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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
7.緑に溺れる
30/43

04

 【生命の木】は小高い丘を包むようにして立っている。その麓を環状に森が囲むように生い茂り、更に森を囲む、高い生垣が聳え立つ。この生垣は切れ目が一つしかないが、そこにも堅牢な門が、つまりオーレリーが通った扉のことだが、これがしっかりと口を閉じている。

 これらを越えるなら、門から入るのが一番安全だが、鍵を持てない者には容赦ない制裁が待っていた。


 その第一の壁を越え、森に入る手前に、ルミエラ一行は辿り着いていた。とりあえず扉を抜けたことに一息ついて、アルマはまだ来ないというルミエラの言葉に、アルシオンは獣の背から降りることにする。ここから全力で走れば、すぐに【木】の姿が見えるだろう。


 だが、先に進もうとしたとき、ルミエラが急に立ち止まった。


「どうなさいました」

 クロエが声をかけてから、気づく。

 ルミエラは瞳を見開き、その顔色は青いを通り越して土気色になっていた。

「まさか……早すぎる!」


 わなわなと唇を震わせながら叫ぶと、後ろを振り返る。

 獣やクロエ、勿論アルシオンも、ルミエラを倣って今入ってきたばかりの門を見て――絶句した。

 門はこちら側から見ると、門の中を通るときのように、向こう側が透けて見える。

 その向こう側には、ここにいてはならない人影があった。


 目に鮮やかな青の外套を纏った悪魔。

 仁王立ちで腕を組み、余裕綽々の態度で意地の悪い顔が笑う。


 硬直が初めに解けたのは、アルシオンだった。

 勢いよく左腕を真横に伸ばし、視線はそのままで早口に促した。

「ルミエラさまとクロエは、先に【木】まで戻って! ベアニクルはここに残って、援護を!」

 クロエはすぐさま我に返り、ルミエラを引っ張って森の中に消えた。


 ゆったりと隣に並んできた獣は、渋い口調でぼやく。

「援護するのはお前だろう?」

「固いことをいうなよ」

 獣はそういう問題じゃないと言いたげだったが、アルマが一歩踏み出したことで、一気に緊張感が高まった。


 アルマの方からは門は閉め切られた門でしかなく、こちら側は見えないはずなのに、彼はしっかりと少女と獣を見据えている。彼が魔族だからだろうか。

 段々鼓動が早くなり、【鬼蛍】をもう一度握り締め直す。

 あと一歩で扉にぶつかることになるが、彼は躊躇なく、足を前に出した。


「おい……」

 唖然とした声を上げたのは、ベアニクルである。


 アルシオンは声も出ないまま、じっとアルマの姿を目で追った。

 アルマは掌を前方に突き出すようにして、変わらぬ速度で足を更に踏み出す。既に門の中に入っているということになるが、あまり信じたくない光景だった。


 この門は鍵を使わず中に入ろうとすると、弾き飛ばされるか、中で吹き荒れている電撃を受けて死ぬかどちらかのはずである。

 だが、彼には特に障害があるようには見えない。半分以上門に体をめりこませたアルマの動きが、そこで止まった。

 アルマが奇妙な顔をしたかと思うと、頭から後ろに倒れるように、門の向こう側に戻っていく。


 否、引きずり戻されたようだ。

 アルマは勿論、倒れずに踏みとどまって、首の後ろを掴んでいる手を振り払った。

 アルマが動いた拍子に、手の主の顔が見え、今度はアルシオンが唖然とする。


 魔族を猫のように扱ったのは、難しい顔をしたスタンリーだった。

 今頃になって、彼とオーレリーを置いてきたことを思い出す。案内もなしに、よくここまで来ることができたものだ。

 扉の向こうで、二人はいくつか言葉を交わしていたようだったが、不意にアルマが片手をこちらに向けた。


 その途端、少女の全身の肌が粟立つ。

 本能的に獣を押して、全力で左に逃げた。よく分からないのだが、とにかく逃げなければならないと言う恐怖心が、少女を急き立てたのである。


 門から離れた直後、熱風が押し寄せ爆音が轟き、アルシオンは背中を爆風に押し飛ばされて、数秒間体が宙に舞った。バランスを崩し、正面から地面に倒れる。門の破片が鋭く頬を掠め、咄嗟に頭を抱えて体を丸めた。一拍置いて、勢いをなくした風が門の破片をばらばらと運んでくる。


 恐る恐る辺りを窺うと、土煙が立ち込めてて何も見えない。同じく身を伏せていたらしい獣が近寄ってきたのを頼りに、ゆっくりと立ち上がった。双方大きな怪我はないようだが、頼みの綱だった門は、破壊されてしまったようだ。

