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06

 ぬかるみに時折足を取られながら、アルシオンは城への道を着実に縮めていた。裏道からではない。大通りの、真正面からだ。

 少女には、町長の裏をかくつもりは全くなかったのである。

 並ぶ家の屋根越しに見えていた尖塔が、全貌を現す頃には、もう町から外れていた。この先は城まで一本道である。


 そこで、少女はようやく足を止めた。

 疲れたわけではない。ここまできた、感慨に耽っているわけでもない。


 城の前に、人が立っていたのだ。


 最初は雨に霞み、黒い粒にしか見えなかった姿は、足を進ませる度に細部を明瞭にしていった。

 男だった。雨はまだ弱くならないのに、マントを羽織ることもしていない。少女は彼の両手にぶら下がる物を見て、目を細めた。

 抜き身の剣と、細い棒だった。

 棒には見覚えがある。


 そう、それは彼女の物なのだから。


 二人の距離があと十歩というところで、少女はまた足を止めた。そのまま、値踏みするようにあからさまに、男の頭から爪先までをじろじろと眺める。

 男はそんな不躾な視線を気にしないのか、鋭敏な目線で見返した。

「さっきは弟が世話になったな」

「……弟?」

 少女は男の言っていることを理解できなかった。

 男の方も、そのことを気づいたらしい。すぐに補足した。

「ゴドフリーは弟でね」

「……アルマとかいう、魔術士の?」

 彼女がそう思ったのは、二人とも同種、つまり、自己愛の強い人たちだからである。それに、服の趣味も似ている。

「そうじゃない。俺の弟だ」

「……」


 少女が黙って男の顔をまじまじと見てしまうのも、無理はなかった。

 ゴドフリーは彼と似たようなところは一つとしてない。顔形は勿論、あの悪趣味さも彼には見られなかった。


「まぁ……たとえそうだとしてだ。仇討ちか?」

「まさか。そんなわけないだろう。あんな馬鹿な弟の相手をしてくれて、感謝してるよ」

 実に割り切った返事である。本当にそう思っているのだろう。

「じゃあ、……あたしに何の用だ」

 男は口元を歪めて笑う。

 右手に持った棒を、少女に放り投げた。

 慌ててそれを受け取り、それの感触を確かめる。偽者ではないことは、馴染みのある感覚ですぐに分かった。


 だが、一年前に町長に奪われたこれを、なぜ彼が持っているのか分からない。

 警戒するよう、少女は棒を握り締め、男を疑わしげに見た。

 一体この男は何者で、何が狙いなのだろう。

「……」


「それは伝説の【鬼蛍】だろう? 主人を選び、主人に一生仕えるという、聖器の一つだ。

 【森】に向かっていたのに、わざわざここまで引き返してきたのは、それを取り返そうとしたんだろ?」


 少女はそれに答えなかった。確かに男の言う通りだし、この棒のことを知っているならば、下手に口を出すべきではないと思ったのだ。

 男の方も、答えを求めていたわけではないらしい。続けて言った。

「まさか、それのことを忘れていたんじゃないだろうな。それとも、ここに弟がいたから怖気ついたのか? 一年前、ずいぶん派手にやられたらしいからな」

 これにはさすがに少女も顔をしかめた。思い出したくもないもない、嫌な教訓だ――。


「そんなことはどうでもいい! 早く用件を言え!」

 声を張り上げる少女は、釣り上がった目に壮絶な色を含ませていている。

 男はびくともせずに、自分の持っている剣を掲げてみせた。

「この剣に見覚えはあるか?」

 それは、白銀に煌く刃を持った、長剣だった。見た目は大したことのない、ごく一般的に売られているのは同じだが、その刀身には文字が彫られている。

 遠くでもそれが見えたのは、彼女自身が目が良いのと、その文自体が光っているからだった。細く長いので模様にも見えるし、何と書いてあるかまでは分からない。

 それでも少女は、その剣に書かれている言葉を知っていた。文字は古文書によく使われているベイケ文字で、こう書かれているのである。


『ロマリスに眠る角と、名も知らぬセナの勇士よ。我が名はセルツィーア。我を手に取り、滅びゆく永遠の扉を開けよ』


 これはベイケ文字を学んだ頃に、練習がてら先の大戦についての書を訳していたときに見つけた一文だった。

「滅びの剣……? まさか……」

 思わず呟いてしまった声は、驚きも滲ませていた。


 それは数千年前の戦から生まれた伝説として語り継がれていて、この剣を知らない者はいないのでは、というほど有名である。

 ただ、実在しているとは、ほとんどの人は考えていないだろう。剣に詠われている、持ち主であったセナの英雄は戦の後、都を離れ生まれ故郷に戻り、生涯を終えたという。英雄は剣と共に葬られたとされているが、その墓地だと思われる場所が見つかっても、剣は見つからなかったからである。

 今では伝承でしかないそれは、滅びの剣と呼ばれるだけであり、一つの山を簡単に消すことができる威力を持つという。

 そんな剣が目の前にあることをからして、有り得ないことなのだが、更にこんな青年が所持しているとなると、果たしてこれは紛い物ではないかと疑ってしまう。


 確かに、彼は腕が立つように見える。

 しかし、どうやって剣を手に入れたのだろう?

