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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
6.木々の憂い
25/43

05

 その後のことは、彼が二度と思い出したくない悪夢になる。少女は言った事を違わず、容赦なく彼を晒し者にしたのだ。


 町の大通りの中心を進み、町を一周した後、城に向かったのである。朝早い時間だからか、誰も外には出ていなかったが、窓の中から覗いている顔がちらほら見受けられた。

 その中でもはっきり顔を出していたのは、カータの父親である、宿屋の主人だった。

 少女と宿屋一家は少なからず交流があったから、父親は少女の仕打ちにショックを受けたようだ。信じられない顔で、目の前を通り過ぎる二人の姿を、ただ眺めていた。

 少女はそれに気づいているのか、カータを小突いて先を急がせる。


 カータは居た堪れない気持ちになって、顔を伏せた。

 町長の右腕である自分が、こんな体たらくでは町長は失望なさるだろう。そう考えると、家の屋根の間から見える城も直視できなくなった。

 やがて城に続く一本道に出ると、城から二人とも見覚えがある人影が出てきた。


 スタンリーである。


 二度目の相対となるのだが、少女には焦りの色は見えない。思わず足を止めたカータの背中を、軽く叩いたぐらいである。

 間に挟まれたカータは、額に嫌な汗が噴き出すのを感じた。言うまでもなく、彼は非戦闘員である。

 こんなところで死ぬのは、ごめんだった。焦って掠れた声で、少女に訴える。

「俺を巻き込むな!」

「巻き込まれないよう、小さくなってるんだな」


 やめてくれ! とカータは内心悲鳴を上げたが、それ以上彼には何も言えなかった。逆らえば背後の少女が、何をするか分かったものではない。

 緊迫した雰囲気の中を、歩調を緩めず両者は近づいていく。


 一歩一歩がカータには地獄だったが、スタンリーの嘲笑を認めたとき、怒りが沸き立った。

 なぜ自分がこんな目に遭わなければならない?

 あまりの理不尽さに、腹が立つ。彼は突然立ち止まり、少女に押されても動かなくなった。

「俺を押すな! スタンリー!」

 少女に怒鳴ってから、カータは正面に立つ、黒衣の男を睨みつけた。

「早く俺を保護するんだ!」

「なぜ?」


 その返答は予想だにしなかったのだろう。カータは返事に窮した。

「なぜって……。お前は雇われた身だろう? 雇い主を守るのは、当然じゃないか!」

「そんな契約をしていない」


 これまたさらりと言われ、カータは唖然とした。

 では町長は一体、この男にどんな依頼をしたのか。


「俺は強い奴がいるから来ないかと、弟に誘われただけだ。その後ろの奴みたいにな」

「……」

 男は少女を見て、楽しみにしていた玩具を手に入れたような、愉しそうな顔をする。

「でも、見くびっていたようだな。噂のお尋ね者に会えると思っていたんだが、お前でも役に不足ない」

 勿論カータには、そして少女には何を言っているのか分からない。


「それなら、早く俺を解放してくれ! じゃ、邪魔だろう?」

 そんなことはどうでもいい! と喚くカータに、男は頷いた。

 無造作に一歩踏み出し、またあの剣を抜き放つ。

「ああ、邪魔だな」

 そう言ったのと同時に、地面を蹴った。

 少女は顔色一つ変えずに、男が目前に迫った瞬間、横跳びに避けた。

 カータは置いたまま。男の狙いは少女なのだから、彼はカータなど目もくれず、少女を追い掛ける。そう、少女は考えていた。


 少女が着地したとき、男はカータに向かって剣を振り上げると――、彼を、斬った。


 鮮血が噴き出す前に、男はカータの横をすり抜けている。

 肩から袈裟掛けに腹までばっさりと斬られた当人は、血が噴き出しても何が起こったのか分からない顔をしていた。だが、無意識に手を腹にやり、その掌にべったりと付いた紅い色に、絶叫を上げて膝を崩し、倒れた。


