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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
7.緑に溺れる
27/43

01



 では、あなたは真実と呼ばれるものが、全てまことであると思う?



 ――私にはもう、何がまことで、何が偽りなのか、分からないの。





 アルシオンが町に戻ってきたとき、姉と両親は喧嘩の真っ最中だった。


 というのは、姉の結婚したいという相手が、勲章や身分などからは程遠い、一般の町民だったからである。なんでも姉が賢者の元で勉強している頃に出会い、交際が始まったらしい。

 ちなみに少女に手紙を出したのは、やはり姉である。姉としては、妹が帰ってくる前に結婚にかこつけるつもりだったようだが、全く間に合わずにいた。

 そのまま伯爵家に帰るわけにはいかない少女は、自分を汚物を見るような目で見る両親を避け、家を出た。とりあえず仮の家として町外れの納屋を見つけ、住むことにする。


 姉の相手はリュカの弟で、名前をイシュメルという。


 伯爵の熱血指導により得た人間観察と対処法により、少女は姉を頼ることせず、リュカの家族と仲良くなることに成功した。

 そこでリュカが町の主導者であることや、弟であるイシュメルはその補助をしていることを知り、姉と彼とののろけ話まで聞いた後に、――事件は起きた。


 イシュメルが殺されたのだ。


 ある朝、彼は広場の真ん中にある大きな噴水の中で事切れていた。冷たい水の中に一晩いたと思われる彼の死因は、右手首の切り傷による失血死であるという。凶器は左手に握られた、小さなナイフ。躊躇い傷のないことから、かなり前から彼は姉との結婚に悩んでいたのではないかという憶測が広まった。


 そんなことはないと言えるのは、彼の家族と、姉だけだった。

 第一発見者は、前の晩から泊まっていた姉である。朝起きたとき、隣にイシュメルがいないことを不審に思い(彼は朝に弱かったのである)、あちこち探した結果、眩しい朝日の中、文字通り冷たくなった婚約者を見つけたのだった。


 姉は失意に沈んでいたが、少女は違った。イシュメルの死は、どう見ても自殺には見えないのに、誰もそれを信じて疑わないのが不思議だった。

 万が一、イシュメルが姉との結婚を苦に自殺したのだとしても、普通ならばわざわざ目立つように噴水の中で死ぬ必要はない。彼は極端に目立つことが嫌いで、事務的な仕事が自分によく合っていることを知っていた。周りは最期くらい目立ちたかったのだろうと推測したが、そんなことは有り得ないことだ。他殺であることは容易に知れたが、肝心の犯人は、帰ってきたばかりの少女には、検討もつかなかった。


 そして、その数日後には、侯爵家夫妻が死んでいるのが発見された。

 両親は毒を呷って死んでいたという。こちらの第一発見者は、通いで毎日屋敷に来ている、子持ちのメイドだった。

 二人は暖炉の前で、ワインを一緒に飲んで死んだらしい。その二人についても、自殺であろうと言われている。伯爵家に援助してもらっているとはいえ、侯爵は首が回らないほどの借金を抱えていたからである。


 これもおかしな点がいくつかあった。両親が飲んでいたワインは手に入れるのが難しい、高級ワインだったからだ。おまけに毒の種類がぺチニクニケル種で、これは【誠実の砦】付近に雑草のように生えている。が、この草を毒草だと知る者は少ない。根だけに毒があり、多量摂取すれば昏睡するように死に至らしめるが、少し調べたからといって、製法は分からないはずだった。


 そうして、姉と守護者の失踪事件が起きる。


 姉が死んだと知ったとき、なぜか涙は出なかった。事態は少女が思っていたよりも惨く、吐気を催すほどの怒りが全身から沸々と湧き上がってくる。

 あれほど探し求めていたのに、真実は無情に再生し、停止するばかりだ。最期には暗転して――、それからは姉の思考が狭い箱に閉じこめられたように、延々と反響している。


 今でもそれは、変わらない。姉は溢れ出した感情を、無駄にはしなかった。婚約者を亡くした姉は、本能的に身の危険を感じていたらしい。姉はあの城で古い呪術を研究していて、死してもある一定期間だけこの地に留まれるように、自ら呪を施した。

 そして、僅かに残った思念だけで、姉は、全てに決着をつけようとしたのだ。


 砂嵐は、この町に近づく人がいなくなるように。

 最初は姉の遺体を片づけた、墓守を。

 そして次は、手を下したゴドフリーを。彼はアルシオンに殺される前まで、町から出ていたために姉の力は及ばなかったようだ。

 最後に、指示を出した町長を狙ったが、ザクロの結界によって阻まれた。


 そう、残るのは町長その人だけなのだ。


 少女は姉が失踪してから一ヶ月間捜索している間に、姉がもう生きてはいないだろうことを悟っていた。それは、町長の態度である。あの男は、何としてでも探し出すと言った少女に、特に関心を抱かなかった。

 町を守る守護者を攫ったと思われる人物を見つけるのに、どうして無関心でいられるだろう?

