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side塩見硝子

 わたしの名前は塩見硝子。


 裕福な家庭に生まれ、優しい両親から愛情を注がれて育った。見た目や学業も人から一目置かれる程度には優れていると思っている。不自由のない恵まれた生活。


 それでもずっと満たされない渇きがあった。一言で言い表すことなんてできないけれど強いて言うなら承認欲求だろうか。


 わたしは中学に上がる前には既にSNSにハマっていた。


 人の言葉はお世辞か、はたまた本心なのかわたしには判別することができない。だから満たされない。


 SNSのフォロワー数は少なくとも私に興味があるだろうことはわかる。SNSは私の渇きを一時的に忘れさせてくれた。


 フォロワー数が増えれば嬉しいし、学校の友達にも自慢できる。私はフォロワーの数で自身を肯定していた。


 でもデメリットもあった。フォロワー数が停滞しただけで気がかりだし、減ってしまえば見えない何かに急き立てられる。わたしの渇きは増すばかりだ。


 中学3年生の受験も控えた時期だ。わたしはフォロワー数を増やすため、フォトジェニックな写真を撮るロケーションを探していた。その日は模試の成績が思いの外振るわず、気分が落ち込んでいた。わたしは嫌なことがあると大抵SNSに逃避する。


 その時目についたのが川を跨ぐ道路橋。時間的にも日が落ちてきて、最も写真映えすると言われる黄昏時。橋に近づき、橋の下を覗き込む。


「ふひひ」


 人の笑い声がして視線を向ける。


「うわっ人いる…」


 今どき珍しい。黒髪ロングのおさげの髪型。黒縁の大きなメガネ。スカートは膝下でどこか野暮ったい。少し猫背で姿勢が悪い。


「っていうか五味じゃん」


 五味あさり。なんとも不憫な名前を持つクラスメイト。あまり話したことはない。いつも自席で一人、本を読んでいる印象だ。そんな彼女が橋の下の暗がりでニヤニヤ笑ってスマホを覗き込んでいた。


 五味はわたしの言葉にビクリと肩を震わせ、恐る恐るこちらに顔を向けた。その挙動はなんだか悪事を親に見つかった子供みたいで、少し可愛いと思った。


「塩見さん…」


「なにしてんの?」


「ど、動画見てる」


「わざわざこんなところで?」


「いや、あの塩見さんは?」


「わたしはSNSのネタ探し」


「ネタ?」


「見る?」


 わたしは五味の横に座り、なんとはなしにSNSに投稿している写真の一つを見せた。


「綺麗…」


 そう言って嘆息した五味の瞳に私は惹きつけられた。その瞳は五味の言葉に嘘偽りがないことをわたしに訴えかけてくる。人の言葉がお世辞にしか聞こえないわたしにとって初めての経験だった。


「あ、ありがと…」


 だから、カッとあがってしまって謙遜することも茶化すことも出来ず、ただお礼を口にするのが精一杯だった。


 動揺もしていたと思う。気づけばわたしは彼女との会話のなりゆきで「ロケーションは独り占めしたい」だとか「友達すら潜在的な敵だと思ってる」だなんてイタいことを吐露してしまっていた。


