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柘榴石の懸念  作者: あまめましゅう
4.紅の記憶
10/43

01

 シシロの中心を横断するように流れているラーテ川には、無数の橋が架けられている。それぞれの橋に名前はついていないが、大広場に繋がる道に架けられている、一番大きな橋は、シューカと呼ばれていた。名前の由来は知られていないが、大抵待ち合わせなどではこの橋を利用する人が多かったようだ。大広場は毎日行商が店を広げていて、人波でごったがえしていたからである。


 今はどこを見ても、人一人いやしない。


 嵐のせいで橋の下をいつもは悠々と流れていた水も、今ではすべて干上がり、その白々とした素顔を見せている。

 アルシオンは橋の中心に立ち嵐を受けながら、黄色の世界に目を細めた。

 砂嵐が早くは止むことを祈っていた。みんなずっと天災が続く理由は、【生命の木】が枯れ始めたせいだと言うが、彼女はそう思っていなかった。


 今は誰も【木】を見ていないのに、そんなことが言えるはずがないからである。それは彼女にも言えたことだ。現状の【木】がどうなっているのかは、ざくろの精霊である、クロエしかいないのだ。

 だから、クロエに話を聞きたかった。それなのに、クロエは町長に捕まってしまって、手も足も出ない。


 この嵐を止めて見せると豪語したあの男ならば、捨て駒として使っていいと思ったのだ。彼は当然逃げようとするだろう。もし逃げられずに町長に取り込まれても、少女にとって害にはならない。ただ、あの狭いだけが取り得の住処にはもう行けないだけだ。そのことも考えて、あの男と別れた後に、簡易ベッドの下に作ってあった抜け道を埋めてきていた。


 では逆に逃げようとするならば、少なくとも混乱が起こるはずだ。それに乗じてクロエを助け出すつもりだった。少女はあの城については、町長よりも知っていることを自負していたから。

 まさかこんなことになるだなんて想像していなかったが、クロエが逃げたならば会いに来てくれることだろう。そうすれば、……そうすれば?

 今でも屋敷の周りは監視の目が光っていることだろう。それが酷く忌々しい。人を犯人扱いする町長に、疑いの目を向ける、全ての人に。

 こんな生活を強いられて、一年以上が過ぎようとしている。事態は悪化するばかりだ。もう逃げ続けるのは、潮時じゃないだろうか。


 橋の手摺に寄りかかり、下を眺める。川底は思っていたよりも深い。大の男の身長で、十人分くらいだろうか。水のない今、ここから落ちたら即死だろう。


 風が地面に積もった砂を巻き上げる。何とはなしに砂の踊りを見ていたが、砂が舞い上がるにつれ、砂の中から何かが見えてきた。

 初めは、手だと思った。白く細いために、彼女のいる場所からはよく見えない。次第に足が出て、肩が出た。柔らかい線を描くそれらに、きっと女性だと身を乗り出す。体は殆ど出てきているのに、どうしてか顔だけが見えない。

 更に身を乗り出すと、手摺の砂に滑って体が宙に投げ出された。落ちる! となんとか空中でバランスを取ろうとしたが、落下の速度にはついていけなかった。みるみる間に近づいてくるのは、砂に埋もれていた、女性。


