02
ぱちぱちと火が爆ぜる音に部屋を覗いて見ると、中では暖炉に薪をくべているアルシオンの姿があった。
一瞬、その姿を侵入者かと思ったが、この状況で、そんな呑気な侵入者なんているわけがない。
そう思ってしまったのは、彼女が髪を解いていたからだった。いつも布で覆っているから分からなかったが、腰まである柔らかそうな髪は、目の醒めるような赤である。彼女が吊り目であるせいか、膝を抱えている様は大きな猫に思えた。
「そんな綺麗な髪なら、隠す必要ないんじゃないか?」
少女はとっくにオーレリーがいることに気づいていたのだろう。こちらを振り向きもせずに、首を振った。
「こんなに日に焼けた髪の、どこが綺麗なんだ? それに、結わずにおいたら邪魔だろう」
真っ直ぐで艶やかな光沢がある髪に、痛んでいるとは言えない。それにいくら邪魔だと言ったって、部屋の中までわざわざ見えないように布を巻くことはないだろうに。
そう言うと、少女は少し顔を伏せた。
「……マヤが、この髪を気に入っていたから。切れなかったんだ。それに、この色は逃げるには悪目立ちすぎる」
赤毛などいくらでも見てきたが、この町ではそう多くないらしい。確かに逃げている身にしては、派手な目印だろう。
「まぁでも、俺も悪くないと思うぞ、その髪は」
だから切らないでおけと、オーレリーは期待を込めて言った。切ってしまうにはあまりにも勿体無いと思ったのだ。
少女はきょとんとした顔で彼の方に振り向いて、暫くじっと見ていたが、小さく頷いた。
「そうだな。少なくとも、まだ切れないな」
意味深な言葉に頭を傾げながら、オーレリーは髪は乾いたかと尋ねた。
「大体は」
「じゃあ、ザクロ石を見せてくれないか」
そのお願いには、あっさり了解してもらった。早速案内してもらうことになり、少女は火を消す。
先立って行く彼女にどこにあるのかと聞くと、地下だと言う。あの地下への階段ではなく別の地下室があるらしいが、連れられていったのは、玄関だった。
「……。外なのか」
「いや、こっちだ」
また濡れるのかと思うとうんざりしたのだが、少女が向かったのは扉ではなく二階に上る階段だった。ということは、二階に地下への通路があるということだろうか?
オーレリーのその予想も外れ、少女は階段の裏側に回った。
「……」
階段の裏側というか、床に入り口があった。少しは工夫を凝らす余裕はあったのか、階段の裏側に釦があり、(しかも分かりやすく目立つ位置に)それを押すと床が観音開きに少し浮く仕掛けになっているようだ。
「これは食料庫じゃないのか?」
「食料庫は調理室にある」
そうであってほしいと思い聞いたのだが、墓穴を掘ったようだ。これでは隠しているどころか、見つけて下さいと言っているようなものじゃないか!
オーレリーは心の中で絶叫しながら、それでも大真面目な少女に黙ってついていく。
「ああ、足元には気をつけろよ。滑りやすいから」
中に用意してあった松明を持ち、その先に魔法で明かりをつけてやる。湿っていて使い物にならなかったのだ。
生返事を返しながら中に入っていくと、つんとした黴の臭いが鼻についた。踏みしめる階段はどうやら石でできているようで、小石が靴の下で擦れる。
幅が狭く、相当古い階段のようで、ありがたいことにそう長く続かなかった。
降りた場所はオーレリーが心配していたよりは広く、天井も上の部屋と同じとはいかないが、ほどほどの高さがあった。
その中央に、それはあった。
台座が据えられて、その上に載った巨大な宝石の紅い光が目を焼いた。オーレリーは何度か瞬きをして、目を疑う。
彼はクロエの涙の大きさで考えていたのだが、実際はその何倍もの大きさがあった。
「どうやってこんなものを作ったんだ……?」
「樹液を長い時間かけて溜めて、それを固めたのがこれだと聞いたことがある。本当かどうか知らないがな」
鈍く奥底から光を放つ宝石から目を逸らしながら、アルシオンは淡々と言う。
「こんなものがここにあるのは、侯爵家の先祖がざくろの木を植えたかららしい。木が成長して割れた実の中を見たら、果物ではなく宝石が詰まっていた。木は意思を持ち、【生命の木】と【真実の砦】を守る約束で、侯爵家を災いから守る石を授けた。これが、その石だ」
そう言って松明の灯りを消してしまった。紅い石は自身が光り輝いているらしく、辺りはぼんやりと紅い光に照らされる。
「なるほどねぇ。伝説の石ってわけか。その生き証人がクロエなんだろ?」
言いながら紅い石に近寄り、オーレリーは表面に目を滑らせた。
「ん?」
灯りが弱く、よく見えない。
掌に明かりを灯して、石の表面に翳した。そこにはくっきりと、無数の亀裂が刻まれていた。傷口は深く、表面だけが罅割れているようだ。オーレリーはじっとその傷を見て、ぽつりと言った。
「これは……寿命じゃないのか?」
「は?」
「その先祖の話ってのは、かなり古い話だろ? 形あるものは必ずいつか壊れるとか言わないか?
