02
声で人垣が割れて、ようやくルミエラたちの姿が見えた。どうやらクロエが結界を張ったらしく、その姿はゆらゆらと揺れている。
その中には、獣と座りこんでいるスタンリーの姿も見えた。
「もう沢山よ! そんなお題目はどうでもいいの! 本当に――愚かな人たち! あの人が言った通りよ! あなたたちはわたくしのことなんて、どうでもいいのね!」
あの人? と疑問を返すよりも早く、ルミエラはこちらの背を向け、丘の頂上に向かって駆けて行ってしまう。結界を張っていて動けないクロエに代わり、獣がその後を追う。
「……おい、あんたらにあの鉄の塊を作らせたのは、誰だ」
周囲の男たちがルミエラにあっけにとられているところで、オーレリーは先程の若者の喉に槍の穂を突き出す。
彼もいきなり叫びだしたルミエラに驚いたのか、筒を下ろし、気をとられていたのだ。鋭い穂が肌を今にも突き破ろうとしているのに気づくと、息を呑んで悔しそうにオーレリーを睨んだ。
「答えろ。それとも、俺が代わりに言ってやろうか」
淡々と話すオーレリーの言葉が、やけに重く感じる。
若者は答えない。他の男たちも同様に、口を噤んでいた。
「ブロアだろう」
オーレリーは断言して、確認するために周りを見渡した。
沈黙は守られたままだ。彼はそれを肯定と受け取る。
「ブロアが言ったのか、【生命の木】を売れば高値がつくと。どこに売ると言っていた?」
「……」
男たちは沈黙を守ったままだ。その様子を見ている少女が、まさかと呟いた。
「そのまさかだ。隣の国に売るんだろうよ。あの男は隣の訛りがあったからな。隠すつもりもなかったのかもしれないが」
「敵国でしょう! どうしてみんな、あんな薄汚い奴の言うことなんか!」
「みんなブロアに借金があるからさ。生活のために借りた金だ。嫌でも従うしかないだろうさ」
まだ事態を把握していない様子の少女を宥めてから、しかしオーレリーは決してそういうことではないだろうと考えていた。借金があるから、というのは、理由の一つに過ぎないだろう。
彼らの不満は別のところにあったのだ。つまり、アルシオンの両親による搾取、そして国の増税。それらが彼らの生活を著しく脅かしたのか。そのために町長に加担し、森で鉄の怪物や筒の武器を作り上げたのだろう。
自分たちの生活を、守るためにも。
今にも卒倒しそうな顔色で、少女は男たちを一人一人見渡していく。見知った顔が、少女にとって悪夢に違いない。
町を捨てたと思った人たちが帰ってきた。しかし、こんな形では望んでいなかっただろうに。
「あんたたちを通すほど、【森】の番人は甘くないさ。ここを早く離れた方がいいぞ。なんたって、【木】が怒ってるからな」
今は少女の感傷に構ってはいられない。オーレリーは若者を突き放すと、ずかずかと棒立ちの男たちの間をすり抜けて、クロエの前に立った。
彼らの沈黙が破れたのは、その時だ。
口を開いたのは、結局オーレリーに抵抗できなかった若者である。
「帰れるわけないだろう! 仲間は死んだ! この【森】から出られるわけがない! それに――」
「アルと一緒に出ればいい。スタンリーもだ」
若者の声を遮り、きっぱりと言い切った。そこでスタンリーを見ると、血塗れで動けないのかと思いきや、けろりとした顔で片手を軽く挙げて見せてくれる。瀕死じゃなかったのか。
「俺は何をしろって?」
「……元気そうじゃないか。じゃあ人働きしてもらって構わないかな」
その言葉に、スタンリーはにやりと笑った。
「ま、ルミエラさんとやらには世話になったからな。今回は特別に付き合ってやるよ」
少し意外に感じながら、納得した。ルミエラは【生命の木】であり聖水を生み出すことができるのだから、彼の傷がなくなっていてもおかしくない。
「じゃあ、アルと一緒に【森】を出て、ブロアという金貸しを捕まえてほしい」