 独占と競争。口にするまで気づけずにいた自分の他者への認識だった。


 なぜこんなことを親しくもない彼女に言ったのかはわからない。わたしの写真に対しての感想だけでは説明がつかない。ただなんとなく彼女を、五味を気に入ったのだ。


 わたしの言葉で気まずそうにしている五味に尋ねる。


「そうだ五味!アニメとか見る?」


 五味は先程までスマホでアニメ動画を見ていたように思う。


「まあ、人並みには…」


 彼女になら私のもう一つの趣味を共有できるかもしれない。


「じゃあさ、コスプレしたい」


「わ、私メイクとかできないよ?」


「大丈夫。コスプレするのはアンタだから」


「なんでぇ?」


 五味は悲鳴のよう声をあげた。その悲壮な声と表情に不意にゾクリと興奮を覚えた。


 それを気取られないよう平静を装ってわたしは告げた。


「わたしの被写体になってよ」


 そしてわたしは彼女を部屋に連れ込んだ。他人を部屋に入れるのはこの趣味にハマってからは初めてだ。少し気恥ずかしい。しかしそれ以上の期待がわたしを前へ前へと急かす。


 五味はわたしの部屋の様子に驚いていた。わたしは重度のオタクだった。アニメも好きだがコスプレイヤーさんを見るのが好きだった。


 コスプレイヤーへの憧憬は自分も着てみたいということなのかと思ってコスプレしてみたこともあったが、どうやらわたしの関心はそこにはないようだった。


 この時五味にコスプレをさせて初めて知った。わたしは他者を飾り付けたいのだと。


 そしてもう一つわかったことがある。


 五味は自らの魅せ方を知らないだけで、化粧一つで化ける娘だということ。わたしのメイクとわたしの衣装で装飾された彼女は五味本人に「綺麗」と言わしめるものだった。


 この時、ふと「隠したい」と思った。五味を独り占めしたかったのだと今ならわかる。この魅力をわたし以外の誰にも知られたくない。


 彼女の言葉と表情はわたしの琴線を強く刺激する。羨望と賛美の視線が私を捕らえる。


「写真とってもいい?」


「えっと…」


「お願い!すごい似合ってるから記録に残したいの!」


 わたしは思わず五味に懇願していた。


「SNSに投稿とかしないでね」


 五味が上目遣いで口を尖らせていった。


「しないよ」


 わたしは答えた。そしてわたしはスマホのカメラを向け、シャッターボタンを押す。五味はビクリと肩を震わせた。


「これはわたしの」


 そう言って、わたしはコスプレした五味が映し出されたスマホを大切に両手に包んだ。


 その後もわたしは五味に声をかけ、家に誘い、コスプレをすることを続けた。


 受験期だったが、わたしも五味も推薦でクラスメイトより早く受験勉強から抜け出した。


 会う回数が増えれば自然と仲は深まる。


 そして私達は互いに名前で呼び合うようになった。あさりは覚えていないかもしれないが、わたしは明確に覚えてる。


 先に名前で彼女の名を呼んだのはわたしだ。


「ねえ、あさり?」


「…何?」


 あさりは睨むようにこちらに視線を向ける。平静を装いながらも明らかにそわそわと落ち着かない。手先で服の袖を握ってる。伏し目がちな視線。あなたの頬と耳が羞恥で赤く染まっていたのを覚えている。


 何度も名前を呼ぶうちに彼女も勇気を振り絞ったのがわかる声色で「しょ、硝子」と名前を呼び返してくれた。


 いつも思い出すのはあなたの瞳、上目遣いにわたしを見上げる羨望の眼差し。


 あなたの瞳に囚われた。あなたといればこの渇きから逃れることができた。


 高校に入って間もない頃の通学路をわたしはあさりと歩く。待ち合わせはしていないからあさりは偶然だと思ってるけどそうじゃない。わたしが待ち伏せしている。毎日だと怪しまれるから週に何度か不規則に、私達は通学路をともにする。


「わたしは壁を這うナメクジになりたい」


 唐突に、なんの脈絡もなくあさりが言った。


「何言ってんの?」


「塩対応…。ナメクジだけに」


 説明もなく話を続けたあさりにあえて冷たい視線を送る。そして僅かな沈黙の後、わたしは再度疑問を投げかける。


「で、つまりどういうこと?」


「私の推しが女子高生を見守る壁になりたいって言ってたの!だから私は壁になった推しの上を這い回り体液をこすりつける…」


「やめなさい!花も恥じらう女子高生が体液なんて言うんじゃないわよ。しかもこすりつけるとか」


 あさりは意外と陽気でよく喋る娘だった。好きなものは斟酌することなくその好きを言葉にする。あけすけな物言いや刺激的な表現に困惑することもあるが、そういうところも新鮮でおもしろい。


 何より彼女が好きに対して真摯なことがわかる。


「ふ、ふひひ」


「ちょっとー?叱ってるんですけどー?」


 わたしは知っている。あなたがその笑い方をするのは好きな対象だけだと。


 そしていつからかわたしに対してもその笑い方をするようになったことも。


 わたし達の親交は友人たちには隠した。あさりを独り占めしたいのも理由の一つだが、それ以上に余計な茶々を入れられて彼女がわたしから離れていくことを恐れたからだ。少なくとも彼女とのつながりを確固たるものにするまでは。


