少年の記憶
いつからこうだったのか、分からない。
もしかしたら、最初はこうじゃなかったのかもしれない。
けれど、アルヴィーに物心がついた頃には、既に『両親』はアルヴィーにとって恐怖の対象でしか無かった。
父親は『再婚相手』というらしく、本当の父親ではないらしい。
『本当の父親』がどうしているかは知らない。
義理の父は家を空けることが多く、帰って来ては酒を飲み些細なことでアルヴィーを怒鳴りつけ殴った。
『躾』といって煙草の火を押し当てられたこともあった。
母親は、家に帰らない父に苛立ち、その矛先をアルヴィーに向けた。
食事は最低限しか与えられず、少ない収入は彼女の散財で消えていった。
二人にとって自分が邪魔な存在であることは、態度からも言葉からもずっと示されていた。
それでも世間体を気にしてか、暴力にはある程度加減がされていたし、ギリギリ生きていける程度の食事にはありつけていた。
だから、
『もう少し大きくなったら家を出て行こう。そして、ひとりで自由に生きていこう』
そんな、淡い希望を抱いて毎日を耐え過ごして来た。
それがあの日はいつもと違った。
二人が揃うと、毎回決まって大きな喧嘩になるが、それが今回は常軌を逸していた。
『もう我慢できない、他に女を作りやがって』
『誰の稼ぎで喰わせてもらってると思ってんだ』
『賭けに注ぎ込んでるの知ってんのよ』
『お前だって男に貢いでるだろう』
罵詈雑言はいつものことだが、積もり積もった不満が爆発したのか二人はどんどんヒートアップしていく。
父が母を突き飛ばし、そこから母が手当り次第物を投げ付け始めた。
皿や花瓶が加減無く飛び交い、部屋の隅で蹲って震えていたアルヴィーにも被弾した。
「いたい……!」
思わずそう声が出た。それがいけなかった。
二人の視線が一斉にこちらを捉える。
『この穀潰しの役立たずが』
『お前さえ産まなければ、もっと良い生活が出来たのに』
そして父がアルヴィーの胸倉を掴み思い切り殴り付けた。小さな身体は吹っ飛んだが、それでも終わらない。
殴られ、蹴られしている間も、父と今の今まで争っていたはずの母は、鬼の形相でアルヴィーを見ている。
『ころされる』
本能的にそう思った。
理性を失くした二人の悪意が、今自分ひとりに向いている。
いつもの暴力じゃ済まない。
「う、うわああああああああっ!!!!」
痛む身体を起こし、アルヴィーは家を飛び出した。
背後から二人分の怒号が聞こえるが、そんなもの構っていられない。遮二無二走り続けた。
息せき切って走り続けると、町の小さな港に出た。
そこに、明かりを灯して出航準備をしている船を見つける。
船長らしき男は、書類を片手に海の方を向いていて此方に気付いていない。
『この船に乗れば、ここから逃げられるかも……』
思い付きだった。
でも、そうしなければ自分はあの人たちに連れ戻される。あの家に戻れば、『大きくなったら』なんて希望すら抱けないと思い知らされた。
きっと大きくなる前に殺されるか、こうして飛び出して路頭に迷うかだけだ。
『逃げないと』
その時のアルヴィーは、只それしか考えられなかった。
だから、船長が目を離している隙に船の貨物室にそっと忍び込み、貨物の陰に息を潜めた。
この船がどこに向かうのかも分からない。
でもそんなことどうでも良かった。
ここから逃げられるなら何でも良かった。
やがて、船がゆっくりと出航する。
船の揺れの中、アルヴィーはぎゅっと自分の身体を抱き締め目を閉じた。