第三話 First christmas
急いで家の中に入る。お父さんの革靴が玄関にない。こないだ「会社の飲み会がクリスマスにあるんだよ~。なんでわざわざクリスマスに……」って愚痴ってたなぁ。リビングに駆け込み、テレビを観ていたお母さんに、
「君彦くん家に前倒しでお泊りに行ってもいい?」
と勇気を出して言うと、
「え? バイトの後にそのまま行くんじゃなかったの」
気の抜けた声で訊き返された。なんかこちらもおかしなことになってると困惑していると、
「母さんがああ言ってんだし、早く用意して行って来いよ」
後ろからやってきた悠太が小声で耳打ちした。わたしは頷くと、帰ってから詰めようと思っていた荷物を急いでまとめた。
出発しようとするとお母さんと悠太も一緒に外に出て、見送ってくれた。
「君彦くん、お世話させることになってごめんねぇ。はい、これ、お菓子の詰め合わせ。二人で仲良く食べてね」
「ありがとうございます」
「姉ちゃんいない間はのびのび出来るなー」
「わたしがいてもいつものびのびしてるじゃん。家汚しちゃダメだよ」
「は? そこまで子どもじゃねぇし」
「もー。悠太はお姉ちゃんが一日二日でも、いなくなるのは寂しいのね」
「はぁ~? 母さんまでなんだよ! 寂しくなんかねぇよ!」
「じゃあ真綾、ご迷惑おかけしないようにね。いってらっしゃい」
「はーい。それじゃあ、行ってきます!」
わたしは車に乗せてもらって、神楽小路家へと向かった。到着すると、神楽小路家の執事長・芝田さんが出迎えてくれた。
「君彦様おかえりなさいませ。そして、佐野様、ようこそいらっしゃいました」
「芝田さん、こんな遅い時間に、しかも一日前倒しでお伺いしてしまってすいません」
「いえいえ。アルバイトお疲れさまでした。三日間ゆっくりお過ごしください」
「ありがとうございます、お世話になります」
君彦くんの後ろをついていき、部屋に入る。君彦くんの部屋には数回お邪魔してるけど、夜入るのは初めてだ。いつも陽の光が入り、手入れされた美しい庭が見える大きな窓は、全てカーテンで閉じられている。濃紺のカーテンの下部には金色の糸で、細かに花の模様が刺繍されて綺麗だ。
「真綾、疲れただろう。風呂入るか?」
「うん。そうさせてもらうね」
冬とはいえ、今日は忙しくてめちゃくちゃ動いて汗をかいてしまった。とにかく流しておきたい。お言葉に甘えて、先にお風呂を入らせてもらう。
君彦くんのお部屋の奥には、お風呂もトイレもある。まるでホテルの一室だ。今日も汚れ一つなく磨き上げられていて、使うのが申し訳なく感じてしまうくらいだ。
今日のために新しく買ったモコモコ素材のルームウェアを身に着けて戻ると、君彦くんはお茶を用意してくれていた。
「俺が入っている間、ゆっくりお菓子でも食べていてくれ」
「わぁ! ありがとう」
あったかいハーブティーは香りから安らぎをくれる。飲むと体内から温かく、疲れや緊張がほぐれていく。カップの横にはクッキーとサンドイッチまで用意してくれていた。サンドイッチの中に挟まってるレタスは新鮮でパリッとして、ハムとマヨネーズの塩味もほどよいバランスを保っている。クッキーのサクサクした食感とチョコレートチップのしっとりした歯ざわりが楽しい。こんな時間に……と罪悪感はあるけど、あまりの空腹と、おいしさについ手が伸びてしまう。
身体が温まり、空腹が満たされると次は睡魔が襲ってきた。今座っている革張りのソファもほどよく身体が沈みこむ心地のよさ。「食べてすぐに寝たら豚になるよ!」と散々お母さんから怒られてきたけど、今日ばかりはもう……。
「真綾、こんなところで寝ていては風邪をひく」
「ふがっ!」
その声に慌てて目を覚ますと、君彦くんが仰向けで寝ていたわたしの顔を上から覗きこんでいた。落ち着きのある藍色のパジャマに上から同じ色のナイトローブを羽織っている。そして、いつもと違うのは……。
「君彦くん、メガネだ!」
わたしは上半身を勢いよく起き上がらせて、彼の顔を見ようとする。すると君彦くんはゆっくりと顔を逸らしていく。それでも、わたしが逸らした方向にぐっと顔を向けると、勢いよく反対側に向きを変える。
「ゆっくり見たいのに」
「……真綾の言ってた通り、普段見せない姿は少し……恥ずかしいな」
「でしょ? メガネ、とても似合ってるよ」
わたしがそう言うと、君彦くんはメガネの弦を押し上げた。
そのあと、ハーブティーを飲みながら、連絡が出来なかった二日間の報告をした。わたしはケーキ屋さんで起きたあれこれを話して、君彦くんは読んだ本の話をしてくれた。お互い話し終え、沈黙が訪れると、わたしはまたうつらうつらとしてしまい、君彦くんの腕に頭をぶつけてしまった。
「あ、ごめんね」
「今日は寝るか」
「え……でも……」
「真綾の瞼が重く閉じている」
「そ、そんなことないもん」
親指と人差し指で無理やり目を開いて見せるが、手を離すと瞼が閉じていく。
「あと三日も一緒にいられる。焦ることはない」
渋々頷くしかなかった。船を漕ぎつつ歯磨きをして、君彦くんのベッドにもぐりこむ。二人寝てもまだまだ余裕がある広いベッドにいるのに、わたしは君彦くんに抱き寄せられ、腕の中におさまっている。いつもの香水じゃない、せっけんの匂い。触れた部分から伝わってくる体温、胸の鼓動。まだ寝ていないのに、夢の中のような気がする。やさしく髪を撫でられている間に眠りについた。