無色世界への誘い
カチ、と。乾いた音だった。
その不快な音に引き寄せられるように、アキナはゆっくりと目を開ける。
視界に広がったのは――
何もない世界だった。
「……ここ、どこ?」
足元だけがぼんやりと見える。
それ以外は、四方八方すべてが暗闇だった。
ついさっきまで、魔王遺跡城で戦っていたはずだ。
魔王。
六将軍。
そして仲間たち。
「……あれ?」
胸の奥がざわつく。
「みんな?!ミナ!オーディン!ティア!」
呼びかけるが、声はどこにも反響しない。
闇の中に吸い込まれていくだけだった。
普通なら恐怖で足がすくんでもおかしくない。
それなのに――
なぜか、怖くない。
むしろ、どこか安心してしまう。
そんな不思議な感覚だった。
「おいで……」
耳元で、かすかな声がした。
優しく。
まるで子供を呼ぶような声だった。
「え?」
アキナは振り向く。
「誰?!」
返事はない。
辺りを見回しても、暗闇しかない。
「……もう。しょうがないか」
前に進むしかない。
一歩。
また一歩。
足元しか見えない闇の中を、ゆっくり歩いていく。
しばらく進むと――
突然、視界が開けた。
「……わぁ」
思わず声が漏れる。
目の前に広がっていたのは、野原だった。
一面を埋め尽くす黄色い花。
風に揺れ、柔らかく波打っている。
「綺麗……」
こんなふうに花をゆっくり眺めたのは、いつ以来だろう。
ふと顔を上げる。
すると、少し先で何かが揺れているのが見えた。
人影だった。
「……誰?」
自分でも驚くほど小さな声だった。
それでも届いたらしい。
人影は、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
やがて、その姿がはっきりと見えた。
「やぁ」
柔らかな声。
「君が無色魔法の使い手かい?」
アキナは思わず目を見張る。
そこに立っていたのは――
信じられないほど整った顔立ちの少年だった。
年は自分と変わらないように見える。
だが、どこか人間離れした雰囲気がある。
「そうだけど……」
アキナは首をかしげる。
「あなたは?」
少年は少し考えるように微笑んだ。
「僕かい?」
「うん」
「僕はただの案内人さ」
「案内人?」
「そう。君が迷わないようにね」
意味はよく分からない。
けれど、不思議と警戒心は湧かなかった。
「名前は?」
アキナが聞くと、少年はきょとんとした顔をした。
「名前?」
「うん」
少し困ったように笑う。
「付けてもらったことがないんだ」
「え?」
「ここでは、あまり必要ないからね」
その横顔はどこか無垢で、中性的で、可愛らしい雰囲気すらあった。
アキナは少し考える。
そして言った。
「じゃあ、つけてあげる」
「え?」
少年が驚く。
アキナは野原を見渡した。
黄色い花が風に揺れている。
「……たんぽくん」
「え?」
「たんぽくんってどう?」
正直かなり適当だった。
目の前の花がタンポポに似ていたから。
子供の頃のぬいぐるみに名前をつける感覚だ。
なのに――
少年はぱっと顔を輝かせた。
「たんぽくん」
「うん」
「いいね!」
満面の笑みだった。
「ありがとう!」
その無邪気な反応に、アキナは思わず笑ってしまう。
「ねぇ」
ふと現実が頭をよぎる。
「ここってどこなの?私……死んじゃったの?」
たんぽくんは首を横に振る。
「大丈夫」
穏やかな声だった。
「君はまだ死んでいない」
「ほんと?」
「ほんと」
彼は空を見上げる。
「ここはね」
少し考えてから言った。
「例えるなら――玄関口かな」
「玄関?」
「うん」
アキナは辺りを見渡す。
ただの野原にしか見えない。
「ちなみに」
たんぽくんがふと続けた。
「ここに来た人のほとんどは、帰る前に“誰か”と会う」
「誰か?」
「うん」
少し意味深に笑う。
「大事な人だったり、必要な人だったり」
「必要?」
「その人が、次に進むために」
アキナは首をかしげる。
「君の場合は……」
たんぽくんは少し空を見上げた。
「誰になるんだろうね」
そう言って、ぱちんと指を鳴らす。
次の瞬間。
ピクニックテーブルとパラソルが現れる。
「えっ」
アキナは目を丸くした。
「すごい! 魔法みたい!」
たんぽくんは少し困った顔をした。
「えっと……」
すぐに話題を変える。
「とりあえず食べよう!」
テーブルにはサンドイッチ、焼き菓子、紅茶。
「英国式マナーなんて分かんないよ?」
「誰が気にするの?」
たんぽくんは笑う。
「僕と君しかいないのに」
アキナは遠慮なく食べ始める。
「おいしー!」
思わず声が出た。
「幸せ~~!」
ふと、仲間たちの顔が浮かぶ。
野営で囲んだ食事。
笑い声。
「……みんな大丈夫かな」
ぽつりと呟く。
「心配?」
「ううん……」
アキナは首を振る。
「みんなが無事なのは疑ってない」
「でも?」
「心が元気かなって」
たんぽくんは少し笑った。
「君らしいね」
そして言う。
「でも、それは余計な心配だよ」
「余計?」
「君は彼らが君を心配してることを心配してる」
「……あ」
「仲間なんだろ?」
胸の奥が少し軽くなる。
「そうだね」
アキナは笑った。
「余計だったかも」
たんぽくんは紅茶を飲む。
そして言った。
「でもね」
少しだけ真剣な声だった。
「君には君にしかできない役割がある」
アキナは息を呑む。
「……私の?」
「うん」
「何?」
たんぽくんはサンドイッチを一口食べてから言った。
「まだ準備中」
そして笑う。
「だからもう少し、のんびりしよう」
まるでこの時間が長く続かないことを知っているかのように。
その時だった。
たんぽくんが、ふと花畑の向こうを見た。
「……あ」
小さく声を漏らす。
「来たみたいだ」
「え?」
アキナも振り向く。
風が花畑を揺らす。
遠く――
誰かの気配がした。
たんぽくんは少し楽しそうに笑う。
「君がここで会う人だよ」
「私が?」
「うん」
そして、意味深に続けた。
「たぶん君、びっくりすると思う」
「え、なんで?」
アキナが聞き返すと、たんぽくんは肩をすくめた。
「だって――」
一瞬だけ、目を細める。
「君、まだその人に会ったことないから」
花畑の向こう。
ゆっくりと、
誰かがこちらへ歩いてくる気配がした。




