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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
7.緑に溺れる
31/43

05

 いつも外見と声質が合っていないと思っていた、聞き慣れた声。

 少女が振り返ると、そこには思った通りの人が立っていた。


 そう、オーレリーが。


 彼は何をしたのか、全身を細かく切り刻まれていて、あちこちにうっすらと血が滲んでいる。目を覆う布も千切れかけていて、外れそうになっていた。

 何より驚いたのは、彼の右手に握られた槍である。いつも背中にあった長い包みがないところを見ると、あの槍がいつも肌身離さず持っていた物に違いないだろう。


「やっぱり、そんなに保ってはくれなかったようですねぇ」

「……」

 軽い口調のアルマは、誰がとは言わなかった。


「町長を……?」

「スタンリー、無理しなくていい」

 そう言われたスタンリーは相当無理していたのか、力なく頷いて、アルシオン側に避けた。


「抜けないなら、それでもいい。お前は自分の思う通り、ただの疫病神で終わるだけだ」


 疫病神。全てを投げ出そうとしたあの日、自分に向けて、確かにそう言った。

 だがそれを止めたのは、目の前にいる、この男だ。

 その彼が、まだ飛ぶことを知らない雛鳥を、巣から突き落とすように、少女を捨てる。

 全身の血が、凍った。


 少女が剣を抜かないのなら、そのままでいいと――何もできない、役立たずの臆病者の疫病神の、ヒトゴロシで、いろ、と。


 捨てる?


 いいや。

 自分で、彼を裏切ったのだ。


 イヤ。

 嫌だ。


 もう誰もいなくなってほしくない。もう誰も自分を捨てないでほしい。

 できることなら何でもするから。


 いらないなんて、言わないで!


 少女がぎゅっと閉じた瞼の裏に、火花が散った。


「やればできるのさ。恐ろしいと思うから、全てが恐ろしくなる。それだって同じだ。怖い、恐ろしいと触られたら、辛く当たりもするさ」

 声に、少女は目を開けた。


 目を開けた先に、オーレリーと目が合う。否、彼には目隠しがあるから彼の目は見えないのだが、目が合ったように少女は感じた。鋭い視線に、若干の優しさを含ませながら。

 そう、あの地下室でのときのように。


「信じてやることだよ。その剣は、お前の意思を感じ取れるのだから。――怖くないだろう?」

 そろりと、少女は手元を見下ろす。


 そしてまた、驚いた。

 自分で抜いた覚えはないのに、柄が鞘から僅かに離れている。動かした記憶は、ないのに。


「まぁ、認められたわけじゃないだろうけどな」

 オーレリーは少し楽しそうな口調で呟いた。


 彼が何を言っているのかよく分からなかったが、少女はしっとりと馴染みのある柄を握り直して、引いた。

 次第に黒を帯び、どこまでも長く伸びる柄を引き抜いていく。それを見ていたスタンリーが、ぽかんと魚のように口を開けてその光景を見守った。


 今少女が引き抜こうとしている剣は、前にスタンリーが目にした剣とは違っていた。だからといって、姿形が違っているわけではない。何より彼が目を疑ったのは、染まっていく剣の色が昨日は地の底に沈むような黒だったのに、今は同じ黒でも、光を照り返す光沢のある黒に変わっていたことに、である。

 太い片刃の大鎌が、鞘以上の重さがないことに、少女は高く腕を伸ばして掲げた。見た目とのギャップに戸惑いながら、剣だと思っていたものの正体を眺める。

 妖しく艶やかに光る刃は、手で触れれば白銀を血で染めてしまいそうなほど鋭利で、誤って自分を刺してしまうのではないという恐怖を感じる。過去に一度もこんな形の刃物を武器にしたことはなかった。