 一撃で撃破されるほど脆い門ではなかったはずだが、あの悪魔には大したことではなかったのだろう。


 まだ収まらない煙幕の向こうから、瓦礫を踏む音がする。

 生唾を飲み込み、そちらを凝視した。


 何かを言い争う音。

 金属の擦れる音。

 そして、青い光が膨れ上がり、爆発音。


 見えない向こう側で何が起こっているか、想像することは容易かった。しかし、スタンリーが死んだとは、考えられない。別に信じているとか、そんな感情があるわけではなく、単に彼にはそれだけ生命力がありそうだからだ。

 やがて争いの音は途絶え、瓦礫を踏む音がした。こちらに歩いてくるようである。


 足音は一つだ。

 スタンリーか、それともアルマか。


 幾分か晴れてきた煙の向こうに、目を凝らす。

 人影が確認できるところまでくると、スタンリーの声が響いた。


「剣を抜け、アルシオン!」


 ただし、その声は人影よりもずっと遠いところから発せられたもので、少女は硬直する。

 そう、無造作に煙の中から現れたのは、アルマの方だった。

 スタンリーは死んだわけではないらしいが、動けないのかもしれない。


「ああ、レディ。すまないね、こんな無粋な真似をしてしまって」

「……」


 警戒心を剥き出しに構える少女に、笑顔で謝った。決して、そんな風思っていないだろうに。

 魔族を相手に剣を抜かないわけにはいかないことぐらい、分かっていた。

 それが少女にできる、魔族に対する唯一の対抗手段だからだ。


 先程とは違う、冷たい汗が背中に伝うのが分かった。この門でアルマが防げないなら、自分が剣をん抜かなければ【木】は守れない。

 けれど、それは、とても恐ろしいこと。

 やならければならないのだ。昨日と同じように。

 剣に、支配される。


 アルマを睨みながら動けないでいる少女の隣で、獣が威嚇の唸り声を上げた。素早い身動きで一気に跳躍し、アルマに襲い掛かる。

「ベアニクル! 待って……」

 青い外套に襲い掛かる黒い毛皮に、我に返った少女が叫ぶが、遅い。


 アルマは微動だもしなかった。

 獣の鋭い爪が彼の顔面を抉ろうとしたところで、ばちりと見えない壁に獣が弾かれる。獣は宙で何回転か回って地面に着地したが、またすぐに襲い掛かろうとはしなかった。慎重に間合いを置き、少女のところまで後退する。

 この魔族に対抗するために、隙を窺っているのが分かった。

「ご挨拶ですねぇ。それだけで終わりなら、今度はこちらから行きますよ」


 言った途端、アルマの姿が虚空に溶けた。

 少女は慌てずに目を閉じて、辺りの気配を探った。


 少女は、今彼女らの踏んでいる地と折り重なるように存在している、精霊の生きると言われる【ルシエ】という世界があると、姉の記憶の引き出しから見つけ出していた。

 魔族であるアルマならば、その世界に入りこんだと思って間違いない。魔族はどちらの世界も行き来できる上、古には二つの世界を制圧しようとした。


 だから姿が見えなくとも、魔族は今も少女の目の前から煙のように消えてしまったわけではないのである。

 少女は注意深く魔族の気配を探す。【ルシエ】から魔族がこちらに出てくるとき、必ず空間の歪みができるはずである。その瞬間を逃してはならないのだ。


 と、ぼうっと瞼の裏に光る物が見えた。それは右手、つまり獣の目の前辺りである。

 少女は目を開けると、考えもせずに手に持っている棒で、その光が見えた辺りを突く。

 少女が行動を起こしたのと、魔族がその場に姿を現したのは、ほぼ同時だった。


 アルマは自分の胸が白い鞘に突かれそうになっているのを見て、少なからずぎょっとしたようである。さっと身を引き、鞘から順に少女を見やる。

「よく分かったじゃないか」

 一瞬驚いた顔をしたものの、もう余裕の笑みを貼り付けている。彼には少女が太刀打ちできないことなど分かりきっているからだ。


 たとえ、剣を抜いたとしても。

 少女は昨日暴走した自分を止めたのが、この魔族であるとスタンリーから聞いていた。だから剣を抜いたところで、勝てるかどうかの自信は、ない。


 まだ迷いが残ったまま、少女は剣の柄に手をかける。アルマの面白い物を見るような視線を感じながら、ぐっと握り締めた。

 勝てないなんて思っちゃいけない。自分には勝つ必要がある。勝たなければいけないんだ!


