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シグナルを断て

時間は凍りついた。レイモンドの思考が、無数の可能性と、それらがもたらすであろう結末との間で激しく火花を散らす。司令台の上で無防備な姿を晒す宿敵か、あるいはクレーンの鉤爪の下で無残に圧殺されようとしている、憎むべき仲間か。合理性が、兵士としての冷徹な計算が、好機を逃さず敵将を討てと命じていた。ストラテジストを殺せば、この戦いは終わる。レオポルド一人の犠牲は、全部隊の生存という大義の前では、やむを得ない損失として処理されるべきだ。


だが、レイモンドの体は、その冷たい計算を拒絶した。


彼は、ストラテジストではなく、レオポルドを捕らえるクレーンのアームの関節部へと突進していた。人間性を捨てたはずのこの体で、なぜ。自問する暇さえなかった。刃と化した腕が、分厚い鋼鉄のシリンダーを切り裂く。甲高い金属音と共に火花が散り、クレーンのアームが痙攣するように動きを止め、僅かに圧力を緩めた。


「…何故だ、貴様…」


瓦礫の中から聞こえたレオポルドの掠れた声は、驚愕に染まっていた。


ストラテジストの複眼が、初めてレイモンドに明確な敵意を向けた。計画を、美しいチェス盤を乱した異分子に対する、冷たい怒り。司令台から降りたそれは、長い四肢を軋ませながら、レイモンドへと迫る。その動きは、予測不能な角度で床と壁を蹴り、銃の照準を合わせることを困難にさせた。


レイモンドは、頭の中で鳴り響く絶え間ないノイズと戦いながら、ストラテジストの攻撃を凌いだ。だが、敵の狙いは明らかだった。レイモンドを、動けなくなったレオポルドから引き離し、孤立させること。発電機の唸りと、金属がぶつかり合う轟音の中、レイモンドは徐々に部屋の隅へと追い詰められていった。


その時だった。


「化け物…」


瓦礫の中から、レオポルドが片腕で体を起こすのが見えた。彼の顔は血と埃に塗れ、その瞳には狂気にも似た光が宿っていた。


「貴様に…軍人の戦い方というものを見せてやる!」


彼は、砕かれた脚を引きずりながら、最も巨大な主発電機の制御パネルへと這い寄っていた。そして、そこに備え付けられていた緊急用の燃料バルブに、震える手を伸ばした。


カルビンの声が、通信機から悲鳴のように響いた。「やめろ、レオポルド!その部屋ごと吹き飛ぶぞ!」


「全滅よりはマシだ!」レオポルドは笑った。それは、彼が初めて見せた、心からの笑みだった。「シグナルを断て、レイモンド…命令だ!」


彼はバルブを破壊した。


凄まじい閃光と、空気を内側から引き裂くような爆発音。主発電機が暴走し、凝縮されたエネルギーが衝撃波となって部屋全体を薙ぎ払った。レイモンドは、咄嗟にその身を伏せ、衝撃に耐えた。


やがて、耳をつんざくようなアラーム音と、舞い上がる粉塵が支配する静寂が訪れた。レイモンドが体を起こすと、目の前の光景は一変していた。ストラテジストは、その細長い体を司令台から吹き飛ばされ、火花を散らす発電機の残骸のそばで、痙攣しながら横たわっていた。その背中に伸びていた神経線維のいくつかは、爆発で焼き切れていた。


そしてレオポルドは、爆心地のすぐそばで、黒く焼け焦げ、動かなくなっていた。


「…レオポルド」


レイモンドの口から、無意識にその名が漏れた。怒りでも、悲しみでもない、空虚な響き。だが、感傷に浸る時間はなかった。ストラテジストが、軋む音を立てて体を起こそうとしていたのだ。


好機は、今しかない。


レイモンドは咆哮し、その刃と化した腕をストラテジストの喉元に突き立てた。狙うは心臓ではない。脳でもない。この忌まわしき軍勢を支配する、その『声』の源泉だ。彼は刃を引き抜き、再び突き立てる。ストラテジストは声にならない叫びを上げ、その長い腕でレイモンドを振り払おうともがいた。だが、レイモンドは離れなかった。三度、四度と、彼は執拗に、その超高周波を生み出す喉の器官を、憎しみを込めて破壊し続けた。


やがて、ストラテジストの動きが鈍くなり、その複眼から知性の光が消えた。それはもはや指揮官ではなかった。ただの、壊れた肉塊だった。レイモンドは最後の一撃として、その肥大した頭部を胴体から切り離した。


途端に、レイモンドの脳内で鳴り響いていた絶え間ないノイズが、ぷつりと途絶えた。完全な、静寂。


「…終わった」カルビンの声が通信機から聞こえた。「統制が消えた。外の連中は、ただの烏合の衆に戻ったぞ!」


レイモンドは、動かなくなったストラテジストの骸を見下ろし、ゆっくりと人間の姿へと戻っていった。彼は、黒焦げになったレオポルドの元へ歩み寄った。息は、もうなかった。


彼らは、沈黙の中、レオポルドの亡骸を担ぎ、病院から脱出した。カルビンの言った通り、外のゾンビたちはもはや軍隊ではなかった。統率を失い、ただ無目的に彷徨うだけの、かつての彼らが知る「普通の」ゾンビに戻っていた。彼らの間を通り抜けるのは、もはや困難ではなかった。


***


基地の医務室。白いシーツが掛けられたストレッチャーの上で、レオポルドは静かに横たわっていた。彼の体は、可能な限り綺麗にされていた。レイモンドは、その傍らに、ただ黙って立っていた。


そこに、カルビンがデータパッドを手に、静かに入ってきた。彼の表情は、勝利の喜びとは程遠い、科学者としての畏怖と興奮が入り混じった、複雑なものだった。


「信じがたいが…」カルビンは切り出した。「君の体は、ストラテジストの器官を破壊する過程で、その生体構造を『学習』したらしい。HHDウイルスが、敵の生体情報を解析し、君自身の組織を再構築したんだ。君の声帯は、変質している」


レイモンドは、何も言わずに自分の喉に触れた。


「君はもう、彼らの声を受信するだけじゃない」カルビンは続けた。「君は、その声を、自ら発することができるようになった。君は今、彼らの通信を妨害するジャマーにも、あるいは彼らを操る偽のビーコンにもなり得る」


カルビンは一歩下がり、レイモンドの全身を、まるで未知の生物を観察するように見つめた。


「君は、我々にとっての最終兵器になった、レイモンド」


レイモンドは、ストレッチャーの上のレオポルドに視線を戻した。彼が命を懸けて作り出した好機。その結果、自分は、敵の力をその身に宿す、さらなる「化け物」へと進化した。これが、彼の払った代償だった。


彼は、窓の外に広がる、静けさを取り戻した廃墟の街に目を向けた。その瞳に宿るのは、疲労でも、悲しみでもなかった。鋼のように硬く、氷のように冷たい、揺るぎない決意だった。


彼は、誰に言うでもなく、静かに、しかしはっきりと呟いた。


「奴らの言葉を覚えた。なら次は…沈黙を教える番だ」

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