 魔族を仕損じれば、命はない。


「そろそろこっちに戻ってきてもらえませんか。こちらにも都合というものがありますのでね」

 今まで完全に無視されていたことに腹を立てている様子はないが、いかにも暇そうにこちらを見ている魔族の声に引き戻された。


「ああ、そうだな」

 答えたのは少女で、一歩前に出る。


「一つ聞いてもいい? お前が町長を唆して、イシュメルを、リュカと家族を殺したというの? そんな必要なかったじゃない!」

 怒りを迸らせる少女に、いつも笑わない目でアルマは微笑みかける。


「レディは知らないほうがよろしいかと思いますよ」

「知りたいから聞いている!」


 軽いため息をついて、アルマは一層笑みを深めた。

「ある日侯爵が我々のところまでいらして、こう言いなさった。娘を拐かす不届き者に罰を下してほしい、とね。そして我々は、侯爵殿に最上級のワインを贈らせてもらった。そういうことですよ」


 地位の高い者が、娘を攫う地位の低い青年に刺客を差し向ける。

 どこでにでもありそうな話だった。

 特に、少女の両親ならば、簡単に実行するだろう。

 そんなことはすぐに分かりそうなことだ。


 姉は記憶を封印したのか。自分でも忘れてしまいたかったのだろう。

 きっと姉は、己を責めたに違いない。

 少女と同じように。


 そこまで考えて、血の気が下がっていくのを感じた。

 両親はワインに毒を混ぜ、呷って死んだ。毒はこの【森】周辺に生える、ペチクニケル種である……。


「それ以上質問がないようでしたら、わたしは先を急がせてもらいますよ」

 アルマの声に顔を上げると、目の前には白い光の玉がいくつも出現していた。彼の指の動きに沿って、その玉はくるくると回転してみせると、三人と一匹に向かってそれぞれ一直線に向かっていく。


 身動きできないスタンリーは、良心が疼いたのか獣が庇うようにして立ち、オーレリーは結界を張っている。


 少女は物思いに耽っていて、光が迫っていることに気づくのが遅すぎた――間に合わない!

 思わず鎌で防御しようと前に翳したのが精一杯で、あまりの光量に目を閉じた。瞼を光が突き刺し、衝撃がびりびりと全身に振動を与える。腰を落として踏ん張ったが、いくらか押し流された。


 だが、それ以上はなかった。

 明らかにおかしい。目を開ければ、黒い鎌は折れもせず、そのままの姿でそこにあった。


 高い口笛の音がして、前方を見ればアルマが今までになく嬉しそうな顔でこちらを見ている。

「そうですよ、そうこなくては。レディ、あなたはきっとわたしを楽しませてくれると信じていました!」


 そう叫ぶと、片手で宙を押すように前方に伸ばした。

 途端、足元の地面がぬかるんだような、底が抜ける一歩手前の腐った板一枚の上に立つ心許ない感覚になり、慌てて下を見ると、少女を中心に見たことのない術式の魔法陣が青い光を放っている。

 逃れようにも、そういう術なのか、体が動かない。


「解、破」

 ぼそりと呟いた声が、妙に耳に響いた。


 その声は――。

 少女がそちらを振り返るよりも早く、足元の光が収束していく。


 今の声は、オーレリーだった。

 彼は何をしただろう?


「そちらもやりますね。じゃあ、もう少しだけ」

 またアルマの声に引き戻される。慌てて彼を見ると、手を高く掲げて指を鳴らしたところだった。

「さぁ、踊りなさい」


 誰が、と尋ねる必要はなかった。地面がぐらぐらと揺れ、アルマの周囲の土が大きく盛り上がる。その土は、猛烈な速さで人形のようなものに作られていく。その高さは、およそ人の三倍はあるだろうか。


