03
マヤの遺体は、ひとまず地下倉庫に安置することになった。さっきの石が置かれていたところとは別で、調理室にそれはあった。箱を運びこみ、まだ食べていなかった、かなり遅い朝ごはんを食べる。やはりまた豆雑炊だったが、文句は言わない。
二人とも終始無言だったが、食事が終わった頃に、オーレリーが口を開いた。
「町長はどうしてクロエを捕まえていたんだろうな。あっちが必要なのは、幽霊よけのざくろの実だけじゃないのか」
アルシオンはちらっとこちらに目を向けたが、すぐに目を伏せた。
「そのザクロの実をクロエ自身が採るのを禁じてる。
昔から、あの石はこの侯爵家の財源にもなっていたくらいだから、売ればいい金になるんだ。でも、この砂嵐で盗みが頻繁になって木を傷つける輩まで出てきた。クロエは最後の一滴まで搾り取られて朽ち果てるのが嫌で、木に誰も近づけない魔法を使ったんだ。まさか町長側も魔術士を雇っていたなんて、あの人は知らなかったからな。逆に捕まって、魔法を封じる縄をかけられて囚われてしまった。……本人を捕まえておけば、いつでも石が採れるだろ」
ではざくろの実を独占してしまった町長は、町の人たちからの反感を買っただろうと推測する。飢えをしのぐための資金があるのに、財産を毟り取られるのは、殺意を覚えるだろうから。
「町の人だって抵抗したんだろ?」
「ああ。ただ、あちらは自警団を作っていて手を出せなかったのと、……」
急に口篭り、沈黙してしまった少女は、ばつの悪い顔をしていた。口が滑ったと言いたげである。
「で? どうなった?」
オーレリーが構わず先を促すと、恨めしい目で見られたが、気にしない。
少女は非常に言いにくそうに、言葉を選びながら口を開いた。
「……みせしめに一家皆殺しだ」
「……」
いくらなんでも、それはやりすぎである。
彼の沈黙を理解したのか、少女はだから言いたくなかったと言いたげに、顔をしかめる。
「彼は町の人たちのリーダー的な存在だった。だから狙われたんだろうな。彼は奥さんと、二才になる男の子がいたけど、公衆の面前で彼が殺された後、子供は殴られて殺された。奥さんは助かったけど、……自分で橋から身を投げた」
そこで大きく息を吐く。どうしようもないやりきれなさに、頭を振った。
「誰だって、殺されたくない。お前だって、そうじゃないか?」
皮肉そうに歪む口元に反して、瞳はどこか切なそうな色を帯びている。
やはりこの少女は、意地っ張りなのだ。しかもとんでもなく、不器用ときている。
だが、オーレリーはそんな彼女が嫌いではなかった。
「そうだな。……それは、アルもだろ?」
びくりと細い肩が揺れた。
「知り合いだったんだろ、その夫婦とは」
ゆるゆると大きく目を見開いて、少女は唇を引き締めた。それはつまり、肯定ということだろう。
「だから、疫病神なのか?」
「……。リュカとベルは友人だった。あたしが町を離れている間に、奴らにやられて……。あと一日帰ってくるのが早ければ、助けられたかもしれないのに。あの人が死ななければ、ここまで町の人の士気が下がることもなかったはずだった」
「町を出た?」
「ああ。……物資の援助を依頼に、ニライまで行ってた。了解をもらって、その報告に行ったら、もう誰も、いなかった……」
ニライというのはここから北へ、馬で一週間ばかりかかる土地である。半月かかって帰ってきた少女を出迎えたのは、物言わぬ屍だったのだ。
それは少女にとって、どんな衝撃だったのだろう?
「あの二人は、死んではならない人だった。
だから、町長だけは許せない。絶対にあいつの首は、あたしがもらう」
最後に見せた瞳の色は、怒りに燃えている。
「なら、なぜ自分が消えてしまえばいいだなんて言うんだ?」
「マヤは、絶対にあたしが守ると誓ったんだ――。
勿論、仇をとるさ。でも、どんな顔をして、マヤの旦那に会えばいい? あたしの不注意で、大事な奥さんを殺されましたと?
