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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
7.緑に溺れる
28/43

02

 爽やかな風が体をすり抜けて、通り過ぎていく。

 一瞬凍結していたオーレリーは、その感覚に数度瞬きをした。


「……なんだって?」

 得体の知れない物を飲み下したときの顔で、彼は尋ねる。


 ルミエラに巻いた布を外すのは勘弁してくれと、宥めすかしたあとである。悪いが説明してくれないかと彼女に頼んだ答えは、さすがに予想外で、二の次が言えなかった。

 最初、余程言いたくないのか、ふっくらとした柔らかそうな唇をきつく噛み締め、また顔を逸らす。

 それでも辛抱強く待っていると、ようやく観念したのか、彼女は勢いよく顔を上げた。オーレリーを真正面から睨みつけて、はっきりと、こう言ったのだ。


「あいつらはわたくしを食らって、この国を制圧しようとしているのよ!」


 そうして固まってしまい、今に至る。

 何度反芻しても、その言葉に他の何らかの意図は含まれてはいないように思う。それならばと、自分の耳を疑った。


 誰が何を、食べるって?


「生きるためなら仕方ないとも思うとも! だがあいつらは、わたくしの力欲しさに、わたくしを力づくで殺し、わたくしを骨の髄まで食い尽くした!」

 ルミエラは、今まで溜めこんでいた物を全てぶちまけるように、捲し立てる。

「確かに隙を見せたわたくしも悪かったとも。それでも、だ! 話し合いをしようと呼び出したのに、返り討ちにするとはどういう了見だ? そもそも、こちらの領域に手を出しておきながら、代表者が謝りもしなかった! あれが、この町の人間の総意だと考えていいのだろうな!」

「……」


 この【森】の西にごみが捨てられるようになったのは、二年くらい前からの話だそうである。ごみを捨てていくのは町の男たちで、木々や草が自分たちの上に、こんな人相な町の人が捨てていったと、ご丁寧に証言してくれていたという。その度に町へ注意を呼びかけていたが、一年と少し前に、ごみと一緒に撒かれた液体が、草を枯らし、周辺に生えていた木々にも影響を与えた。


 それが獣の言っていた、毒だそうだ。


 【森】の主であるルミエラは、今度は警告として町に呼びかけたが、またしても同じことが起きた。

 もうその場所は汚染されてしまっていて、元に戻るのはずいぶん先のことになるらしい。

 ルミエラは【生命の木】だけあって、被害に遭った木々や草木の世話に翻弄された。このせいで【木】は窶れ、人々に枯れかけていると思われたのだろう。

 この時点で、今まで幾度となく発してきた警告をいとも簡単に無視する町の人に、ルミエラも怒りの頂点に達した。

 次は警告ではなく責任をとらせるために、ルミエラは町の代表を呼び出したのだ。


 そう、町長をである。


 場所はこの【森】から外れた、少し北の森の中を指定された。ルミエラとしては人目のある公共の場所を選びたかったのだが、町長側がどうしても譲らなかったのである。

 その当時はあまりの横暴さに、そんなことはどうでもいいとすら思ってしまったのだ。

 そうして一人で出向いたルミエラに対し、町長側は町長とゴドフリーと、なぜか墓守が待ち受けていた。墓守がいたのは、当初ルミエラを殺した後、埋葬まで済ませてしまおうと考えたからだろう。

 三人は手筈通り彼女を殺したが、運ぼうとした二人を町長が止めたらしい。


 らしい、が。それでは話が噛みあわないことに、オーレリーはやっと気がついた。

「……いや、ちょっと待ってくれ。あんたは一度死んだってことだよな?」

 額を押さえて彼が確認すると、ルミエラは首を軽く振った。

「いいや」

「じゃあ、あんたはルミエラさんじゃないってことか?」

 あまりの言い草に、獣が唸って身を低くしたが、慌ててクロエが押さえる。

 言われた当の本人は、そんなことは全く気にならないようで、答えはすぐに返ってきた。


「そうじゃないのよ。この姿はわたくしが造った、ただの玩具。勿論、壊れることもよくあること。何度も造り直していたから、人間はわたくしを不死身だと思ったのかしらね」

「じゃあ、なぜ今もその姿を? あんたの嫌う人間である必要はないじゃないか」


 それこそ人間を嫌うならば、獣の方が心にも優しいのではないか。

 案の定ルミエラは表情を曇らせたが、少しだけ寂しそうに笑って見せた。


「そう、確かに。……この姿には、もう慣れ過ぎてしまった。ないと不安になるくらいにね。この姿は、昔わたくしを体を張って守ってくれた娘のもの。彼女はわたくしを愛してくれた」