「それだけか?」
「もしかしたら、身の危険を感じて逃げ出しているかもしれないから、そのつもりで」
了解とまた軽く返事をして、スタンリーは立ち上がった。結界は出る分には自由なのか、颯爽と少女に向かっていく。
納得できないのは、除け者にされた若者である。
「ここまで来て、帰れるか!」
「帰ってもらわないとな。まだ、死にたくないんだろ?」
どういう意味か理解できない顔をしている若者を、スタンリーが肩を掴んで引きずっていく。非難と怒号がスタンリーを包んだが、そんなことで怯む彼でもない。
彼は全て無視して、少女の前まで来た。
「そんな死にそうな顔をして。おぶっていってやろうか」
スタンリーが茶化すと、彼女は顔色とは裏腹に、しっかり首を振った。
「その必要はない。事情は戻ってから、納得いくまで聞かせてもらうからな」
後半は男たちに向けた言葉である。地の底を這うような声は、これまでとは変わって、男たちを威嚇した。
「だそうだ。あんたらも往生際が悪いなぁ。いい加減にしないと、死体にしちまうぞ」
さらりと言った中に、聞き捨てならないことを交えて、スタンリーは男たちを黙らせる。
誰もが本能的に、この男には敵わないと感じ取ったのである。一人若者だけが喚いていたが、スタンリーの手刀を首に一発食らわせると、静かになった。
本人は知らぬうちに人質になってしまった若者は、スタンリーの引き締まった肩に収まり、ようやく一同は森へと向かう。
スタンリーが見た目によらず力持ちなのに驚いたが、彼らが森の中に消えるまで見送ると、オーレリーはまだ結界を張っているクロエを振り返って、微笑んだ。
「町長とアルマは死んだよ」
「……それなら、もうここには用はないでしょう」
彼女が幾分か警戒したように顎を引いて、睨んでくる。微笑を苦笑に変えて、オーレリーは首を振った。
「俺の役目はまだ終わってない。分かってるんだろう? フィーラを持つ者が負う責務を」
彼は彼女になぜここに訪れたかは語らなかったし、彼女も彼にそれを尋ねなかった。
その必要がなかったからである。
フィーラは精霊や、【ルシエ】に属する者ならば、本物かどうかを見極めることができる。なぜなら、フィーラは大神フィオキラスの一部から作られた物なのだから。人よりも遥かに神の存在を感じられる【ルシエ】ならば、当然のことだった。
一番神に近いのは、神が植えたとされる聖木である。人々は古来より聖木を神からの贈り物として、大切に扱っていた。人々が木を枯れさせれば、神への冒涜になるからである。
人がフィーラを持っているのは、木が魔の力に負けた時に対抗すべく神が作り、人に持たせたとして伝説で言い伝えられている。聖木が危機に陥ると、フィーラに助けを求めるのだという。これを審判と言い、フィーラを持つ者を判事と呼ぶ。判事というのは、木の状態を調べる人のことで、その判定によって、使うフィーラが違ってくる。
そう、フィーラは一つではないのだ。
しかし、そんなことはオーレリーは勿論、クロエも知っていることである。
「安心しろ。これは浄化のフィーラだから。……どいてもらえるか。早く行ってやらないと、大変なことになるかもしれない」
クロエはそう言われて、奥歯を噛み締めた。
「ルミエラさまは、今人に会いたくないはずよ。逆効果になるんじゃない? それに、ルミエラさまは弱ってなんかいないわ! そのフィーラは、ルミエラさまに近づいても何の反応もなかったじゃない! これで、もう終わりよ!」
終わりであってほしいという。願い。
だからここに到着した晩、彼女はオーレリーを眠らせて、試したのだ。聖木の嘆きに反応したフィーラが近寄ると、高く鳴くというから。
「……フィーラは鳴くよ。今ならな。【木】が弱るのは、特に精神的に、肉体的にダメージを受けたときだから。【木】が怒れば、あんたもこうして話なんかできなくなるかもしれないんだぞ。それでもいいのか?」
