三つの新しい潮流と消えた性善説
※この文章はある種の思考実験であり、特定の誰かや団体等と関係はありません。またそれらを侮辱、傷つける目的は一切ありません。ひとつの意見として解釈していただければ幸いです。
ヒトである我々が人になりうる最後のチャンスを放棄するという結論に至ったと最近感じる。手に握った果物をどこかに捨てるのでは無く、あろうことかその種を地面に埋め育て始めている。もう我々ヒトが人になることは未来永劫不可能になってしまった。そしてヒトは人に見切りをつけAIという名の人造人間を狂信する様になった。しかしこれは資本主義の構造上避けられない事であり、今考えてみると遅かれ早かれこうなる運命であったと理解は出来る。この潮流を変えてこそ我々ヒトが生きる目的だなんて事は他所様の記事に腐るほど書いてあるので今回はそれに適応した後現れるであろう三つの流れ(生き方やスタイル、考え方)をそれぞれ見比べて自分はどうするべきか考えていきたい。
まずはじめにどの流れにも共通する事項として、性善説という物は存在しないという前提である。それはかつて古の時代にあった化石の様な物で復元しようと誰もが試みてはいる。しかし本物を見た事無いヒトがオリジナルを作れるわけもなく、日々偽物が市場に出回ってしまっている。ごく稀に何かの偶然でそれが出来たとしても少し目を離した隙に飢えた犬が骨を咥えて持って行ってしまうみたいにあっという間に無くなる。今を生きるヒトは性善説という物を思考のリソースから排除した方がいくらか生きやすいと思う。ヒトはある物に対して期待をすると、その瞬間から裏切られるという可能性も発生し、落胆するかもしれないという恐怖に支配される。だからこそ初めから無い物だと考えると心が軽くなるという事だ。
次に昔からある考え方に右と左というものがある。今回はそれにあやかり上、下、真ん中という名称で三つの新しい流れを説明していく。
一つ目は真ん中という流れだ。それはどこにも属さず、真っ白な存在である。場合によっては限りなく透明に近いホワイトであり、曖昧模糊。上下左右どこにでも行く事が出来る可能性を秘めている。しかしこの流れのヒトは望んでニュートラルな存在となっている場合も多々あるという点も忘れてはいけない。現代の価値観ではここに属するヒトが総人口の七十八%程度を占めていると推測出来る。
メリット:人と争わずに平和な生活が送れる。
デメリット:環境や時代の流れで立場や主義が変わるため、自己を見失いやすい。
二つ目は上という流れだ。それは時代の流れに乗るだけではなくオールで流れを加速させようとする勢力を主に指す。個人主義的でコスパやタイパ等を求め、かつてヒトが憧れた人を曲解し、自分の都合に合わせてそれぞれが人を想像するといった流れである。多様性という考え方はこれの親戚で、限りなく似た匂いがする。あくまでこれは良い悪いでは無く、考え方の指標である事をくれぐれも誤解しないで貰いたい。
メリット:他人と比較した場合のみ、より強い充足感や生を享楽出来る。
デメリット:何かを失う恐怖感が強まる。
そして三つ目は下という流れだ。これはニヒリズムや寝そべり族的な価値観を持つ流れで、諦観やある種の達観とも言い換えられる。この考え方は現代の日本で虫歯の様にジワジワと広がっている。かつてサブカルチャーが市民権を得て、メインカルチャーに取って変わった様にこの流れが世界を席巻する日は遠く無いと思える。自分の流れは真ん中だと思っている人の中にはほんのり下の流れの要素に染まっている人がいるという点も否めないのが現実だ。
メリット:精神的疲労が少ない。
デメリット:生への執着心の減少。
これらの流れの面白い所は上下左右真ん中だけで無く、右下や左上等といった方向同士の間を取る事が出来る点である。さらに時代が進めば、奥や手前といった新しい価値観も誕生するかもしれない。今我々には合計九つの流れがある事になる。どの流れに沿ってこの先を生きるべきか一度考える時間を取る必要があるかもしれない。たとえどんな流れでも共通してなくてはいけない事は子供達により良い未来を提示出来るヒトでなくてはいけないという事だ。そしてその子供達が『→↓↘+P』という更に新しい流れを作り、性善説という物は存在しないといった虚しい価値観を右腕の回転アッパーカットで破壊するだろう。
※『→↓↘+P』昇竜拳コマンド。格闘ゲームにおける代表的なコマンド技。右腕で回転しながらアッパーカットをする。