 しかしそれゆえに、彼女は若い命を落としたという。


「彼女は人の姿のわたくしを見てみたいと、よく言っていた。それに、この姿ならこちらから町に出向くこともできるし、意外と便利なことに気がついたの。もう何百年も前からこの格好だから、神聖視されるようになったことに、いい気になってもいた。

 まさか、逆手に取られるなんて、思いもしなかった……」


 信頼を裏切られ、挙句人形とはいえ、自分を愛してくれた娘を食い尽くしていく、けだものたち。

 ルミエラはその途中で耐えられなくなり、【森】に逃げ帰った。

 そうして、【森】はその呼び名の通り、砦になったのだ。


 彼女がオーレリーより前に人に会ったのは、アルシオンが出向いてきたときだけだった。なぜ少女だけがこの【森】に入ることができたのかというと、少女と少女の姉は魔法が効かないという特異体質(実は姉も同じ体質だったが、両親は知ることがなかった)だからである。二人がまだ幼い頃、【木】まで来てはルミエラとよく遊んでいた。そのために、ルミエラと【木】が同一であることも知っていて、少女は姉がルミエラをもし誘拐したとしても、意味がないことをよく分かっていて、きっぱり否定することができたのだ。


 少女はオーレリーに、初めて会ったとき、問うた。

 この砂嵐を本当に止められるのかと。


 彼女が一年もの間、町に蔓延っていた砂嵐が、【木】が枯れたことによるものではないことを知っていたのだ。

 少女は別のところに救いを求めていた。

 つまり、姉を救ってほしいと。

 姉であり、幽霊となって姿を現したクーア=パチルが砂嵐を引き起こしたのだ。

 何のために?

 仇を討つために。


 クーア=パチルとルミエラが同時に姿を消したということは、ルミエラの殺害を彼女が見てしまったという可能性が高い。彼女は確かに町長を探っていたに違いないのだ。恋人の不審な死と両親の奇妙な死が、町長の差し金であろうことは、すぐに分かることだからである。

 だが、クーア=パチルも目撃者として殺されてしまったのだろう。彼女は何らかの方法で、死して尚、この地に居座ることに成功したのだ。


「じゃあ俺は、間の悪いときにここに来ちまったと……、そういうわけかい」

 顔に似合わない口調で、オーレリーは頭を掻く。

「残念だが、俺にはその問題はどうこうできないな。そういう感情論的なのは、そっちでやってほしいね。アルをここに連れてくるからさ」


 そう言ってから、オーレリーは自分がそのアルシオンを探しにここまで来たことを、今更思い出した。

 しかし、ここにはあの少女の姿はどこにもない。ではどこに行ったのか。


「あの城か……!」

 彼女が単身乗りこんで行っただろうことは、すぐに予想がついた。あの無鉄砲な娘のことだ。辿りついたところで、きっと既に捕まっていることだろう。

 その考えは当たっていたが、捕まった後、少女は自力で脱走した上、町長を脅かしているなど思いもよらない。

 参ったなぁと更に頭を掻き毟るオーレリーの後方で、潅木が不自然に動いた。


「何かしら、あれ」

 沈黙を守っていたクロエが、それに一番最初に気がついた。


「……は?」

 指差された先を、首を捻り振り返ると、ごみ山の横から、ひょっこりとその何かが顔を出したところだった。


 話の渦中の人物である、アルシオンである。


 あまりのタイミングの良さに、今までそこに隠れて話を聞いていたのではないかと思うほどだった。

 少女は仏頂面のまま、こちらに肩を怒らせて突進してくる。ただ歩いているだけなのだが、妙な威圧感があった。

 その後ろで、また木ががさがさと動いたかと思うと、木の葉を金髪に付けた美青年が呆れた顔を出す。


「おい、ちょっと待て!」

 少女の背中に声をかけてから、こちらに気がついたらしい。面倒くさそうに体を木から引っこ抜くと、全身に付いた葉や枝を叩き落す。首から下をぴったりとしたスーツとブーツで固め、真っ黒に統一した細身の男である。