 ぶつかると思った瞬間、女性のベールは剥がされた。開いた瞳孔、頬に流れた涙の跡。

 何より、その顔には見覚えがあった。

 それは、心臓を撃ち抜かれたような、衝撃。


「――っ!」


 確かに少女は女性の名前を呼んだつもりだったが、声を上げるのと同時に、視界も暗転した。


 次に目を開けると、すぐ目の前にマヤの顔があった。その顔に血の気はなく、唇も紫になっている。

 彼女はマヤの横たわった体を、抱きしめていたのだった。

 少女は咄嗟に、嫌だと思った。どんなことをしても、マヤを逝かせたくなかった。

 それなら、自分が死んだ方が良かったのだ。


「そんなことありませんよ、アルシオン様」

 はっとマヤを見ると、口から血を流しながらも、彼女は笑顔だった。

「あなたはわたしを代償にして、生き長らえる。それで、いいんですよ」


 嘘だ。そんなことは絶対にない。

 そう言いたかったのだが、どうしてか口から声は出なかった。


「そうよ、あなたは私を捨てて逃げていいの。何故、こんな死んで行く町に、いつまでもいるの?」

 これも聞き覚えのある声だった。振り返っても誰もいない。声は、暗い天井から降ってくる。


「早く出て行きなさい」


 その声で、また目の前が真っ暗になった。





 目を開ければ、見慣れた天井があった。どうやら床に寝かされているようで、背中が痛い。それでも毛布が体にかけてあり、濡れたままの服が冷たいが、ないよりはましだった。

 どれくらい寝ていたのだろう? 起き上がったアルシオンは、まだぼんやりとしている頭を手で支えた。

 そこで、ぽつりと毛布に水が落ちる。顔を拭ってはくれなかったのかと思い、自分の顔に触れて、驚いた。

 目じりからとめどなく涙が伝っていた。それはぽたぽたと彼女の意思とは反して、頬を伝い落ちていく。

 夢の内容ははっきりと覚えている。やはりあれが原因か、と手を握り締めた。


「ああ、起きたか。――泣いてるのか?」


 少女が背にしていた入り口から入ってきたのは、さっぱりした顔のオーレリーだった。どこから見つけてきたのか、大きな布で長い巻き髪を拭きつつ、服も新しい麻の上下を着ている。

 少女は慌てて顔を隠し、また手で涙を拭った。


「おい、早く着替えてこいよ。風邪を引いたら面倒だろ」

 少女の涙など、彼の関心はさほど動かなかったようだ。彼はすたすたと少女の裏を横切って窓辺に寄り、外を眺めた。

「ああ、ちょっと雨も収まってきたかな」


「なんで止めた」


 オーレリーは肩越しに振り返ると、あっさり言った。

「あいつが言ったことは本当だからだよ」

「なっ……」

「まさか本気で死にたいなんて思ってたわけじゃないだろ? あほらしい」


 次の瞬間、オーレリーの目の前には、少女の顔があった。座っていた状態からこんなに速く移動できるとは、恐るべき脚力である。

 彼女はオーレリーの胸倉を掴むと、勢いよく引き寄せた。


「もう一度、言ってみろ」

 できるだけ低めた声で、強迫する。


 オーレリーは軽くため息を吐いて、呆れたように言った。

「状況を把握しろ。あんな変態の挑発に乗るようじゃ、マヤは心配で堪らないだろうよ」


 マヤの名前に、少女は少しだけ戸惑いの色を見せた。力がちょっと緩んだ隙をみて、オーレリーはその細腕の束縛から逃れる。

「……」

「俺はその、石の結界がどういったものなのか分からないが、ああも魔法を使えばくぐれてしまうなんて、無用心じゃないか。確か、鼠一匹通れないと言ったよな」

 問いに、少女は少したじろき、頷いた。弁明するように、目をそむけて言う。


「けれど、そう容易く破れるものでもないんだ」

「じゃあ、何故矢は結界を抜けた?」

「……。それは、」

 オーレリーは、二度目のため息を吐き出した。それは非難の声に聞こえ、少女は益々彼の顔が見られない。


「らしくないなぁ。別に俺はあんたを責めたいわけじゃない。まぁ、それは後でもいいから、早く着替えてこいよ。頭もそんな布を巻きっぱなしじゃ風邪引くだろ」

 再度言われ、少女は改めて自分の格好を意識した。オーレリーに何か言うことすら癪に障るので、彼女は黙って彼に背を向け、部屋を出て行く。


 その後姿を見送ったオーレリーはというと、彼女の混乱ぶりも仕方ないだろうと冷静に見ていた。

 マヤとは相当長い仲なのだろうし、突然の死は少女に激痛を与えただろうから。


 しかし、結界の問題はそれとは別の話だ。この屋敷は、彼らのの基地なのだ。もしもこのまま結界が破られるようなことがあれば、町長の手は町全体に及び、こちらの手が打てなくなる。

 それだけは、絶対に防がなくてはならない。そのためには、少女の協力が絶対不可欠だ。彼女も、分かっているはずである。


 それでも、少しだけほっとしているところもあった。

 彼女は感情的になりやすいが、実は内面を押し隠している節がある。それをちょっとだけでも見せてくれたことに、安堵したのだ。


 彼もまた、悩みながら窓から外を眺めて――、ぎょっとした。この部屋は一階で、屋敷の周囲を囲む柵が見える。その向こうに、あの幽霊が立っていたのだ。

 初めはただの影だと思った。降り頻る雨でぼやけたせいだろう。それが影ではなく、人だと分かったのは、着ているドレスに見覚えがあったからだ。

 すぐにそれと気づかなかったのは、あの特徴的な光る両目が閉じられているからである。彼女はよく見れば、眉根を寄せ、困惑した悲壮な顔をしていた。間近で見たかったが、彼女はすぐに消えてしまった。

 この屋敷にはザクロの石があるから、幽霊には屋敷が見えないのかもしれない。ということは、ここにいる間はあの幽霊には会えない。会って聞きたいことは――あの脱出する時の意味不明な答えとか――たくさんあった。

 ずっとここにいる訳にはいかないから、いつかは会うこともあるだろう。そのためには早くここの結界を強化しないと、安心できない。


 また気合を入れ直して、オーレリーは部屋を出た。

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