【木】が怒るというのは、魔を押さえるための力を放出してしまうことである。必然に魔を押さえる力は弱くなり、魔をつけこまれる。そうなれば、ルミエラの力で目覚めたクロエや獣たち、この【誠実の砦】と呼ばれる森全体が何の変哲もない普通の森に戻ってしまう。クロエはこうして人形を取ることが出来ず、獣は喋ることは出来なくなる。
何より、魔界との道が繋がってしまう。それだけは防がなければならなかった。シシロの騒動など、魔界の入り口が開くことに比べたら、ほんの些細な話である。だからオーレリーは町の男たちを、さっさと帰したのだ。
また同じことを繰り返す恐れもあるが、それは一先ず置いておくことにする。
クロエが返事に詰まり、すかさずオーレリーは畳みこんだ。
「本当にルミエラを思うなら、俺に行かせてくれ!」
「……本当に? あなたにルミエラさまを救えるというの? あの人は、そう言ってなかったわ。あなたは卑怯な裏切り者。信じるなとと言われたのよ?」
オーレリーはあの人とは誰か、とは尋ねなかった。見当はついていたが、あれがそんな話をしたとは見当違いだった。彼女はこの【森】の番人なのだから、当然かもしれないが。
「今更ここで裏切って、どうするんだ。俺に何の特もない。俺は【木】を売ろうなんて考えてないよ」
オーレリーはどっと疲れを感じながらも、早口に弁明する。
信じてもらわなければ、本当に手遅れになるかもしれない。焦りを隠しながら、オーレリーは言葉を重ねた。
「それなら、どうすれば信じてもらえるんだ?」
クロエは彼の顔をじっと見た。
「誓って頂戴」
彼女の瞳は、真っ直ぐに彼の布で覆われた目の辺りを凝視している。
「そうやって隠してても、知っているのよ。あなたのその目に誓って頂戴。アルシオンを裏切らないで!」
「……どういう。」
オーレリーが尋ねようとしたその時、二人から少し離れた所に、少し重い何かが落ちてきた音がした。
まさかまた死体じゃないだろうなとそちらを見ると、【木】になっていた黄色の丸い果実である。間近で見るそれは、意外と大きい。
しかし、熟しきっているわけでもなく、半分はまだ青い若い実である。
なぜ落ちてきたのだろうと彼が仰向くと、丁度実が彼の真上に落下するところだった。
慌てて避けると、ひゃうだかひょうだか、奇妙な悲鳴と共に誰かが彼に体当たりを仕掛けてくる。
言うまでもなくクロエだが、わざとやったわけではないらしい。証拠に目線はオーレリーではなく、全く逆の方向を見ているし、結界のことなど忘れてしまったように怯えている。
なんだろうと彼も彼女と同じ方向を見て、固まった。
落ちてきた木の実は、一つや二つではなかったのである。彼らがいる場所は枝先端付近であるから、ちょっと逃げるだけで助かったが、根元に向かうにつれ、数は増えていく。それらが一斉に落ちてきているのだ。実は草の上に転がり、あるいは潰れ、辺りに甘い匂いが広がる。
辺りには強風が吹いているわけでもなく、枝は揺れていないのに、どうして。
あまりの事に、クロエは顔面を蒼白にして、オーレリーにしがみついていた。
「……怒ってる……?」
「だから言っただろう!」
呆然と呟くクロエに、オーレリーは声を上げた。へばりついている彼女を引き剥がしていこうとするが、上着をしっかり掴まれていて動けない。苦情を言おうと口を開いたところで、彼女が顔を上げ、再度彼を睨みつける。
「誓って! ルミエラさまを助けて、町も助けると。そうでなければ、クーが可哀そうだわ!」
森を愛し、愛するが故に殺された女。アルシオンの姉。
どこで歯車は狂ったのだろう?
「言われないでも、【木】を見捨てやしないさ。俺にだって、守らなければならないものくらい、あるからな」
そう言って、木の実の雨に身を投じた。