 その無駄のない動きを見れば、彼がどれほど実戦慣れしているかすぐに知れた。


 黒衣の男に目を奪われていたオーレリーは、少女が自分の胸倉を掴んだのを許してしまう。

「なんでこんな、森の隅にいるの?」

 きつい口調の少女に、オーレリーは平然と掴まれた服を取り戻した。

「よくここが分かったなぁ。あの人に助けてもらったのか?」

 その上、質問を質問で返すオーレリーに、少女の火が一層燃え上がった。

「ふざけている暇はないんだ! 早く【木】まで戻れ!」


 後半はルミエラたちにも向けられた言葉である。

 クロエが戸惑った顔で、二人に向かって一歩踏み出す。


「どういうこと、アルシオン。それにその人は……?」

 少女はルミエラを視界に認めると、苦しそうに顔を歪める。

「この人は、……いや、説明は後にしよう。久しぶりだな、ベアニクル。ルミエラさまも……お元気そうで。

 それより、今は早くここから離れるんだ。一時凌ぎにしかならないが、門の中ならすぐには来られないと思う」


 少女はクロエの質問には答えないで、早口に言った。

 三人(?)と一匹には、訳が分からない。


「おい、何が来るって?」

 代表してオーレリーが尋ねると、少女はそんなことは今聞くなと言わんばかりに、彼を睨んだ。

「アルマだ!」

 苛立ちの混じった即答が返ってきたが、益々混乱するばかりである。

 確かにアルマは敵だが、あの男はさほど執念深くはないように思えたが……。


「……その棒は何だ?」

 少女は片手に、見慣れない白い棒を握り締めていた。もしかして、この棒を盗んできたから、あの変態に追われているのだろうか。

「これは関係ない! いいか、あいつは魔族だった! 魔族が町長に加担していた理由は一つ。【生命の木】だ」


「待って!」

 横から叫び声を上げたのは、ルミエラである。今までとはうって変わり、両腕で自分の体を守るように抱きしめている。今までの似合わない鬱屈した表情は消え去り、信じられないような、怯えた顔でどこか遠くを見ていた。


「……来る。なぜ……あんな化け物がこちら側にいるの?」

 ルミエラは微かに震える声で、誰ともなく問い掛けたが、それで我に返ったようである。

「アルシオンの言う通りよ! 早くここから離れましょう!」


 ルミエラの呼びかけに機敏に反応したのは、クロエとベアニクルだった。獣はひらりと身を翻し、クロエはアルシオンの肩を抱いてその後に続いた。

 ルミエラも後ろを振り返ることなく、さっさと走り去る。


 取り残された二人は、思わず顔を見合わせてしまった。


「行かないとまずいよな?」

「……ああ、そうだな」


 確認しあい、なんとなく肩を並べて、大分先に進んでいってしまったルミエラたちを追った。

 走り出してみて分かったのだが、ルミエラは異常に足が早かった。何せ、クロエとアルシオンを乗せた獣と、並んで走っているのである。彼女が人でない証拠とも言える。


 それは少しだけ、困ったことになった。

 オーレリーは人間の同年齢から考えると、足が早い部類に入ると自負していたが、黒衣の男も、負けず俊敏のようだった。

 しかし、人間と獣では体の作りが違う。よって、あっという間に緑の向こうにその後姿は消えてしまった。


 これも計算外だったのだが、オーレリーは単純に来た道を戻ればいいと思っていた。だが、アルシオンが言っていたように、【木】からずいぶん離れたところまできてしまっていたようだ。今更だが、見渡す限り、見覚えのない風景が広がっている。

 おそらく空間が歪んでいたのか――人為的な魔法は感じなかったから、【木】独自の力なのだろう。

 いや、そんなことを冷静に考える暇は、ない。

 右も左も分からないオーレリーは、早々に諦めて足を止めた。同時に、一緒についてきた黒衣の男も足を止める。

 息を一つ吐いてから、オーレリーは男を見やった。彼は両手を腰に当てて、獣たちの姿が消えた向こうに目を細めている。


「もしかして、道が分からないのか?」

 こちらも見ずに問われ、改めてオーレリーは自分の不甲斐なさに情けなくなった。なぜ彼らは自分たちを置いていったのだろう? ここまで連れてきたのは、あちらだろうに!

 しかし、そんなことを罵る暇もなかった。何より、先程の少女とルミエラの言動の意味が謎のままなのだ。


 アルマが追いかけてくるというのは、どういうことだろう。


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