扉の向こうで待ちぼうけ
杉山紘一は異世界転生者だ。前世の名前をシュトルム・フェアルストと言う。伯爵家長男だった。
好奇心旺盛な質で、知的好奇心を満たす手段として社交的でもあった。そんなシュトルムは魔術、特に魔素の成り立ちや働きを好んで研究した。爵位のわりには魔力が多く、大抵の実験は一人で賄える。それが更に好奇心を加速させ、やがて興味は命題へと至った。
魂は魔素から成る。魔素を魂と成らしめる要件とは肉体である。
魂が離れることで人は死ぬ。魔素の無い肉体は死んでいると言う訳だ。だが死んだ肉体に魔素を注いでも生き返りはしない。魔素を含んだ死体が出来上がるだけだ。魂は魔素から成るが、魔素が即ち魂であるとは言いきれない。魂を魂たらしめる何かがあるのではないか。
シュトルムは好奇心旺盛な質だが、一般的な倫理観を持ってもいた。知的好奇心を満たすために非人道的な手段を取りはしない。己の仮説に従って、己の倫理観の範疇で出来る実験を行うだけだ。
「そう思っていた時期もありましたね……」
父渾身の3LDK。その子供部屋の学習机で、ココアをすすりながら紘一はぼやいた。
鮮明に覚えている前世だが人に話せる訳もなく、記憶と共に魔力を引き継いでいるものの基本活用する場面がない、それが現代日本。エアコンとドライヤーと電子レンジを同時に使いたいがブレーカーが落ちそうな時に、火と風の混合魔術で髪を乾かすくらい。尚この場合エアコンと電子レンジは普通に使う。ドライヤーを選ぶのは効果が自身に限定されているため、親に魔術を気づかれにくいからだ。
この世界は魔素に満ち満ちている。それはもう息苦しいくらいに。誰も魔術を使わないのだから当然だろう。少しばかり紘一が使ったところで何の支障もない。この事に気付くまでは魔力の枯渇が恐ろしくて、ろくに魔術が使えなかったものだ。気付いたときには使いどころが無いことにも気付いたが、それはまた別の話。その分、シュトルムの記憶を持ち越した紘一はまた研究に魔力を費やすことにした。まずはシュトルムが人生最後に行った実験の検証からだった。
紘一はマグカップを置いてキーボードを叩く。冷えた指先は温もった。これでパフォーマンスは上がるだろう。
ーーーその国は、土地争いに嫌気が差して深い森を居住地とした人間を祖に持つ。今でこそ森そのものではなく森外周を国としているが、快適を求めて魔獣の多い土地に住むだけあり、生活改善に余念がない。辺鄙な少規模国ながら、文明や技術の発達した先進国、その名前をゴルトヴァルトと言った。ーーー
推薦で大学が決まっているため数Ⅲのプリントもほったらかして、今作っているのはゲームのテキストだ。伯爵令嬢が恋して意中の相手と結ばれるだけの話、題して『金の鍵』。略(す必要があるかはともかくと)してキンカギはノベル型同人乙女ゲームだ。選択肢によってそれぞれ異なる結末を迎えるマルチエンディング形式にしようと思っているが面倒くさいのでのんびり作っている。
主人公は前世での婚約者アリスリンデ。お相手は前世の自分シュトルムと、乙女ゲームの王道の王太子だ。別に懐古趣味だとか過去の恋を引きずっているとかではない。ただ赤の他人の恋愛模様よりは書きやすかったのだ。
小説を読むのは割りと好きな方だ。自分の知らない考え方や視点が勉強になるし異世界物や伝記物はその世界観にワクワクする。だがそれで一から書けるかと言えば否だ。そもそも自分は研究者であり、小説家でも脚本家でもないのだから。研究者と脚本家に共通点がない訳でもないが、今回は楽しむために書いているのではない。目的は別にあった。
転生している者を探す事。
転生した状況や記憶はいつからどの程度あったのか。検証したいことは山ほどある。アリスリンデであれば尚良い。彼女には生前、転生補助の魔術陣を刻んだネックレスを贈っている。若い時分に作ったものだから作りが諸々甘い自覚はある。偽装のため防御陣も盛り込み、デザインを犠牲にしてしまったのも紅顔の至りだ。それがどの程度機能したかを知りたい。
ーーー痛い痛い痛い魔力が枯渇して全身がひび割れるように痛い!私の魔力ではネックレスの防御効果を増幅するしか出来なかったけど最大効果が得られた。市街地は荒野もかくやという更地になったものの領民は皆無事。でもまだまだ魔獣は絶えず増え続けている。焼け石に水、私が守った領民もまたすぐ襲われてきっと死ぬ。何てバカなことをしたのかしら。私だけでも逃げれば良かったのに。でも無理ね、そんな所見られたら社会的に死ぬし……きっと私の矜持も死んでいた。ああ痛すぎて目を覚ましたのに、段々痛くなくなってきたわ。今なら魔獣に食われても痛くないんじゃないかしら……。
ドォン!