「そのまさかだ。この剣を手に入れてから、誰にも負けたことがない。

 でもいつまでもそれじゃあ、詰まらないだろ。そろそろ力のある奴と、剣を交えたくなってな」

 信じられない表情で、少女は男の顔を凝視してしまった。

「それで、――まさか、あたしを?」

 男は何も言わず、剣先を少女に突きつけた。


「剣を抜け」


 少女は無防備なところを押され、数歩退いた。

 こんな状況に陥るかもしれないとは、思っていた。だがこの棒を返され、おまけに伝説の剣まで出てくるなんて、反則じゃないだろうか。

 足元のぬかるみにはまらないように注意しながら、少女はまだ動いていない男の動きを睨みつけていた。


 焦りが彼女を追いたて、握り締めた白い柄に手を滑らせた。

 だが、それ以上力を込め、引き抜くことはできない。

 棒を見たときから、様々な悪夢が頭に去来しては、少女を責めた。彼女はそれが耐えがたかった。逃げてしまいたかったのだ……。

 引き抜くことは、簡単である。

 しかし、その後はどうしたらいいのだろう。

 この棒を引き抜いた後のことは容易に予想がついたが、それは同時に少女を苦しませた。それが嫌だったから、町長に奪われたままにしておいていたのだ。しかし、【誠実の砦】にはこれを持って行かねばならない。


 柄を掴む掌が、汗で滑る。


 逃げるのは可能だろう。この男の剣をどこかにやってしまうなら、少しは少女に勝機があるかもしれなかったが、そんなことは考えるだけ無駄である。


 怖気つく手に叱咤する。――覚悟を、決めろ。


「早くしろ!」

 怒声に、我に返った。

 それでも一気に引き抜くことはせずに、ゆっくりと柄を引く。

 心臓が、どくりと大きく脈打った。

 今まで滑りがちだった柄から、手が、離れない。

 棒から何かが、体に向かって流れこんでくる。我が物顔で乗りこんでくるそれに、少女は抵抗できなかった。

 雨に濡れ、冷たくなった体が、どんどん熱くなっていく。それは濁流のように、激しく押し流された。


 塞き止められない――、嫌だ!


 そんな少女の内部で起こる葛藤など知らず、男は今までこちらを睨みつけていた少女の頭が、突然かくりと垂れ下がったことに驚いた。

 しかし、腕はゆっくりと柄を引いていき、その刀身を露にしていく。白い柄に光り輝く刃を思い描いていた男は、次第に見えてきたそれに、内心首を捻った。


 見えてきたのは、墨のように黒い柄。よく見れば、少女が掴んでいる辺りも、黒く染まっている。しかも棒の長さからは考えられないほど、引き出された柄の部分が長かった。少女の背丈の半分くらいはあるだろう。