あたしは誓いを破ってしまった。だから償いをしなきゃならない」
「そうか」
オーレリーはにっこりと微笑んだ。その意味ありげな笑顔に、少女は口を閉じる。
「その償いは命を捨てることじゃない。マヤはアルに死んでほしいだなんて、考えもしなかったはずだ。だから、外に出るなと言っただろ。
それに、俺もアルには死んでほしくないしね」
「……」
少女は難しい顔をして、にこにこと喋るオーレリーの顔を見ながら、思案した。途中までは理解したが、最後の一言が理解できない。
「あたしを……、なんだって?」
「こんなに興味深い人材を、あっさり死なせたくないんでね。そのつもりでよろしくな」
これもけろりと言う。
「……あたしの何が興味深いって?」
「あえて言うなら、その突拍子もない思考回路かな」
それ以外にも色々あるし、何よりここで死んでもらっては、彼としては大いに困るのだ。
だが、少女にそんな胸の呟きが聞こえるはずもなく、急に真顔になった。
「ふざけてるなら、もういい!」
立ち上がり、乱暴な足取りで部屋を出て行ってしまった。
オーレリーはおかんむりの少女を苦笑で見送り、冷めきった雑炊に手をつけた。今後のために、体力をつけておかねばならないからだ。
雨がざあざあ窓を叩く音にふと目を開けると、真上に見慣れた白い天井があった。
それをぼんやりと夢心地で眺めて、徐々に寝る前のことを思い出す。
アルシオンは憤然と自室に戻り、そこで気がついた。勢いで出てきてしまったが、食事の途中だった。しかも、まだ半分以上、残したままだ。咄嗟に引き返そうとした――が、やめた。
食堂には今でもオーレリーがいるはずである。とにかくまた、彼と顔を突き合わせるのはごめんだった。けれど、せっかくの食料を無駄には出来ない。
それなら、オーレリーが寝静まるのを待つか。そう考えてベッドに座りこみ、一冊しかない本を読み始めたところまでは覚えている。多分そのまま、眠ってしまったのだろう……。
そこまで考えて、少女は跳ね起きた。一体今は何時だろう? 朝になっていたら、あの雑炊はもう食べられないかもしれない!
焦燥にかられ、慌ててベッドから降りたとき、窓が目に入った。
カーテンのない窓の外は、暗い。部屋の中だけが明るいのだ。
少女が火を点けておいた蝋燭は既に尽きている。白々とした灯りは、蝋燭の光ではない。天井を見渡せば、部屋の隅に丸い光源があった。
しかし、誰がこれを?
少女が首を捻っていると、見計らったように背後から声をかけられた。
「お久しぶりね、アルシオン。女の子が部屋に鍵もかけず、あんな無防備な格好で寝ては駄目よ」
声には聞き覚えがあった。少しだけ信じがたくて、少女はゆっくりと振り返った。
思った通り、そこには女性が立っていた。その柔らかい眼差しが、少女をくるむ。
「なんて顔をしてるの。歓迎はしてくれないのかしら?」
少女はすぐに声を出せなかった。色々なものがこみあげてきて、声が喉に詰まってしまったのだ。そのせいか、顔も泣き笑いのような、おかしな表情のままである。
「……クロエ、」
「なぁに?」
微笑む姿に偽りはない。泣いて殺してと哀願したらしいが、こうして見る限り、投獄生活に彼女は全く衰えをみせなかったようだ。
晴れやかな笑顔が、少女を安心させるように宥めてくれる。
「……怪我は、ない?」
「ないわ! 確かに捕まったときはもう駄目かと思ったけど、やっぱり生きてるっていいわねぇ」
それを聞いて、彼女はようやく安堵の息を吐いた。
「良かった……」
思わず、声を出してしまう。少しだけ、声が震えた。
「何でもっと早く来てくれなかったんだ?」
自然と声が恨みがましくなった。クロエがいれば、マヤの死はなかったかもしれないのだから。
それに感づいたのか、クロエは少しだけ寂しそうな顔になる。
「マヤのことね。オーレリーから聞いたわ。せめてあなたに忠告だけでもしてから、動けばよかったんだけど……」
「オーレリー?」
意外な名前が飛び出してきたことに、自分の顔色が変わるのが分かる。
「そうよ。彼から全部聞いたわ。ちゃんとご飯食べなくちゃ、駄目じゃない」
そんなことよりも、あの男が何を言ったのかが気になった。
「あいつが……なんだって?」
「あなたがヒステリーを起こしたって」
けろりと答えられ、ますます頭に血が上った。
ヒステリー? そうじゃない!