宝石だって寿命があって、永遠に輝いていられないんだ。これだって同じじゃないのかね」
少女は困惑顔で彼を見ていたが、次の言葉に、はっきりと顔が強張った。
「それに、一年も結界を張るためにこれを媒介に使っていたんだろう? 寿命が近いなら、消耗が激しいはずだ。それで矢が結界を通ったんじゃないか」
「そんな……!」
彼女は苦しそうに顔を歪め、激しく葛藤していた。握った拳はわなわなと震えている。
それを見つめるオーレリーは、少女の苦悩が痛いほど理解できた。
つまり、マヤは少女の管理不足のために、不慮の殺人に遭ったということになるのだ。
「マヤは許してくれないだろうな」
「は?」
今度はオーレリーが尋ねる番だった。どうしたら、そんな風に思えるのだろう。
少女は小刻みに震えながら、自嘲した笑いを浮かべた。
「だってそうじゃないか。あたしがむざむざ殺されるのを見守ったようなものだ。死んだって、死にきれないだろう?」
それは、自分に問いかけているようにも聞こえた。
「そこまで自分を追い詰めるなよ」
「じゃあ、誰が責められるべきなんだ! もう嫌だ――人があたしのせいで死ぬのは! 助けられないのに、助ける振りばかりしてあたしはただの疫病神にしかならないじゃないか!」
それは、悲鳴だった。
全身で激情を吐き出す姿に、嘘はない。
だが、彼女が自分を責めるように、誰が彼女を責められるだろうか。
オーレリーもそれは分かっていたが、いたって冷静に告げた。
「疫病神かどうかは、今考えることじゃない。早くクロエを探しに行かないと」
「なぜ? あたしがいたところで、事態は悪化するだけだ。消えた方がマシじゃないか」
馬鹿かという言葉を、オーレリーは危ういところで飲み込んだ。
「アルは一人ではできないと思ったから、俺を仲間にしたんじゃないのか?」
つと、少女は顔を上げ、オーレリーをまじまじと見つめ、笑った。
「ああ、そうだとも。オズワルド・レビウス・リーレイダ」
そう呼ばれたオーレリーは、ちょっとだけ意外そうな顔をした。
「よく知ってたな、その名前を」
軽く肩をすくめ、少女は挑発的に彼を睨んだ。
「お前のその格好で、目立ってないとでも思っていたのか? 魔術士の中では、ずいぶん有名だよ。女の名前で名乗るくせに、女と間違うと怒るそうだな」
オーレリーはうんざりしたように頷いた。
「そりゃ、アルだって男と間違われた嫌だろ」
それを彼女は鼻で笑い飛ばして、きっぱり言い切った。
「あたしは女である必要なんかない。男と間違われるなら、その方が好都合だ」
「意地っ張りめ。だから最初、ナイフなんか寄越したわけか? そこまでしておいて、今更放り出すなよ。情けない」
「じゃあ、どうしたらいいんだよ!」
ついに我慢を超えたのか、少女は再度怒鳴った。
「だから、何のために俺を引き入れたかを思い出せよ。俺が魔術士だからだろ」
さらりと答えを返され、少女は口を閉じた。まだ意味がよく分からないらしい。
オーレリーは根気強く言い聞かせた。
「俺が結界を張れば、誰にも侵入される危険はないから、アルが動き回れるだろ。分かるか? これはアルだけの問題じゃないんだ。自分一人で出来ないなら、こうやって肩を貸してやる人間を利用しろ」
「……」
「分かったら、今日は休め。俺は結界を張るから、明日から出かければいい」
怪訝に眉をひそめ、少女はなぜ明日なのか尋ねた。
「マヤをずっとあのままにはしておけないだろ。さっき手頃な空の箱を見つけたから、棺の代わりにしようと思う。いいだろ」
マヤの名前を聞いたとき、少女は苦しそうな顔をしたが、はっきり頷いた。