 男は、次第に鼓動が高くなっていくのを感じていた。一体何が起こるかわからない、その、疼くような高揚感。彼はこの瞬間を、ずっと楽しみにしていたのだ。


 やがて、鞘から刃が見えてきた。刀身が緩くカーブを描いているので、半月刀かとも思ったが、違った。刀身の半分が現れたときには、まるで三日月のような形をしている。

 片刃のそれは、すっかり姿を見せると大きな鎌に見えた。少女のもう一方の手にある中身を失った鞘が、対などとは到底思えない。

 黒光りする鎌は、全体から凄まじい妖気を放ち、それを持っている少女はまだ項垂れたままだ。


 少女がゆっくりと面を上げたとき、その瞳の奥に潜む、彼女ではない何かが自分を見ているのを彼は感じた。

 底冷えのする冷たいものが瞳の中に揺らぎ、先ほどまでの余裕のない焦りが消えている。こちらを真っ直ぐに見る少女が、少し笑ったような、気がした。


 次の瞬間、男の目の前に少女の顔があった。


 男はあまりの速さに驚いて、反射的に全身を反らせるように逃げる。間髪いれずに、少女の足が空を裂いた。

 彼女は男が油断した、たった一瞬で間合いを詰め、攻撃を仕掛けてきたのだ。

 大きく後ろに跳び彼は少女から離れたが、地面に足が着こうとしている、まさにその時。視界の端に、鎌を大きく振りかぶった少女の姿が映った。

 少女との距離を大きく離しているから、魔法が使えるわけでもない少女が、そんなところから鎌を振り回しても無駄なだけである。


 それでも、はっきりと嫌な予感がした。

 多分それは、第六感というものだろう。


 男は無理矢理宙で身を捻り、着地点より手前に転がった。

 それと同時に、少女が鎌を振り下ろす。

 途端、鎌の先が当たった地面から、一直線に男の着地点まで深いひびが入った。

 鎌鼬だろうか? しかし、そう悩む暇もなく、変貌した少女は追ってくる。

 低い姿勢で駆け寄ってきた少女は、男の少し手前で飛び上がり、鎌を真横に薙ぎ払うように叩きつけてきた。

 それを男は膝を折って回避し、代わりに着地を狙って足払いをかけたが、これもどういうわけか逃げられる。

 少女が上段に構えて再度向かってくるのを、今度は剣で迎えた。激しく剣戟が続き、男は内心舌を巻く。

 少女が――今までとは人が違ってしまっているが――、ここまでの使い手だとは思わなかったのだ。少しでも雑念が混じれば、そこをつけこまれる。認めるのは悔しいことだが、相手が自分よりも実力は上だった。

 男は既に守りに入っていて、次第に息が上がってくる。足捌きが一瞬乱れ、それが命取りだった。

 鎌に剣を引っ掛けられ、高い音を上げて弾き飛ばされる。


「終わりだ」


 鎌を首に当てられ、最終宣告を告げられた。

 身動きができない。刃が首に食い込んでいる。その部分だけが、熱い。


 彼にあるまじきことだが、このとき、本当に死ぬと思った。確かに自分よりも強い相手に負けたのだから、首を狩られるのも仕方ないことだ。

 しかしこれもまた、彼には珍しいことなのだが、今ここでは死にたくないと思ったのだ。

 力がこもった、その時。男が取り落とした剣が、ひとりでに少女に突進してきた。それを避け、少女は一旦男の首から引く。

 魔法がかかっているらしいその剣は、少女を仕留めるのに失敗すると、くるりと向きを変え、少女の背中側に飛んでいった。


「そこまでにしておいて下さいね」


 緊迫した空気が、のんびりとした声で打ち破られる。

「誰だ!」


 振り返れば、少し離れた所に、その人はいた。

 真っ青な外套、生白い顔に浮かぶ、人を騙す嫌な笑い。

 魔術士のアルマである。


「なぜ邪魔をする?」

「レディがそんなはしたない真似をなさるものではありませんよ」

 いけしゃあしゃあとそんなことを笑顔で言う。

 少女は顔を歪め、鎌を持ち直した。

「そう……、邪魔をするなら、殺すまでだ」

 言い終わるのが早いかどうか、少女は地面を蹴っていた。先ほどと同じ速度で、今度は魔術士の首を狙う。

 男はそれをただ見ていることしかできなかったが、少女が魔術士に向かった時点で、彼の命はもうないと思った。魔術士が少女を相手に、どうやって勝てるだろう。

 魔術士は男の剣を片手に持ち、避ける素振りもなく、向かってくる少女を待っている。

 二人が交錯する、その瞬間。男は大きく目を瞠り、自分の両目を疑った。

 あれほどまで自分が苦戦していた相手を、魔術士は片手で易々と押さえ込み、更にがら空きになった少女の腹に拳を叩き込んでいた。

 少女も、こんなつもりではなかったのだろう。同じく驚愕した顔で魔術士を見て、そのままずるずると地面に崩れ落ちた。その手から鎌が滑り落ちると、ただの白い棒に変わってしまう。

「まだまだですねぇ、スタンリー」

 地面に転がる棒を拾い上げ、少女が腰に差していた鞘に収めた。

 おどけた言い様に、男は憤然と抗議をしようと口を開いたが、ぴくりともしない少女が目に入り、冷静さが戻ってきた。

「……お前は本当に、魔術士か?」

 魔法が使えるというだけで満足する魔術士が多いのが現状で、肉弾戦や刃を交えることとなると、大半が途端に弱くなる。剣士が魔術士になることもあるが、アルマに限っては違うのではないかと男は思う。

「そんなことはどうでもいいでしょう? さぁ、レディが風邪を引かないうちに、運びましょう」

 そう言って、軽々と少女を小脇に抱えると、魔術士は城へ向かってしまう。

 疑問が残りながらも、男は魔術士の背中が無性に憎たらしくなった。

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