「アル! 何をぼうっとしてるんだ。早く行け!」

 あまりに派手な出現をした土人形を見上げていると、オーレリーが少女に向かって怒鳴った。


「お前の相手はこいつらじゃない。あいつだろう!」

 はっとしてオーレリーを見ると、アルマに向かって指を突きつけている。その後ろから、土人形が襲いかかっているのが見えた。


「オーレリー、後ろ!」

 少女が叫んだときには、既に遅かった。緩慢な動きで振り上げられた拳――それだけでも人の大きさほどはあるだろうか――が、オーレリー目がけて振り下ろされる。


 少女は悲鳴を飲み込み、目を見開いてその拳を見ていた。オーレリーの体の細さでは、とてもその土の塊は受けきれまい。

 だからといって、助けに入れるほど少女に余裕があるわけがなかった。振り子のように飛んでくる土人形の足を、かわし損ねて転んでしまう。


 その一瞬は、やけに長く感じた。

 少女の声に振り返ったオーレリーが、目の前に迫った土の拳を手に持った槍で突き刺そうとする。

 そんなことをしても、無駄な足掻きに過ぎないのに。

 少女の頭の中には、拳をまともに食らい、吹っ飛んでいく彼の姿すら浮かんでいた。


 だが。


 オーレリーは木の葉のように吹き飛ばなかったし、拳もそれ以上動かない。訝しげによく見ると、拳にはオーレリーを中心に亀裂が走っていた。

 それも一瞬のことで、水分を失った泥の塊が崩れるように、土人形の腕が脆く砕け散った。


 あまりのことに目を瞑っていると、何かの影が少女を覆った。見上げれば、土人形が足を高く上げ、少女を目標に狙い定めている。

 拳より大きな、真っ平な足の裏が、みるみる間に迫っていた。


 逃げようとして、愕然とする。持ち上げようとした足に、土が絡み付いていた。否、細く小さな土で作られた手が、地面から生えて少女を固定しているのだ。見た目は土だが、引いても叩いてもびくともしない。


 このままでも踏み潰される。

「だから、お前が相手にするのは、こいつらじゃないって言ってるだろ!」

 頭上を見上げたまま硬直している少女の目前で、ゆっくりと近づいていた足が止まった。

 オーレリーの声と共に、足裏全面に亀裂が走り、今度は生き埋めになるかと戦慄する。


「何のために武器を持ってるんだ!」

 重い音を響かせ、オーレリーの持つ石突が地面を突くと、足に絡みついていた手が砕けていく。


 強張った顔で腕を引っ張られるがままに立ち上がり、他に襲ってくる土人形をかわしながらその場を離れた。後ろでは、足をもがれ、平衡を失った土人形が、仲間を巻き込みながら倒れていく。


 辺りに獣とスタンリーの姿は見えない。無事に逃げたのだろうか。

「おい、やる気がないなら俺がやるから、帰れよ」


 最早巨人の遊技場と化したど真ん中で、オーレリーは立ち止まった。土人形が崩れた槌の山の陰に隠れたのである。

 いきなり立ち止まったオーレリーに抗議しようと少女は彼を見上げ――、固まった。

 いつもよりへの字に曲がった薄い唇と、高い鼻は見慣れているが、それより上は、今まで隠されて見えなかった。それは、白い布が常時覆われているからであり、これからも外されることはないと思っていた。


 その布が、ない。


 初めて会ったとき、不審に思って尋ねた。確か、彼は見え過ぎて、ふたをしているのだと言っていた。

 その意味はまだ分からないが、彼の瞳の色に魅入ってしまう。それは彼の持っている杖についている、紅い石にそっくりだった。瞳の奥で、ゆらりと炎が揺らめいている。


「……どうしたの、それ」

 何が、とオーレリーは言いかけて、自分の目に手をやった。


「……いつの前に切れたんだ」

 少し呆然と呟いたが、そんな状況ではないことに気がついたらしい。


 オーレリーは目を吊り上げて少女に向き直ったが、垂れ目だからか全く迫力がない。

 彼は腹に据えかねたように、今までにない激しい口調で少女に怒鳴った。

「さっきから何でぼうっとしてるんだよ。俺のことは構わなくていいから、早く行け!」


 その言い草に頭に来た少女は、オーレリーを上目遣いで睨みつける。

「そんなこと言ったって、こんな鎌、使いこなせるわけないじゃない!」

 正直、せめて長剣であれば良かったのにと思っていた。いくら軽いと言っても、使い方には雲泥の差がある。


 そんな反論をされるとは思わなかったのか、オーレリーは目に見えて狼狽した。

「……その鎌はお前のじゃないのか? でもそれは持ち主を選ぶはずだから、お前が持ち主じゃないとおかしいだろう?」

 まるで独り言のように聞こえるが、少女はその質問に答えた。

「何でそんなことを知ってるの? これは一応あんたの物になってるけど、こんな鎌を見たのは初めてんなんだ! ……確かにあたしがあいつを殺してやりたいけど! どうやればいいのか……」