目の前で閃光が弾けた。一瞬遅れて息も苦しい爆風に晒される。痛くなくても苦しくはあるのね。何だかおかしくて笑っちゃった。
「アリス!」
聞きなれた声が、聞いたことのない切迫感で私を呼ぶ。返事をしてあげたいけど、声もでないから許して。半開きの瞼越しに誰か駆けてくる。顔も良く見えないけど、あの声と黒っぽい色味は。
(シュトルム……)
何、もしかして私の事でそんなに焦ってるの?今まで私に軽口ばかり叩いてた癖に、こんな時に実は大切に思ってたとか言う?バカじゃないの、そんなの地味にときめいてしまうんだけど。
「アリス、大丈……もう大丈夫だからな」
私を優しく抱き起こしながらシュトルムが不自然に言葉をつなげた。多分大丈夫かって聞こうとしたんでしょうね。絶対大丈夫じゃないから言い換えたんでしょうけど。バカね。それより魔獣は?領民は皆無事?
「バカなことをしたなアリス……でも君がその少ない魔力で頑張ったから民は皆無事に避難できたし魔獣も……まあ変わらず流れ込んできているが進路を反らす事ができた。感謝する、アリスリンデ・カークライト」
何急にかしこまって。でも皆無事なら良かったわ。
「君は……このネックレスを魔力で効果倍増にして、広範囲に強固な防御陣を敷いたんだね」
そうよ。貴方にはすぐ解ってしまうわね、流石に。ネックレスも今の私みたいにヒビだらけ。ごめんなさいね折角くれたのに。センスは悪いけど。
「アリス、君はじきに死ぬだろう。回復魔術もこれほど魂に傷が入っては間に合わない」
やっぱり?そんな気はしてたわ。でもそこまでハッキリ言うことは無くない?
「君はきっと生まれ変わる。そうしたら、またきちんと礼と謝罪をさせてくれ。言えていない事が山ほどあるんだ」
何?良く聞こえない。もっとハッキリしゃべりなさいよ。こんなに静かなんだから口ごもるとみっともないわ。
「アリス、アリスリンデ。また会おう、絶対だ。次は絶対に優しくする、からかったりなんかしない。今になってやっと解ったんだ。約束だ」
ああ、違うわね。私の耳が遠くなってるんだわ。何も聞こえない。そう言えば目も良く見えない。シュトルム、あなたがいてくれて良かった。それでも怖い、死ぬのは怖い。せめて一人じゃなくて良かっ……ーーー
キーボードを叩く手が不意に止まる。こんなやり取りは無かった。シュトルムがカークランド領に着いたときにはもう、アリスリンデは会話も出来ない状態だった。ただその命の灯が消えるのを見守るしか出来ず、転生の魔術が機能することに期待して、機能しない事を恐れて。それはとても長くとても恐ろしい時間だった。
「いや、自己満足にも程があるな……」
他人に気を配る余裕などなかった。
高校の卒業式を終え、2ルート各2エンディングを作ったところで飽きた。そのためここで終いとして、同人ゲームのDLサイトに登録する。制作元は”異世界研究会”。代表者名はシュトルムを日本語にして嵐にした。生まれた日がとんでもない嵐だったらしい。それはともかく、これであの世界を知っている者がいれば、連絡をしてくるだろう。
そう思ってはいたが、連絡はないだろうとも思っていた。記憶を持って転生すること自体がレア、加えて同一の異世界からとなるとまず居ないのではないか。更にその人物がこのゲームを見つける確率とプレイした上で連絡をしてくる確率はまた別だ。総合して皆無に等しい。可能性があるとすれば、オタク気質で自分と魂に縁のあるアリスリンデくらいか。
だから、連絡があった時は心底驚いた。広告メールに紛れて見落とす所だった。見たことの無いアドレスだ。
ーーー
送信者:井戸田優人
件名:カークライト領魔獣スタンピードについて
本文:初めまして、こんにちは。
井戸田優人と申します。
貴サークル配信の『金の鍵』をプレイしました。緻密な世界観に息を飲んで読み込みました。
今回連絡させていただいたのは、一点お聞きしたいことがあったからです。
聖者、または勇者ユージン
この名前に聞き覚えはありませんか?
