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故郷から逃げ出した僕が、新しい家族としあわせになるはなし  作者: 紅緒
第1章『少年と令嬢とやさしい時間』
2/25

少年とリゾットと

 港を出ると、そこには大きなマーケットが広がっていた。


 王都の南は海に面しており、周囲は山で囲まれている。なので王都へ行くには険しい山を越えるか、航路を使うしかない。

 マーケットでは水揚げされたばかりの魚介類が多く並んでいて、新鮮な魚介は王都の名産であり、それ以外にも野菜や精肉など様々な物が売られている。

 手頃な価格の装飾品や、串焼きなどその場で食べられる物も販売されているので、地元民だけでなく観光客にも人気のスポットだ。


 そこから城へ続くメインストリートに出る事が可能だが、サフィールは大通りへは出ず、小さな路地を進み住宅地を抜けて行った。

 『公爵家』、と先程の船長が言っていたのでどんな所に連れて行かれるのかと思ったアルヴィーだったが、周りは高級住宅地というよりごく平凡な家の立ち並ぶ区画に見えた。


(こうしゃく、ってえらいひとだよね……)


 アルヴィーは爵位というものが良く分からなかったが、何となく『公爵』というものが「えらいひと」「おかねもち」というイメージは出来た。

 しかし、「ここだよ」とサフィールに連れられて到着したのは、住宅地から少し外れた所に建つ二階建ての一軒家だった。

 広い庭もあり大きな家ではあったが、想像していたような厳つい門があるようなお屋敷ではない。


「傷も大概だが、身体の衰弱も酷そうだな」


 家に入ると、サフィールがアルヴィーの顔に掛かった前髪をそっと上げる。

 そして赤紫に腫れ上がった顔を見て、眉を寄せた。


「テオ、アルヴィーにポーションを飲ませてやってくれ。一番良いやつを」

「わかりました」

「アルヴィーは、ここに座っててくれ」

「は、はい……」


 サフィールはテオドールとアルヴィーにそう指示をすると、紙袋を両手に抱えてその奥の部屋へと歩いて行った。

 大きなテーブルのある部屋に通され、そこの椅子に言われるまま腰を掛ける。クッションの効いた座り心地の良い椅子に感動する余裕も無く、アルヴィーは隣の部屋へ行ったサフィールをちらりと盗み見た。

 サフィールが向かった場所はキッチンで、どうやら今から調理を始めるようだった。キッチン中央のテーブルに買って来た食材を並べ、肩の少し下まである髪を後ろで括っている。


(僕、どうなるんだろう……。それにこのサフィールってひとは何者なんだろう……)


