引ったくりとご令嬢
「さあ、あと少し買い足したら今日のところはここまでにしましょうか」
食堂を出て路地を歩きながら、サフィールが朗らかに告げる。
「夕飯までには十分間に合いそうね。今夜は何にしましょうか……」
思案顔になったサフィールだったが、すぐにテオドールを見下ろして微笑み掛けた。
「今日一日付き合ってくれたお礼に、テオの好きな物を作りましょう。何がいい?」
「!」
サフィールと手を繋いで歩いていたテオドールが一瞬で顔を輝かせ、サフィールを見上げ、即座に
「オムライス!」
と、この少年にしては大きな声で答えた。
その後、反対側にいるアルヴィーのことを思い出し恥ずかしそうに顔を赤らめたが、サフィールにはそれが大層いじらしく見えて、思わずふふっ、と笑みが溢れてしまう。
「いいわよ。今夜はオムライスにしましょうね」
材料は家に揃ってたはずだし、と食材のストックを思い返しているサフィールに、アルヴィーがきょとんとした顔で「おむらいすって、なんですか?」と尋ねる。
その問いに驚いたのはテオドールで、「オムライス知らないのか⁉︎」とアルヴィーを見て声を上げた。
「赤いご飯の上に焼いたふわふわのたまごが乗ってて、『ケチャップ』っていう赤いソースをかけて……! えっと……、とにかく、すっごく美味しいんだぞ!」
「そ、そうなんだ……」
興奮気味にオムライスについて語るテオドールと、少し圧され気味のアルヴィー。
その二人の様子が可愛らしくて、サフィールの頬は緩みっぱなしだった。
「元々、オムライスは外国の食べ物だったのよ。王都は遠い外国から来る人も多いから色々な食べ物や文化が広まっているの」
「さっきの食堂でも、外国からのお客さんに郷土料理のレシピを教えてもらってメニューに加えたりしているんだよ」
サフィールとノアの説明にうんうんと興味深く頷くアルヴィー。テオドールも一緒になって頷いているので、どうやら彼も初めて聞く話だったようだ。
「あそこの女将さんに、私も色々レシピを教わっているの。お店の味には負けるけれど、料理の腕には少し自信がありますのよ」
得意げに胸を張るサフィールに、アルヴィーは振るまってもらったリゾットの味を思い出して『確かにすごくおいしかった』と納得した。
「サフィーのご飯が、私は一番美味しいと思ってるよ」
「オレもです!」
「あらあら、ありがとう」
二人からの嘘ではないと分かる賛辞に、サフィールは少し照れてしまう。
それに気付いているノアがにやにや笑っている気配を感じて、サフィールは「ん゛ん゛っ」と咳払いをして気を取り直した。
「オムライスを初めて食べるアルヴィーにも美味しいと思ってもらえるように、張り切らなくてはなりませんわね」
「! たのしみです!」
「ふふ、任せなさい」
出会った時より口数も増え、笑顔を見せるようになったアルヴィーにサフィールは内心安堵する。
もっと笑顔を見せるようになって欲しいと願い、繋いだ手に少しだけ力を込めた。
その時だった。
大通りの方から騒がしい声が上がる。
何事かを人々が叫んでいる。
「引ったくりだ!」
「だれか、捕まえろ!」
そんな言葉が聞こえたと同時に、アルヴィー達がいる路地へ走り込んでくる影が現れた。
「どきやがれ‼︎」
現れた男は婦人用と思われるバッグを抱えている。
「あれが犯人みたいだねえ」
「こ、こっちに来ますよ⁉︎」
男は速度を落とさずアルヴィー達の方向へ突っ込んで来る。
優男に小柄な少女と子供が二人……。怯えて道を開けるか、その場から動かなくても体当たりすれば難なく躱せる。そう判断したようだ。
事実アルヴィーは男の勢いに気圧され、身を竦ませている。
しかし、テオドールはこの状況でも怯えた様子はない。ノアに至っては何故か笑顔で男が向かって来るのを見ている。
(ど、どうしよう⁉︎)
アルヴィーがそう思った時、サフィールが繋いでいた手を離した。
「ノア様、子供達を」
「はーーい」
サフィールが短くそう言うと、ノアがテオドールとアルヴィーの身体を抱き寄せサフィールの後ろへ下がる。
「さ、サフィールさま!」
焦ったアルヴィーが声を上げるが、ノアはどこまでも呑気に「だいじょーぶ、だいじょーぶ」なんて言って笑顔を崩さない。