 途方にくれたように俯く。


 それに、オーレリーは目を細めた。

「うまく扱おうとしなければいい。大事にしてやれ。それから手伝ってほしいとお願いしてみろ。まだ最初だから、少しは助けてくれるんじゃないか」

 少しだけ微笑んだ彼は、今まで見たどの笑顔よりも、人間らしい。


 少女はその笑みに見とれながらも、彼が一体何を言っているのか脳が理解できず、首を傾げる。

 だが、彼は少女に疑問を投げかける余裕は与えてくれなかった。

 少女とは反対側に首を曲げ、すぐに少女に向き直り、口早に言い聞かせる。


「いいか、チャンスは一度きりだ。俺がここを出て行ったら、ゆっくり十数えてからここを出ろ。この方向にアルマがいるはずだから、全力で突っ込め。分かったな?」

 オーレリーがこの方向、と言って指差した先を少女が見ているうちに、彼はさっさと外に出て行ってしまう。


 置き去りにされた少女は、仕方なく数を数え始めた。あの男には、初めて会ったときから振り回されてばかりだ、と内心ため息をつく。

 これは試すために、一度町長に彼を売った時のことで腹いせに仕返しされているのかも、とすら思う。

 それぐらい、オーレリーの言っていることは分からなかった。しかし、ここまで来た以上は、死を覚悟で突っ込むしかないだろう。


 十数えた少女は、意を決して外へと躍り出た。

 すると驚くことに、アルマと少女を結ぶ直線状にだけ、土人形がいなかった。否。そこにいたと思われる土人形は、全て跡形もなく粉々にされてしまっていたのだ。

 誰がやったかは明白だが、少女がそれに気づくのはまだまだ後のことで、彼女はもう、アルマ以外は目に入らなくなっている。


 自信はない。けれど、確かに自信がつくのを待ってくれるほど、時間はないのだと、ようやく悟ったのだ。

 憎い仇敵。アルマを倒さなければ、この【森】に明日はない。


 アルマが自分に向かって疾走する少女の姿を見つけたとき、彼女は一気に距離を詰めている。


「あああああ!」

 叫んで、少女は鎌を左下から右上に振るった。

 その一撃をかろうじて避けた魔族は、すぐに【ルシエ】に逃げこもうとはせず、右手に剣を出現させる。


「お相手しましょう」

 悠々と言ってのけて、細身の剣を構えてみせる。


 少女は無言で魔族に斬りかかった。魔族の剣と噛み合い、ぎりぎりと軋む音がする。力では負けることを予測して、少女は魔族の剣を支点にくるりと回って背後に移動した。そのまま背中を斬りつけようとしたが、そううまくはいかない。同時に振り返った魔族に防がれる。


 少女は慣れぬ武器に悪戦苦闘しつつ、飛ばされないことを考慮しながら鎌を閃かせていたが、相手の顔は余裕を保ったままであることに気がついた。


 相手にとって、こんなことはただの茶番に過ぎないのだ。

 馬鹿にされていることに、自分の力不足を感じる。そう、オーレリーはこの鎌にお願いをしてみればいいと言った。鎌には意思があるから、と。本当かどうかは謎だが、今まで何度も少女の体を乗っ取ったことを考えても、何らかの力が働いていることは確かである。


 一か八かの、賭けになるが。

 何合目かの剣を弾き飛ばし、少女は一度大きく間合いを取った。

 鎌を正眼に構え、頼む、と声に出して鎌に話しかけた。

「頼む、あたしはこんなところで死ぬわけにはいかないんだ!」

 こちらに駆けて来る魔族を睨みつけながら、吠えた。


 途端、手にしっくり馴染んでいた柄から、じわりと暖かいものが手の染みこんでくるのが分かった。それが鎌の意思なのかは分からなかったが、少女は唐突に理解していた。鎌に力が漲るのが感じられ、次はどう動けばいいのかが分かるのだ。


 目前と迫る剣を鎌で受け流し、その隙に魔族の懐に入って喉元に鎌の刃を当てることなど、造作もない。

 一瞬のうちに変化した少女の動きに、アルマは身動きができないまま少女を凝視する。


 しかし、その面に緊迫感は見られない。

 首を斬ったところで、死ぬことはないからだろうか?