 少女はそれに目を瞠ったが、男は倒れたカータなど気にせず、少女に襲いかかってくる。少女はすぐさま体勢を整え、男の左側――城に向かって走り出した。


 まだ、剣は抜かない。


 男もそれを追う。少女は全力で駆けたが、男の方が僅かに早い。

 すぐに追いつかれ、輝く刃を上段から叩きつけられる。それを【鬼蛍】の鞘で受け止め、早口で問うた。


「雇い主の犬を斬って良かったのか?」

「そんなことを聞いている暇があるのか? 早くその剣を抜け!」


 自分の顔が写る瞳は、どこか焦点の合わない、狂った色を宿していた。

 力でも少女は負ける。ぬかるみに足を取られないよう、踏ん張って耐えていたが、無理矢理男の腹に蹴りを入れようとして、片手で受け止められた。

「無駄な足掻きはよせ」

 男が言った途端、ふっと力が弛み、左側から張り手が飛ぶ。それを顔を反らして避けたところで、少女が剣を弾いて足を振りほどき、飛び退った。


「あんたに、この剣が受けられると思うの?」

 少女はそう言い、【鬼蛍】を正眼に構えた。

「抜かないのなら、そんな物はただの棒だ!」

 一声吠え、男は少女に躍りかかる。


 少女は身動きもしない。

 ただ、唇が何かを口ずさんでいた。


 男は構わず、剣で心臓を狙ったが、――何かに弾き飛ばされた。

 一瞬、思考が停止する。彼が考える上で、こんなことは有り得ない。そう、こんなことがあってはならなかった。少女が何かに頼らず、防御魔法を使えるわけがない。


 しかし、その一瞬が命取りだった。少女は素早く男の懐に滑り込み、逆に棒を頸に押し付ける。

 形勢逆転した少女は、軽く男の腕を捻り上げ、剣を落とさせた。

「ただの棒だって? これが?」


 動揺しているのを必死で隠そうとしているが、いまいち成功していない男の顔に満足しながら、少女は棒に込める力を変える。

 更に顔を歪ませる男に、少女は勝ち誇ったように教えた。


「これの刃だけが特殊だと思っていたの? この鞘は剣の力を抑える役割をしているけど、それだけじゃない。絶対に刃を損傷させないように、自身を守る呪が施してある。ほら、鞘をよく見るといい」

 そう言って、棒を男に押し付けたまま、ぐるりと回転させた。皮膚を捩られ、恨みがましい視線が肌を刺すが、気づかないふりをする。


 男はこの部分だ、と言われた所に目を落とす。確かに剣を噛み合わせたと思われる表面には、傷一つなければ傷もくすみもない。今まで木の棒だと思っていたそれは、木ではなかった。だからと言って、石でもない。顎に触れている感触からすると、やはり木のようにも思う。

 男が盗んだときは手袋を付けていたから、ここまで気づかなかったし、気にもしなかった。

 その生っ白い表面に、細かな陰が見える。どうやらそれが呪文のようだったが、文字には見えない。敢えて言うなら絵文字だろうか。


「読めないだろう。これは古代ヒケルト人の文字だから、読めなくて当然だ」

 ヒケルト人というのは、シシロの隣に接しているグレバティエ国の祖先にあたる人種である。つまり、ここシシロは隣国の領土で、目の前に佇む城はその遺跡だったのだ。あの町長の椅子の下にあった隠し部屋も、然り。

 少女の姉はそんなことまで学び、少女はそれをそのまま受け継いだ。その全てにおいて、まだ混乱しているが、引き出しを探し当てるのにはあまり時間はかからなかった。

 だから、この鞘に書かれていた文字も解読できたのである。

 彩りの少ない鞘に描かれた難解な文様には、こう書かれている。



 ――鴉の羽ばたく晩の空に、流れる雲が霧に隠される。

 汝は星を見出せるか。

 灰から火を。

 木々から石を。



 つまりこの剣を表す言葉なのだが、これを理解できるかで、この剣を使えるかどうかが決まってくる。伯爵は理解してはいなかったが、代々この剣を受け継いできた人物は、隣国出身であることを考え、グレバティエの古語ではないかという所まであたりをつけていた。

