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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
6.木々の憂い
22/43

02

 その理由は、姉からの手紙で分かった。


 両親は、祖父とはまるきり正反対の、極度の魔法嫌いだったのだ。

 伯爵の検査を受けた少女は、魔法を少しは使えるが、彼女自身には魔法全般が無効だという結果が出ていることも、両親は知っていたのだ。

 つまり、彼らにとって、魔法に纏わるものは、全て憎悪の対象なのだろう。


 ――それがたとえ、実の娘であっても。


 それからは当然だが、実家と疎遠になった。少女と侯爵家を繋ぐのは、密かに交わしていた姉との手紙だけである。


 伯爵は、そうなることを予測していたらしい。どちらにしろ、魔法の知識を欠片も持たない侯爵家に、【鬼蛍】を任せるつもりはなかったようだが。

 伯爵は息子の婚約者だからといって、少女を特別扱いはしなかった。息子と同じように教え、同じように鍛えた。剣の持ち主は、それなりの技倆と教養が不可欠なのだ。


 こうして、少女の男勝りの性格が形成されたのである。


 この生活が、約九年近く続いた。

 その時点で、伯爵家長男であるクラエスとの婚約は破棄されていた。クラエスは都に恋仲の女性ができたからである。相手の身分も不足なく、貴族間の婚姻にしては上出来の部類である。

 それに対して侯爵側は、少女の生家ということで支援を受けることで納得した。


 少女が故郷に帰る機会が訪れたのは、姉が結婚式の招待状を寄越したからである。

 最初は渋っていた少女だったが、世話役をしてくれていたマヤの説得によって、結婚式が終わるまで伯爵家を離れることにしたのだ。


 その時は、こんな悪夢が待っているなど、思いもしなかった……。


 ぽつりと、また頬に水滴が落ちる。その冷たさに、はっきりと意識が覚醒した。

 水の冷たさが、変わったのだ。


 今までも冷たかったのには変わりはないが、まるで落ちた頬まで凍らせるほど、雫は痛かった。

 それに気づいたのと同時に、周囲の空気まで、どんどん温度が下がっていく。

 血管の脈打つ音が、耳音で高く鳴り、全身が緊張した。


 今まではいなかった、何かがいる。


 そのうち、ちろちろと流れる水の音さえ聞こえなくなってくる。

 息が苦しい――。


 暗闇に慣れた目だけで、必死に動かして辺りを見るも、気配はあるが、誰もいない。

 少女が混乱しかけたその時、頭上に白い光が生まれた。

 その白さは、満月の明かりのように、冷たく、柔らかい。


 少女はなんとか体を仰向けにしようとして、痺れた腕をどうにか動かし、肩越しに天井を見上げる。

 目を、大きく見開いた。口を開けるが、すぐには言葉にならない。


「……姉さん」


 少女を見下ろすように立っていたのは、あの幽霊だった。

 彼女が姉であることは、一目で知れた。幽霊の右手の人差し指に、深く長い切り傷の跡がある。この蛇のような独特の形状は、幼い頃、城に侵入したときに、罠に引っかかってできたものである。


 しかし、それを除けば少女の知る、最後に会った姉とは姿が違っていた。頬はえぐれ、美しかった黒髪は真っ白に染まり、その長い髪を結い上げたところなど、少女は今まで一度も見たことがない。あまり煌びやかな衣装は嫌っていたはずだが、白いドレスは花嫁衣装だろうか。何より、瞳が金に輝いているのが、不自然だった。


 少女が今まで、この幽霊を見たことがなかった。マヤですら見たことがあるのに、少女の前には一度たりとも姿を現さなかったのだ。

 その理由も、今なら分かる。これだけ容貌が変われば、誰も姉だとは分からないだろう。そう、少女以外は。姉は妹である彼女に対して、いつも弱みを見せたがらなかったから、今まで現れなかったのか。