「アル! そのまま動くな!」

 なぜか頭上からオーレリーの叫びが少女を貫いた。言葉に従って、振り仰ぐことはしなかったが、目の前にあるアルマの顔が醜く歪んだ笑みを浮かべる。


「……今更、何を怯えているのです? レディ、あなたなどわたしの敵ではありませんが、その剣を使えるようになったのなら……、仕方ありませんね。これはわたしの不手際によるものです。潔く諦めてあげましょう」


 これもまた謎の言葉だが、どうやら彼は、この鎌があるから動けなくなっているようである。つまり、少女自身の力ではないということ。

 少女は唇を噛んで、更に鎌をアルマに押しつける。ここで逃せば、この魔族は【ルシエ】に入ってしまうだろう。それだけは、避けなければならない。この事態は、ここで終わりにしなくては。

 それにしても、オーレリーは何をするつもりなのだろう。


 その時、地面が揺れた。

 丁度アルマの足元が盛り上がり、太い草が――、緑の蔓が、火山が噴火でも起こしたように飛び出してきた。

 少女は鞭の動きで勢いよく飛び出してきたそれに、強か顔を打ち付けられ、鋭い痛みに意識が飛ぶ。


 次に気がつくと、地面に仰向けで倒れていた。上半身を起こすと、目が回っていて視界がはっきりしない。軽く頭を振り、瞬きをすると涙が出た。

 痛覚が蘇ってくる。歯は折れていないが、頬がはちきれんばかりに腫れていた。

 草が生えていた形跡などどこにも残っていない土を眺め、それから目を上げていくと、幹が見える。


 幹、ではない。古い蔓が絡まりあって、木のように天を腕に伸ばしていた。その中心に、アルマはいる。


 ふらつきながら立ち上がると、その蔓がどれだけ太く、どれだけ長く柱を造っているかがよく分かった。蔓はアルマの力を奪っているのか、魔族は困った顔で自分の体を見下ろしている。