 それは、町長が姉を殺したからに違いない。

 もう生きていない人物を探しても、無駄足だということを知っていたからだ。




 心臓を針で掻き毟られる、痛み。




「ねぇ、戯言はそろそろやめたらどう?」

 アルシオンは見もせず、その隣にいる長身の男を見て、町長は深いため息を漏らした。

「……寝返ったか」

 その言葉に敏感に反応したのは、スタンリーである。

「町長さん、悪いが分かっちゃいないようですねぇ。あんたと契約をしたのは我が愚弟であて、俺とは取引しかしていないでしょう?」


 話してみればこの男、相当名の売れた暗殺者だった。その割りに、第一印象にそぐわない話し方をする。少女はその皮肉の効いた茶目っ気があるところが気に入った。


 ここは、町長の部屋の中である。


 入り口を巌のように塞いでいた重厚な扉は、見るも無残に少女と男の足元で真っ二つにされてしまっている。これは中で錠を落としてしまった町長に業を煮やし、スタンリーが叩き切ってしまったのだ。


 ちなみに、城にいた人たちは一番大きいホールに押し込め、外から鍵をかけておいた。

 カータをなくし、町長は部屋に閉じこもったままの状態に、少女と男が乗りこんで行ったのだ。誰もが半狂乱に叫び、走り、逃げ惑った。

 そちらはあっという間に片はついてしまったが、問題は目の前に座る人物である。この人だけは一筋縄ではいかないと、少女は焦りすら覚えていた。今までこの初老の男を見ても、感じるのは怒りばかりだったのに、姉の感情に感化されつつあるのだろうか。まだ馴染みが薄い記憶は、時折少女を翻弄する。


 町長はどっしりとした机の上に両手を組み合わせ、こちらに目を合わせようともしない。自分が絶体絶命の危機に陥っているとは、欠片も思っていない様子だった。


 それにまた、腹が立つ。

「では、取引を放棄するというわけか?」

 無感情な調子で話す町長は、スタンリーに目もくれない。

「残念ながら。どうやら俺は、ただ単に踊らされていただけのようですからね。言っておきますが、俺を買うなら高いですよ?」


 笑顔だが、目だけは笑っていない。

 口の端を曲げ、スタンリーはあからさまに挑発した。


 彼は少女の話を聞き、この一件に対して、少なからず怒っていたのだ。というのは、町長は彼に懸賞金を払うつもりはなかったのである。それが分かったのは、この城への道中、少女が町長に関することを全て、カータから聞き出していたからだった。懸賞金は全て、森の中にある工場の資材になる予定らしい。


 何に使うかは、今はまだ、聞かない。


 つまり、スタンリーと町長が交わした取引というのは、こうだった。

 スタンリーはアルシオンを捕まえ、少女を人質にして、賞金首を捕まえれば、賞金の三分の二を彼に渡すということだった。どう見ても彼のほうが不利な取引なのだが、彼の願望は、強い人間と一人でも多く剣を交えるということであるらしい。噂を小耳に挟んだ彼にとっては、いい獲物を提供してくれてありがとうといったところだったのだろう。


 町長側は、賞金首の居場所を教えるが、他に手出しをしないならば金を渡そうという、なんとも太っ腹な条件を出していた。というのも、現在【誠実の砦】は人が入れない。ただし、少女とその姉を除いては。

 町長は【森】に、スタンリーを始末してもらおうと考えていたのである。実行は簡単だ。ただ、【森】に向かって肩を押せばいい。

 スタンリーは勿論、【誠実の砦】どころか、【生命の木】の名前すらはっきり知らなかった。城の人たちは、森とか木としか表現してくれなかったらしい。

 真っ先に教えてもらわなければならないことを、一言も漏らさないことにも悪意を感じる。


「では、改めて依頼しようか。隣にいる娘を捕まえろ。礼金は、倍でもいい」


 突然とんでもないことを言い出した町長に、二人とも咄嗟に反応できなかった。

 冗談にしては、完全に目が据わっている。


「馬鹿なことを!」

「いいや、払うとも。然るべき時期がきたら、な」


 思わせぶりに言うが、つまり出世払いということだろう。

 この後に及んでふざける余裕があるとは、舐められたものである。


「何を言ってるんだ。お前に出世があると思ってるの? お前が選べるのは、死か牢獄のどちらかしかない!」


 激昂する少女に、町長はにたりと笑った。

 ぬるりと背中を舐められるような、悪寒。

 町長の顔はとても醜く歪んでいた。そう、気が狂ったのではないかと思うほど、吐気がする気持ち悪さ。


「……今からでも、許してやろう。仲間になればな」

 明らかに様子がおかしい町長に、少女は警戒を強めて、尋ねた。

「なぜそう言い切れる? 盾となってくれる仲間はもういないのに」

「まだいるさね」


 短い言葉に、少女は開こうとしていた口を閉じた。

 断片でしかなかった記憶が、次々に組み合わされて、一年前の悪夢がほぼ出来上がった形で浮かび上がる。


 だから、叫ばずにはいられなかった。口にするのも憚れる、狂気の実態を。



「だから――、ルミエラを食べたというの?」



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