「どけっつってんだろうが‼︎」
男がサフィールの眼前まで迫る。肩からタックルをしようと突っ込んで来た男に、サフィールは「……はあ」とひとつ息を吐いた。
その次の瞬間、サフィールの姿は男の真横へ移動し、彼女の華奢な脚が男の両脚を掬い上げるようにスパンと薙ぎ払った。
「ぐあっ⁉︎」
何が起きたのか分からないまま、見事な足払いを受けた男は円を描いて地面に転がる。
「あら、ごめんあそばせ」
ドレスの袖で口許を隠しているが、その下では口の端をにい、と持ち上げ好戦的な笑みを湛えているサフィール。
そして何事もなかったようにドレスの裾を直すと、サフィールは転がった男をその青色の瞳で冷ややかに見下ろした。
「そのバッグ、貴方の物ではないでしょう? 持ち主へ返してもらえるかしら」
「う、うるせー! これは俺のモンだ!」
上半身を起こした男が往生際悪く喚く。
そんな男の顔を何を思ったのかまじまじと見詰めていたノアが、「あ、そうか」と声を上げた。
「君の顔、どこかで見たことあると思ったんだよね」
「はあ⁉︎」
「うんうん、間違いない」
一人で納得して頷いているノアに、サフィールが「どういうことです?」と答えを急かす。それにノアは「いやあ、この人ね」と話し始めた。
「確か、手配書の束の中にこの人の人相書きがあったんだよ。つまりこれが初犯じゃないってことだ。いやあ、それにしても人相書きって結構似てるもんなんだねえ」
この場の雰囲気とは少しズレた感想を述べるノアに、図星を突かれた男は「知らねえよそんなの!」と興奮で顔を紅潮させ起き上がった。
「まあまあ、それは取り調べれば分かることだからさ。もうすぐ騒ぎを聞き付けて人も来るだろうし……」
「うるせえ‼︎ 捕まってたまるかよ‼︎」
ノアの言葉を遮り、逆上した男が拳を振り上げノアに向かって駆け出そうとする。
しかし、それは実現しなかった。
「やれやれ……」
「!? な、なんだこりゃあ⁉︎」
サフィールの手に、突然赤く光るロープが現れた。少なくとも、アルヴィーにはそう見えた。
男が走り出そうとするのと同時にサフィールが手を大きく振り上げ、素早く振り下ろす。すると手に持った光るロープは鞭のようにしなり、ぐるぐると男へ巻き付いて拘束してしまった。
再び地面に転がることになった男と、楽しそうにしているノアの間にサフィールが立ち、はああ、と大きな溜息を吐いた。
「ノア様、あまり相手を刺激するようなことはしないでください」
「ごめんごめん」
てへ、と全く悪びれないノアにサフィールはこめかみを押さえもう一度溜息を吐くと、今度は男に「貴方も、」と声を掛けた。
「この方に暴力を振るえば、極刑を免れなくなりましてよ」
「は⁉︎ 極刑だと? そりゃ何の冗談……」
引き攣った口で笑い飛ばそうとする男の後方から、複数人の人の気配がする。
通報を受けた騎士や役人がやっと到着したようだった。
こちらに向かって来るのを見て、サフィールはまた視線を男に戻す。
「この方は、ノア・シュヴァルツ・アーデルフェルム王子殿下。この国の第三王子であらせられます」
凛とした声で告げるサフィールと対称的に、ノアは「ここの地元の人じゃないと分かんないよねえ」とのほほんと笑っている。
「お、王子だって……⁉︎」
あんぐりと口を開ける男にサフィールが追い打ちをかける。
「本来なら暴言だけでも不敬罪よ。……さあ、ひったくり犯として罪を償うか、王族への暴言及び暴行未遂で極刑に処せられるか、どちらか選びなさい」
温度のない口調で宣告するサフィールに冗談を言っている雰囲気はない。
その時、顔を青褪めさせた男の元へとうとう役人たちが駆け付けた。
「ノア様!?」
「王子殿下、何故ここに!?」
役人と若い騎士がノアの姿を認めるなり慌てて片膝を着き頭を垂れる。
その光景を見た男は、最早抵抗の意思も失せ地面に脱力し横たわっていた。
「この人、余罪があると思うからちゃんとチェックしてね」
「はっ!」
「バッグは持ち主に返してあげて」
「かしこまりました!」
ノアの指示に深く礼をしサフィールにも頭を下げてから、光るロープでぐるぐる巻きのままの男を騎士と役人の二人が引き立て共に連行して行った。