 ただ、現在隣国とは仲が悪く、腫れ物のように触れるだけで悪化しそうな状況であることが、解読を遅らせていたのだ。

 それを少女の姉が解読できるということを聞き、伯爵はシシロに【鬼蛍】を送った。だがその時点で姉は行方不明になっていて、今まで解読できなかったのである。


 姉は基本的な古語を理解し、読み、話せたようだ。

 そのことを深く感謝しながら、少女は非難の目で見ている男を冷たい眼差しで見返した。

「分かりもしないくせに、あたしに手出ししないでもらおうか」

 ぐり、とまた棒を込める力を変えずに捻る。


 男は眉根に皺を寄せながら、なんともしゃべりにくそうに口を開いた。

「俺は強い奴と戦いたいだけだ!」

「は?」

「お前じゃなくて、賢者を殺し、逃走している預言者が狙いだ。お前は一緒に行動していたんだろ?」


 逃走、という言葉に、眉を顰める。

 一緒にいたとなるとオーレリーのことになるだろうが、あの男が――オズワルドが指名手配されているなど、聞いたことがない。それとも、少女の知らない所でそんなことになっているか。

 どちらにしろ、あの目立つ容貌でこんな辺境までよく逃げおおせたものだ。さすがだと、少女は素直に感心さえした。


 挙句、こんなことまで言い出す。

「あいつなら今、【誠実の砦】にいるから、行って手合わせ願えばいいのに。あたしもついでに、あいつが本気を出すところを見たいしね」

 そう言って、あろうことに剣を下ろしてしまった。


「なぁ、あんた町長とどんな話をしたんだ?」

「……何?」


 顎を擦りながら、男は怪訝そうに少女を見る。少女はというと、既に剣を腰のベルトに挟んで、意味ありげに微笑んでいる。

「町長とどんな契約をしたんだって聞いてるんだ。ええと、」


 そこでようやく二人は自己紹介した。今までの殺伐とした雰囲気はどこに行ったのか、手は繋がないまでも、男も剣を下ろして普通に会話ができている。


 男も別に隠すことでもないと思ったのか、簡単に喋った。

「俺に賞金首を狩らせる代わりに、お前を捕まえれば賞金の三分の二を貰える予定だったんだけどな」

 そんな旨い話があるか、と言いたかったが、口調からしてどうも、この男は金に執着があるわけではないらしい。

「あたしをダシに、あいつを誘い出そうとしたの? とんでもない思い違いだね。あいつは【生命の木】だけが目的で、あたしとは利害が一致したから一緒にいたに過ぎない。そんな誤解はいい迷惑だから、やめてくれないか?」

「いのちの木だって? なんで殺人犯がそんなものに興味を持つんだ」

 さぁ、と首を捻る少女は、確か理由は家の事情だからだとかなんとか聞いたような覚えがあったが、口には出さなかった。


「まさかその木は、人を蘇らせることができるわけじゃないだろう?」

 突拍子もないことを、男は真顔で言う。


 これには自信を持って、少女は首を振った。

「【生命の木】にはそんなことはできない。あの木が生み出せるのは、もっと別の物だからね。……何でそんなことを聞く?」

 男は未だ顎を擦りながら、記憶を手繰り寄せるように目を泳がせながら、答えた。

「この城には隠し戸が山ほどあるんだがな」

 と、半分崩れかかった城を仰ぎ見る。

「その中にいると、俺には話してくれないことを、山ほど教えてくれるんだ」


 それは盗み聞きである。

 だが、少女は黙って先を促した。


「そこで、そのいのちの木ってやつの話を聞いたような……。ずいぶん小さい声で早口に言ってたから、確かじゃないんだが」

 町長が【生命の木】を狙っているのは、明白な話だ。今更周りを憚る話でもない。

 どんなやましい話をしていたのだろう?


 男はうーんと唸ってから、苦虫を噛み締めたような顔をした。

「不老不死とか……なんとか」


 その言葉を聞いた途端、少女の目の前が真っ暗になった。


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