「クロエ……そういうわけじゃ、」
「分かってるわよ。いつものことでしょ」
「違う!」
またしても沸騰してきた少女に、クロエは有無を言わさぬ笑顔で返した。
「それならどういうことか、説明してみなさい」
「だから、ちょっと気持ちが高ぶっただけで……。しょうがないだろう。まさか、マヤが死ぬなんて……」
圧倒され、尻すぼみにごもごもと言い訳するが、クロエは容赦しない。
「つまりそれはヒステリーってことでしょ。正直に認めなさいな。往生際が悪い」
「……」
「アルシオン、非情になれとは言わないわ。でも、不思議なのよ。あなたはすぐに感情的になりがちだけど、いつだって、本当のところのガードは固かった。彼は特別なのかしら?」
特別? そんなものじゃない。
「オーレリーは、嫌いだ」
手を握り締め、少女は目を逸らして答えた。
そう、どれだけ口では気のないふりをしていたとしても、あの目隠しの下で、彼は彼女を嘲笑っている気がしてならないのだ。
クロエはそんな少女をじっと見ていたが、やがてため息を吐いた。
「仕方ないのない子ねぇ。ま、百歩譲ってそういうことにしておいてあげるわ」
クロエが早々に諦めてくれて、心底ほっとしている自分がいることに、少女は気がついた。それがどういう意味なのかは分からないが、わざわざ追求されることでもない、と割り切ることにする。
「それで、これからどうするの? 結界を張る役目は私が引き受けるわ。オーレリーは情報収集に出かけてるし、あなたはどうする?」
「は?」
安心したのも束の間、ぽかんとクロエを見た。
「今……誰が何をしに行ったって?」
「だからぁ、オーレリーがね」
「ちょっと待って」
少女は両手を前に出して、クロエの話を遮る。
「……あいつはもういないってこと、か?」
「そういうこと。何を驚いてるの?」
呆れた顔でクロエは少女を見たが、当人は全く気にせずに考えこんだ。
オーレリーは最初から、そのつもりだったのだろうか? 彼にとって、自分はどうでもいい玩具のようなものだろう。単なる丁度いい情報源に過ぎなく、もう用なしだから、この屋敷から出て行ったのか。
「また一人で抱えこんで。悪い癖ねぇ。アルシオン、オーレリーに感謝なさいよ」
どうしてそうなる?
疑問の目を向ければ、クロエが苦々しくアルシオンを見ていた。
「あなたが何を考えているか分からないけど、オーレリーはあれでいて、誠実な人だと思うわよ。
――マヤを棺に入れてくれたのも、彼でしょう? 少しは信じてあげる気持ちにならないの」
「……今回のことは、あたしがケリをつければ済む話だ」
「違うわ。何言ってるの――もう」
頭を押さえ、クロエは首を振った。
「すべては【生命の木】の問題よ。アルシオンこそ、そんなに怒ることないでしょう? オーレリーを仲間に引き入れようとしたのは、あなたのくせに」
はっとして、真っ直ぐにクロエを見た。戸惑っているクロエに、アルシオンも困惑した。
何を支離滅裂なことを言ってしまったのだろう。
「……もう少しだけ、休んだほうがいいわ」
「そんな暇は、」
「いいから。……眠りなさい」
そう囁きながら、クロエは少女の額に手を当てた。途端に、少女の瞼がゆっくりと下がり、くたりと仰向けに倒れこんだ。オーレリーと同じ技を使ったのである。
クロエは少女を真後ろにあったベッドに寝かしつけ、穏やかな寝顔を見つめた。
「もう少しだけ、楽になってから起きなさい」