「困りましたね」

 ちっとも困っていないようにしか聞こえない。


「もっと困ってくれて構わないんだけどな」

 答えたのは、オーレリー。


 どこにいたのか、少女の横まで来ると、立ち止まった。

 目隠しのないオーレリーは、人が違うように見える。それは表情がはっきり見えるせいだろうが、先程よりも彼が怖い、と思えた。

 目の中に潜む紅い炎が妖しく魅惑するのが、怖い。


「アル、止めを刺せ。あいつの弱点は、ここだ」

 言って、自分の額を指で叩く。


「……あんたは一体、何者なの? それに、その槍」

 確実にこの男は何かを隠しているが、話つもりはないらしい。オーレリーはちらりと少女を見て、参ったなぁ、と呟いた。


「何が?」

「いや、こんなことになるとは思ってなかったからなぁ。気になるだろう? この目」

 それも気になるが、聞いているのはそういうことではない。


「あれを始末したくないなら、俺がやるけど、いいか?」

 動こうとしない少女に、オーレリーが一歩踏み出したが、少女はそれを止めた。


 その役は、渡せない。

 決着は自分でつけると、決めたのだから。


「いや、あたしがやる。額にあいつの核があるんだな?」

「どうしてそんなことが分かるんですか? 適当に言っていない証拠があるわけでもないのに!」

 そこでアルマが叫んだ。


 確かに……、魔族の核を見つけ出す方法など、聞いたこともない。

 少女が答えを求めてオーレリーの顔を見上げると、彼は平然とこう言った。


「俺には見えるのさ。今は目隠しもしてないしな」

「……つまり、特別仕様、ってことか、その目は。お前は人じゃないのか?」

 彼がここに現れた時から感じていたことを少女が口に出すと、彼は慌てもせず、むしろ笑った。

「残念ながら、俺は人間だよ。ただこの目だけが、その、特別仕様なのさ。見たくもないものが見えちまう、邪魔な機能しかついてないけどな」

 そこでオーレリーは、少女の肩に手を置いた。

「……やっぱり、あの幽霊はアルの姉さんだったんだな。良かったよ。あのまま町を彷徨うんじゃ、悲しすぎるからな」


 なぜそれを知ってる、とは聞けなかった。

 つまり、見たのだろう。

 炎の棲む瞳で。


 彼はこれで分かったろう、と少女の肩を叩いて離した。

「そんなことがあるわけない……! 嘘です! 信じるだけ無駄だ!」

 アルマに向き直った二人に、彼はゆるゆると首を振って、目を見開いた。

 信じられないといった顔に、彼が嘘をついていると殴り書きされている。


「たとえ嘘だとしても、あんたはもうそこから逃げられないよ。この槍まで使ったんだから、絶対逃がさないさ」

 オーレリーの言葉に、少女は鎌を握り直して、アルマの顔を睨みつけた。


 魔族の顔に、はっきりと恐怖の色が浮かび上がった。必死に体に巻きついた拘束を引き剥がそうとするが、太い蔓は頑丈に彼を押さえている。

「やめろ! 頼む!」


 叫びは、少女にマヤの死に際の顔を思い出させた。

 試し打ちにされた、無念を。


 瞬時に、体の中が熱く燃え出した。こめかみで血管が脈打つのが耳に痛い。鎌を持つ手が勝手に鎌を振り上げる。

 少女は激しい怒りの中に、意識が飲み込まれるのをはっきりと感じた。


 あの魔族はなぜ慈悲を乞う?

 そんなことで、己の罪が赦されるとでも思っているのだろうか。そうであるなら、こいつは趣味の悪いただの馬鹿だ。

 そんなことが脳裏に一瞬よぎったが、振り上げた鎌は止まるわけがなく、むしろ風を切る音を立てて魔族の額を目指す。


 体内で燃え盛る炎が移ったのか、握った鎌まで熱い。

 少女は自分で何かを叫んでいたが、己の耳では聞き取れない。

 鎌の先がアルマの額に突き刺さる瞬間、絶望に引き攣った口元が――笑みを浮かべた。


 それは、ほんの僅かな時間。

 少女が気づいたときには、アルマの頭の右側から額の中心に鎌がめりこんでいた。

 体液らしい黒い液体が流れ出し、アルマの物言わぬ顔を汚していく。少女の見た笑みは幻覚だったのか、その口は締まりのない開き方で唾液を垂れ流している。


 魔族は核によって生きている。体も自分の力で作り、維持する。その源がなくなったとき、魔界で生まれた魔族は魔界の塵へと還るのだ。

 アルマも今、塵へと還ろうとしている。彼の核があると思われた額の中心から、ぼろぼろと砂のように崩れいく。

 形がなくなるには、そう時間はかからなかった。アルマだったものは、蔓の間に流れていき、何もなくなってしまう。


 オーレリーがその場を離れない少女の横まで来て、槍の穂で蔓の一部を突き刺した。

 少女は身動きしないまま、オーレリーが唱える不思議な発音をする異国の言葉に聞き入る。それは歌のようであり、呪文とは思えなかったのである。

 彼が槍を引き抜いたとき、蔓は笛に操られた蛇に似た動きで、するすると地面へと帰っていく。


「終わったな」

 ため息をついて声をかけてきたオーレリーに、少女は返事ができなかった。


 アルマの笑みに、何か意味があるのではないかと勘繰ってしまう。

 確かに少女もこれで終わりだと思う。否、これで終わりにしてもらいたい。

 だが、嫌な予感は忍び寄る影のように少女に纏わりついて離れなかった。


 それをオーレリーに話すと、少し眉根を寄せたが、とにかくルミエラたちの所に行こうと提案された。多分そこに、スタンリーと獣もいるだろうと。


 少女は後ろ髪を引かれる思いで、蔓の生えていた場所を見たが、先に行くオーレリーの背中を追うことにした。


この辺が一番書いてて楽しかったです。

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