 不安で胸のあたりがチクチクと痛む。

 下を向いて、座っている自分の太腿と、その上でぎゅっと握られた両手の拳を凝視していたら、不意に「おい」と声を掛けられた。

 ハッと顔を上げると、テオドールという少年が側に立っていた。両手で大事そうに何かを持っている。


「ポーションだ。それもかなり高価な物だ。サフィール様に感謝して飲め」

「ポーション?」


 ずいっと差し出された小さな瓶にはピンク色の液体が入っていた。

 それを受け取ってアルヴィーが戸惑っていると、テオドールが「さっさと飲め」と睨み付ける。


「サフィール様の心遣いを無駄にするつもりか」

「そ、そんなつもりじゃ……」


 機嫌の悪そうなテオドールに気圧され、アルヴィーは瓶の中身を一気に煽った。

 正直、ポーションというのが何なのかも分からないのに口にするのは怖かったけれど、この目の前の少年に凄まれるのも怖かったのだ。


「え、あれ……っ?」


 苦い液体を飲み干した瞬間、アルヴィーの身体に目に見えて変化が起きた。

 目元や頬の腫れが引き、腕や身体中にあった痣や擦り傷が消えていく。


「痛いの、なくなった……」


 自身の両手を掲げ傷が癒えたことに驚くアルヴィーに、テオドールがさも当然だとばかりにふん、と鼻を鳴らした。


「お、ちゃんと飲んだな」


 そこへ、サフィールが調理の手を止めてやって来た。

 「見せてごらん」と身を屈め、アルヴィーの顔を覗き込む。


「小さい傷はまだ残ってるみたいだが……、これなら薬を塗っていればじきに治るだろう」


 今さっきまで痣のあった頬にサフィールが触れる。口の中も切れていたからさっきまで話すのも辛かったのに、今は頬に触れられても痛くない。

 むしろ、優しく触れる指が温かく感じる。


「痛くないか?」

「はい……。あの、ありがとう……ございます」

「どういたしまして。そうだ、テオ、着替え貸してもらえるか? あと、軽く身体を拭けるようにタオルを濡らして持って来てほしい」

「わかりました」


 テオドールはすぐに頷き、二階への階段を上がって行き、着替えを抱えて戻ると今度はキッチンでタオルを濡らして持って来た。


「これで身体を拭いて、この服を着ろ」

「え、で、でも、タオルも服も汚れちゃうよ……」

「サフィール様が良いと言っているんだ。文句を言うな」

「文句じゃないんだけど……」


 汚すのが申し訳なくて辞退したかったが、やはりテオドールの圧に負けてアルヴィーは渋々着替えることにした。

 服を脱いで身体を拭いている際に見えた肋の浮いた身体に、テオドールがぐっ、と不快げに眉を寄せる。

 キッチンから遠巻きに見ていたサフィールもまたその細い眉を寄せ、このアルヴィーという少年の境遇を少なからず察していた。


 綺麗に洗い上げられた白いシャツと、茶色いハーフパンツを身に着けたアルヴィーは、貧相で垢や埃で汚れた自分が余計に恥ずかしく感じられて自然と下を向いてしまう。

 そんな時、サフィールが「ほら、出来たぞ」と言って皿を手にやって来た。


「傷はポーションで治せるが、多分胃腸が弱ってるだろうからリゾットにしたよ」


 大きな皿の中には湯気を立てるクリーム色のリゾット。消化に良いよう鶏肉や野菜を細かく刻み、米も柔らかくなるまで煮込まれている。ふわふわと良い匂いのするそれに、アルヴィーの腹がくうと鳴った。

 恥ずかしさに俯くアルヴィーに、配膳を続けていたサフィールがくすりと笑う。そして「ところで……」と、バゲットの入ったバスケットをテーブルに置いて切り出した。


「アルヴィーは親に黙って船に乗ったのか? それなら、親に連絡した方が……」

「! っや、いやだ‼︎」


 突然、アルヴィーが弾かれたように立ち上がり、ガタンと大きな音を立てて椅子が倒れた。

 見開かれた瞳から、壊れたようにぼろぼろと涙が零れ出す。


「お願いします! なんでもしますからそれだけは……! お願いします‼︎」


 それまで静かだったアルヴィーが大きな声を出し泣いて懇願する様子に、テオドールは驚いて目を見開き、サフィールは「やっぱりな……」と息を吐いた。


「アルヴィー……。その傷、親にやられたのか?」

「……っ、」


 立ったまま涙を零すアルヴィーは、下を向きパンツをぎゅっと握り締め……、静かに一度、こくりと頷いた。


「お願いします、かえりたくないんです……。おねがいします……!」


 絞り出すような声で何度も「お願いします」と繰り返すアルヴィーに、テオドールは眉を寄せ唇を引き結んだ。


「……そうか」

「!」


 サフィールは静かにそう言って、アルヴィーの元へ歩み寄る。

 コツン、とヒールを鳴らし目の前に立ったサフィールに、反射的にビクッと身体を強張らせるアルヴィー。

 手を伸ばされ、ぎゅっと目を瞑ると、ふわりと優しい感触に包まれアルヴィーは戸惑い目を開いた。


「わかった。連絡はしないから安心しろ」

「……え?」


 床に膝を着いたサフィールがアルヴィーを抱き締めていた。

 そうしてから、少し身体を離して視線を合わせる。


「辛かったな。今まで、ひとりでよく頑張ったな」

「……っ!」


 またぎゅっと抱き締められて、アルヴィーはさっきまでとは違う感情から涙が止まらなくなった。

 そんなアルヴィーの頭を優しく撫でてやりながら、小さな背中をさすって、「もう大丈夫だよ」とサフィールが何度も優しく告げる。

 その温もりに、アルヴィーはしゃくりあげながらも少しずつ落ち着きを取り戻していった。

 ひっくひっくと肩を揺らすアルヴィーと目を合わせ、サフィールが柔らかく微笑む。


「ほら、ゆっくりでいいから。食べられるだけ食べな?」

「……」


 涙と鼻水でぐずぐずになった顔をサフィールがハンカチで拭いてやる。

 アルヴィーはずずっ、と鼻を啜って頷くと、サフィールが起こしてくれた椅子にゆっくりと腰を下ろした。


 四人掛けの長方形の大きなテーブル。その長辺にあたる部分にサフィールが座り、短辺にあたる両隣にアルヴィーとテオドールが向かい合う形で座る。


「いただきます」


 両手の指を組み合わせて食前の挨拶をするテオドールに倣い、アルヴィーも慌てて見よう見真似で祈りのポーズをとる。


「い、いただきます……」

「はい、めしあがれ」


 サフィールの言葉を合図に食事が始まる。

 慣れない手つきでスプーンを握ると、アルヴィーは恐る恐るリゾットを掬い口にした。


「! おいしい……です……」


 初めて食べたリゾットは、野菜の優しい甘さと柔らかい鶏肉の旨味があって、とっても美味しくて……温かった。

 お腹じゃなくて何故か胸の中が温かくなって、ぽろりとまたアルヴィーの栗色の瞳から涙が落ちる。


 泣きながら……ひとくち、またひとくちと、ゆっくり食べ進めるアルヴィーに、サフィールは優しく微笑んでその様子を見守っていた。

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