 だがアクシデントがおきた。


 ある日の学校での休み時間のこと。


「硝子、最近投稿頻度下がってない?」


「そうかな?」


「そうだよ。それにフォロワー数も下がってる」


 確かにSNSへの投稿頻度が下がっていた。最近はSNSに対する執着が薄れているのを自覚していた。


「うち最近フォロワー数伸びてるからそのうち抜いちゃうかも」


「うーん、そうかもね」


 友人の言葉に自分でも意外なほど何も感じない自分がいた。以前なら頭に血が昇って「絶対負けない」と啖呵を切っただろうが、そのエネルギーが沸いてこない。


 友人もわたしの態度に肩透かしを食らったようで少し気まずい空気が流れた。


「そう言えば五味さん!」


「え?」


 友人が教室で唐突にあさりの名前を出した。


「最近よく一緒にいるね。友達?」


 友達じゃない。それは潜在的な敵の名だ。あさりは違う。


 ふと気になってあさりに視線をむける。彼女は気まずそうに自席で目を伏せていた。


 その様子に嗜虐心がそそられた。


「え?違うよ」


 ともすれば酷薄にわたしは言った。あさりはわたしの言葉に面白いくらいに狼狽している。血の気が引いて唇をかみしめている。


 その様子に満足してフォローの言葉を口にする。


「相棒かな」


「えーなにそれぇ?キザ!」


「ウケる。相棒ってなんのだよ!」


 友人たちの言葉を聞き流しながらあさりを盗み見る。ちょうど目が合う。あさりはぎこちない動きと表情で目をそむけた。


 手で口を覆い表情を隠されてしまったが、上がった口角と紅潮した頬と耳が彼女の感情を雄弁に語っていた。


 わたしの言葉一つで一喜一憂する彼女に愛しさがこみ上げる。


 また一つあさりに対する思いが深まった。わたしの抱える欲求という名の渇きは今やSNSではなくあさりに向いている。


 厄介なことにあさりへの思いが深まるほどにわたしの欲は際限なく広がり続け、わたしはまたあさりを求める。


 独占欲もまた思いと共に膨らんでいた。


 他者にあさりに触れさせたくない。それどころか話もしないでほしい。


 だけどその欲求はまだ我慢できる範疇だった。あさりの交友関係は非常に狭く、絶無に近かったからだ。


 だが遺憾なことに最近はあさりに話しかけるクラスメイトが増えてきていた。


 そして…。


「ねえ、五味さん」


 クラスメイトがあさりに話しかける。


「な、なに?」


「塩見さんと仲良いの?」


「相棒らしいよ」


「相棒って?」


「わ、わかんない」


「わかんないって、なにそれー」


「ふ、ふひひ」


 そう言い笑い合う。わたし以外の人間とあさりが笑っている光景は寂しさに近い苦しみがあるがまだ良い。


 だが、あさりの「ふひひ」という特徴的なあの笑い。それはだめだ。あれは好きに対する笑いだ。その笑い方はわたしにだけ向けられるべきものだ。


 独占欲は裏返せば喪失への恐れだ。あさりをわたしにつなぎとめるため、何かをしなければならない。


 幸い今日はわたしの部屋でコスプレをする日だ。


 それまでに何かあさりを独占する策を…。


 放課後何食わぬ顔であさりが家にやってくる。いつもどおり。だが今日ばかりはそれが憎らしい。


 わたしは独占欲からくる焦燥を悟られないよう振る舞った。


 あさりが所定の位置につき、目を閉じた。メイクを始める。


 まずは少し厚めのファンデーションとコンシーラー。そしてパフでフェイスパウダーを。


 わたしのメイクで丹念にあなたの良さを消していく。


 今思えば、メイクも衣装もあなたの魅力から視線をそらすために提案したのかもしれない。他の誰でもないあなた自身の視線から。


 わたしとあなたの関係はあなたが自らの魅力に気づかず、わたしに依存することで成立している。だからこそあなたを独占することもできる。


 だから、お願いだから、あなただけはあなた自身の魅力に気づかないで。


 リップを上唇、下唇、左から右へとなぞる。


 濡れる唇に息を呑む。


 思いついた。あさりをわたしに縛る方法を。


 あさりの片方の頬に手を添える。いつもと異なる手順。けれどもあさりはわたしに身を任せきっている。


 無垢な少女に汚れを教えるかのような背徳の喜びと嗜虐心とがある。


 わたしがあなたに向ける思いの大きさをあなたは何もわかっていない。これからそれを知らしめよう。


 無防備なあさりの濡れた唇にわたしのそれを重ねる。


 言葉にできない幸福感に包まれる。


 唇を離すと、少し時間を置いてあさりは目を開けた。


 あなたの瞳は潤んでいた。頬は紅潮していて息遣いは浅く早い。わたしに対する情欲が滲んでいる。


 その瞳に写る私もまた同じ表情をしていた。


 あなたはナメクジになりたいと言った。それなら私は塩になろう。あなたに降りかかり、あなたが干からびるまであなたの全てをしぼり取る。


 お願いあさり。誰の目にも触れず、ただ私の中で朽ち果てて。

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