 そこで、崩れた門の方から、がらんと何かが転がる音がした。

 一斉にそちらに目が行く。気配を押し殺した誰かが、瓦礫を崩したのである。

「……おい、あんたら。俺を忘れちゃ困るぜ」


 そこには、すっかり満身創痍になったスタンリーがいた。元々顔に目立つ傷がある男だったが、その傷に重なるように鼻から真横にざっくりと刃物で切られていて、鮮血で顔を染めている。右手で押さえた左の二の腕が一番重症なのか、腕がだらりと垂れ下がっていて、指先からも血が滴っていた。その他にも服のあちこちが破れ、そこからも血が流れ出していたが、黒い服のせいか血塗れには見えない。どちらにしろ、このままにしておいたら失血で死ぬだろう。


 それでも彼は、自分の両足で体を支えていた。更に、その口元には笑みすら浮かんでいる。

「言っただろ。お前は、俺が殺すってな」

 あまりに傷つきすぎた男の言う台詞ではない。しかし、制止の声を上げようとした少女に、彼は目配せして口を閉じさせた。


「俺はまだ生きてるぜ。さぁ、決着をつけようか」

 決着どころではないだろうに、スタンリーはそうアルマに促す。


 アルマはそんな彼に、大袈裟に驚いて見せる。

「あなたのような怪我人を相手に、戦う暇はないんですがね」

「お前の都合なんて聞いてられっかよ。かかってこないなら、こっちから行くぜ」


 自棄になっているのか、妙に威勢のいい気合を入れて、スタンリーは足元の瓦礫を蹴った。

 一体どこにそんな体力が残っていたのか、だらりと垂れていた左手に申し訳程度に握られていた滅びの剣を力強く構えて、全力でアルマに向かってくる。


 鬼の形相で向かってこられた当人は、いかにも仕方ないなぁといった様子で、ぴたりと人差し指をスタンリーに向けた。

 何が起こるのかと思えば、先程見た青い光が人差し指の先に生まれ、ぐんぐん大きさを増していく。

 それでも突っ込んでいくスタンリーは、自殺したいようにしか見えない。


 お前も待て! と少女が叫ぶ暇はなく、青い光も爆発を控えて待ってはくれない。

 青い光は握り拳くらいの大きさになると、線上にスタンリーへ伸びていった。まさか同じ手を二度も食らうはずがない、と思っていたが、スタンリーはその青い筋を間一髪で避け、なぜか剣で受け止めた。


 仮にも伝説の剣である。折れることはないだろうと思ったが、剣に当たった瞬間、激しい光が辺りを一瞬にして染め抜いた。咄嗟に目を庇うように目を閉じたが、それでも瞼の裏が眩しい。

 その中で、スタンリーは血の滴る両腕を無視して、物凄い圧力のかかっているだろう剣を、無理やり飛ばないように押さえつけている。


 歯を食いしばっていた彼だが、絶叫に近い声を上げて、剣を大きく振るった。

 まるで投げられた球を正確に棒に当てて、打ち返すように。


 反射するわけがないのに、命懸けでそんなことをする彼の正気を疑ったが、更に次の光景には目を疑った。何が起こったのか、彼の振るった剣筋に沿って、空間に大きな穴が開いた。縦にぱっくりと裂かれた宙には、底なしの暗闇が顔を覗かせている。

 その中に、光は吸い込まれてしまった。


 冗談にしか見えない光景だが、本人は極めて真剣のようだ。返した剣を構え直して、アルマに更に突っ込んでいく。

 アルマは少し眉根を寄せただけで、軽い身のこなしでいなして逃げる。さすがの魔族も彼の行動には本気で驚いたのか、その後軽口はなかった。


 スタンリーは傷などものともせずに、逃げた魔族に剣を振るう。その動きは、傷を負った人とは思えないくらい無駄な動きが全くなく、美しいといってもいいほど流れるように魔族を追う。

 スタンリーにつけいる隙がないせいか、しばし魔族は無言で逃げていた。それでも焦れったくなったらしく、右腕で剣を受け止めて大きく飛び、逃げた。当然腕は切られてしまったが、痛そうにも見えないし、血も出ない。


 魔族は核となる部分を破壊しなければ、永遠とも言える時間を生きていられるらしいから、腕一本どうなっても別に構わないのだろう。


「おい、なんで剣を抜かないんだ」

 そのまま、また魔族を追うのかと思えば、息を荒くしているスタンリーの矛先は少女に向かった。

 確かにアルマがこちらに来てから、少女は一歩も動いていない。詰られても仕方がないのだ。

「そんなに怖いか、その剣が。お前が言ったんだぞ。決着は自分がつけるからって! こいつを仕留めるのは譲ってやるって言ったろ!」


 先程俺がアルマを殺す、と自分で言ったことを木っ端微塵にするような発言である。

 だが、確かにそうだった。少女は自分から、あいつを殺すのは譲ってくれと頼んだのである。

 その決意は変わっていない。だが、……まだ、自分のどこかに恐怖が根付いていて、引き剥がせなかった。

 それすら見ない振りをしていたのに、今更迷っている。覚悟は決めたはずなのに。自分はこんなに、弱い人間だったのか。


 少女はスタンリーに向かって、そうだ、と小さく呟いた。これだけは自分がやらなくてはいけないことだ。ここで挫ければ、無念のうちに死んでいったろう姉や、マヤに顔向けできない。

 もう一度自分に喝を入れて、少女は手を置いたままの柄を握り締めた。


「早く抜け! お前は俺が止めてやるから!」


 声は――スタンリーが発したものではなかった。

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