望みを見事に打ち砕いてくれたのだ。
「まさかアルはあんたがそんな風に思ってたなんて、知らなかったろうに。言っておくが、あんたが自爆して、喜ぶのは魔族だけだぜ」
彼女の苦悩も知らずに叩く、オーレリーの呆れた口調に、頭に血が上る。
この男は喧嘩を売りに来たのか。早くどこかに行ってしまえばいいのに。
激しい憎悪と共に、彼女はオーレリーめがけて力を放つ。どんなに運動神経が良かろうとも、人には避けきれない速度。彼も同様、なす術もなく吹き飛ぶはず、だった。
彼の手にある物が、彼女の力を拡散し、彼は変わらぬ状態でこちらを見上げている。
「無駄に力を使わない方がいい。体が辛いだろう?」
静かに宥めようとしているオーレリーに、彼女はますます腹が立った。
「煩いっ! なんでお前はそんな風に平気そうな顔をしているの? わたくしを馬鹿にして! そうよ。みんな、そう。わたくしを馬鹿にして、わたくしのことなんて、どうでもいいんだわ! だから、わたくしがあなたたちを捨てたって、別に構わないでしょ?」
「ルミ――」
一瞬、【木】が半泣きで彼を見下ろしているような――気がした。
オーレリーが彼女に声をかけるより早く、【木】が発光しだす。それは目に覆いをしている彼ですら、手で影を作らなければならないほど、眩しく黄金色に輝いている。
オーレリーは内心舌打ちした。
文書でしか読んだことがないが、恐らくこれが【木】の断末魔なのだろう。このままでは、確実にこの【木】は朽ちてしまう。
それでも、オーレリーは諦めていなかった。槍を【木】に向かって翳すと、呪文を唱え始める。それに気づいたらしいルミエラが、彼に向かって攻撃を開始した。
目には見えない鎌鼬が、彼の体を襲った。衣服や肌を切り裂いていくが、口ずさむ詠唱は止まらない。彼の衣服がずたずたになる頃には、目に巻いた布も少しずつ削られている。
いくらか今詠唱してる呪文が攻撃を相殺しているが、完全とはいえない。
左目の横に深く傷が入り、布が切れるのと同時に、血飛沫が弾けた。
「!!」
彼の集中が途切れたのは、その一瞬だけ。しかし、ルミエラにとっては大きな隙だった。
彼女は渾身の力を込めて、オーレリーに向かって今までよりも大きな鎌鼬を放つ。
確実に心臓を狙うそれを、無事だった右の紅い瞳が確認する。
そして――。
時が、停止した。
硬直したように、何もかもが動かない。
暴風に巻きこまれ、きりもみされている木の葉も、風に逆らえず押し倒されたままの草も、そして、激昂していたルミエラも。
何もかもが停止していた。時が止まるという表現はおかしいので訂正するが、この世界に流れている時間が止まってしまったわけではなく、この辺一体の動きが止まったのである。この辺一帯とは、【木】全体の広さくらいで、森の手前までを指す。
「参ったなぁ……」
その中で、動いているのはオーレリーだけだった。彼は一人、困った顔をして頭を掻くと、呪文を中断する。
そうしても十分な時間があるからだ。否、十分な時間が出来てしまったからである。
この事態は彼としては予期せぬことでもなかったが、命拾いしたけれども、できることなら避けて通りたい道だった。
この事態を作り出したのは彼だが、彼もこの術を使いこなしているわけではなく、彼の紅い瞳による偶然の産物に過ぎないからで、うまく操作できないが故に欠点がいくつもあった。
一つは、動いていない物、例えば石を持ち上げたり動かすことはできない。
一つはこの空間の中で彼は動くことはできるが、外に出ることはできない。この空間には膜が張ってあるようなのだ。
そして最後に、この中で魔法は一切使えないということがある。
この術は彼にとっても、実に厄介で、彼の意思と連動しない。つまり、瞳が勝手に発動させるのだ。どうしてそんな瞳に産まれついたのかは分からないが、瞼を開けていれば、いつでもどこでも発動してしまう。あまりに頻繁に起こり始めた十年前に、瞳は彼の師匠の手によって、『ふた』をされた。それが黒い刺繍の入った布である。
瞳はなぜか、色んな物事を風景を見通す機能もある。
だから今、固まったままの【木】を通して、彼が追い求めていた人物の姿が映し出された。その人は腕を伸ばせば届く位置で、こちらに背を向けている。
オーレリーと同じくらいの背丈で、砂避けの白い布を頭から被っていた。
だが、彼にはすぐそれが、誰だか分かった。
「お前はいつも、俺に背を向けるんだな」
ふと、オーレリーは苦笑した。
これはこんなところでぐだぐだするなという、彼なりのメッセージなのかもしれない。
それならば、お望み通りにケリをつけてやろうじゃないか。
今読み返すとめっちゃ反則技だな~と思います。
でもオーレリーにはまだまだやってもらうことがあるので、ここで退場はできないんだよな~