 そうかもしれないとは、思っていた。しかし、まさか本当に本人だとは。


「……どうして……、どうして、姉さん!」

 声が掠れて、ひび割れた。

 そんなことはお構いなしに、少女は叫ぼうとする。

 悲痛な叫びが牢に響き渡った。

「まさか……砂嵐は、姉さんが?」



 ――そうよ。



 返事はすんなりと返ってくる。

 そのことに力を得て、少女は続けて尋ねた。

「どうして、……こんなこと、を、したの?」

 声が途切れそうになるが、少女は声を振り絞った。


 幽霊は顔色一つ変えない。そもそも、足元にいるのが妹であるアルシオンであることを、分かっているのだろうか。


 

 ――分かっているくせに。私のイルを殺したあいつらに、裁きを下すためよ。



 イルという名に、少女は聞き覚えがなかった。

 幽霊は、なおも続けて言う。



 ――しかもあいつらは、ルミエラさままで殺したわ! 赦せない。絶対に。



「町長のことか……?」

 幽霊は、そうよ、と今まで少女を射抜いていた、輝く目を外した。

 それだけで、ほっとしている自分に気づく。

 あれほど探し続けていた姉なのに――。

「姉、さん。じゃあ、この雨も、そうなの? 姉さんは今、どこにいるのよ!」



 ――そう。もうこの雨も止む。そのときは、私がいなくなる時よ。



 幽霊は少女の上から退き、鉄格子に向かって、ゆっくりと進んでいく。

 今度は別の恐怖で胸が凍りついた。


 行ってしまう! また置き去りにされるのだけは、嫌だ!


「待って!」

 幽霊は無表情に、肩越しに振り返った。

「お願い! 説明して! どういうことなの?」

 幽霊はその問いに答えなかった。その代わり、少女の方に移動してくる。

 ここで、目を逸らすわけにはいかない。次第に脂汗が額に滲み始めたが、拭う余裕はなかった。

 雫が床を打つ音すら、聞こえない。


 しかし、睨みあいはそう長く続かなかった。

 幽霊の方がしゃがみこんで、目を閉じてしまったからである。

「……?」

 どういうつもりなのか、ゆっくりと幽霊の顔が近づいてきている。だが、体を引くことができない。身動きが、取れない。

 幽霊の顔は、もう鼻先がくっつきそうな位置にある。


 呼吸が止まるかと、思った。


 幽霊は少女と額を合わせたのだ。ただそれだけのことなのに、少女は大きく震える。

 幽霊であって実体ではないというのに、額の合わされた部分が燃えるように熱くなり、そこから何かが流れこんでくる。それが少女を支配しようとしていないのは、すぐに分かった。


 流れこむそれというのは、姉が生存していた頃の、膨大な記憶だったからだ。

 ただし、受け止めるには、衝撃が伴った。激しく叩きつけ、突きつけられる記憶は、どの場面も脳裏で光が弾け、暗闇が満たしたかと思えば、目の前が真っ赤になる。

 高速で埋めこまれる記憶のどれもが、自分の身に起きたことのように思えた。


 途端、胃がせりあがるような吐気がすると思うと、一気に胃液が逆流した。

 その時には幽霊も顔を離してくれていたため、少女は咄嗟に顔を背ける。

 そのまま、床に嘔吐する。

 食事をろくに採っていないためか、出てくるのは胃液ばかりである。落ち着いた頃になると、今度は喉が焼けて、痛くて仕方がない。


 まだ荒い息も落ち着かないまま、幽霊を見上げると――、そこには、もう誰もいなかった。

 しかし、少女はもうそのことを残念がりはしなかった。彼女の中には、姉の記憶があるのだから。

 吐瀉物を避けて寝転び、少女は目を閉じた。体が休息を求めていたのと、ばらばらになったままの記憶を繋げなければいけないからだ。記憶を繋げる作業は根気が要ったが、これが姉の全てなのだと思えば、苦ではない。


 数時間後、鉛が詰まっているように重い、上半身をなんとか持ち上げ、壁に寄りかかることに成功する。手足の鎖がじゃらじゃらと鳴るのが気に障った。


 だがそれも、あと少しのこと。

 陽の差さない地下では分かりにくいが、日の出はもう近いはずだ。



 それで、全てが終わる。



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