無ければ忘れていただいて構いません。このメールも破棄してください。
もし覚えがあるのでしたら返信いただけますと幸いです。お話ししたいことがございます。
貴サークルの更なる発展を心よりお祈り申し上げます。
井戸田
ーーー
聞き覚えはあった。アリスリンデの住むカークライト領を襲った魔獣達の暴走。その切っ掛けになった勇者の名前だ。瘴気対策を疎かにして魔王を倒したため、その溢れ返った瘴気で魔獣が大量に生まれ、指向性をもって走り出したのだ。カークライト領を蹂躙し、次のツヴィングリ領にて領都を目指す途中で、ゴルトヴァルトの王国軍と勇者自身によって止められたと言う。アリスリンデが死んだ原因の事件だ。
終わって数十年が経った、異世界の事件だ。今さら何の話があると言うのか。紘一はゲーム内で勇者や聖者には言及していない。だが居たことは確かで、勇者の名前にも相違がない。この井戸田は同時代にゴルトヴァルトで生きていた人物で間違い無さそうだ。転生しても持ち越してきた旺盛な好奇心は、即座に返信していた。体裁を整えたが要約すれば“話って何?”
井戸田からのレスも早く、三日後の土曜日にはオンライン通話の段取りがついた。時間は22時から。食事や風呂を済ませ、自作のパソコンで無料通話ソフトを起動する。事前に交換していたアカウントから程なくチャットが入り、通話を繋いだ。
「あー聞こえますか?」
『聞こえてます、初めまして井戸田です』
「初めまして嵐です。ゲームプレイしていただきありがとうございます」
メールの文面がビジネス風だとは思っていたが、声や喋りも落ち着いている。井戸田は社会人で間違い無さそうだ。来週から大学生の紘一は背筋を伸ばす。
ゲームの感想を当たり障り無く聞いた所で不意に井戸田が黙りこんだ。紘一も口をつぐみ、井戸田が話し始めるのを待つ。
『……第三者からどう聞こえるかは解っています。荒唐無稽な話ですが、中二と思ってもらって構いません。一旦最後まで聞いていただけますか?』
「伺います」
五年前、大学生一年の時にランデエゴルデスに召喚されました。
世界に瘴気が溢れて世界の危機だけど、浄化出来る聖者が生まれないから異世界から召喚したと言われました。
そんな訳で瘴気を消すのに魔獣を殺して、しまいには魔王も殺したんですけど……消しきれず。結局大量の魔獣を生んでしまい、ゴルトヴァルドに向かってしまいました。追って狩りもしたんですけど、被害があまりにも大きく……途中で帰還命令が出されてそのままこちらに帰ってきました。
現代日本育ちの若者にはハードだろうな、と言うのが紘一の感想だ。哺乳類を殺す経験なんてまず無かったろうに、よく頑張ったと思う。魔獣を“倒す”ではなく“殺す”と表現するあたり、根深く傷になっているのが伺える。
『嵐さんは何故ゴルトヴァルドを知っているんですか?』
理由によって対応を変えるつもりなのだろう。自己防衛にしても今更だ。ここまで中二病全開で何を気にするのか。
「こちらからも質問してもいいですか?」
『……どうぞ』
「まず召喚されたときの状況についてですけど」
井戸田が引くほど根掘り葉掘り聞きだした結果。
魔素を魂たらしめるもの。それもまた魔素である。構成する魔素が異なればそれは別の魂である。
例えば器に水を入れ、少しずつ入れ替えがながら時を経て、器が壊れたらこぼれる。器を綺麗に直しても、最後に入っていた水そのものでなければ、それは別物である。また器を直しても一度は壊れているのだ、すぐまた水はこぼれていく。だから人は死ぬし、死んだら生き返らない。シュトルムは生前この水がこぼれないよう器にビニール袋をかけていた。同じ水を別の器に移したからシュトルムは紘一になった。
またこの世界と前世の世界は隣接しており、魔素は浸透圧でこちらからあちらへ移動している。水と油のようにふわふわとした境を持ち、しかしけして混じらない二つの世界。魔素が魂のまま移動出来たのは移転や転生補助の魔術が界面活性剤の働きをしたから。
「って事か?ほうほうほうほう成る程ねえ……ほぉん……」
『あの……?』
「あ、すみません。最後に一つ。俺に連絡を下さったのはどう仮定してどうしたかったんですか?」
立て板に水と質問していた紘一もここは黙って回答を待つ。井戸田は言葉を探しているようだった。脳内で検証と仮説を組み立てていたので、どれくらい時間が経ったか解らないが、聞き逃すかと思うほどポツリと井戸田は言った。
『謝りたい……んだと、思います』
自分の不足で魔獣を増やしてしまい、その犠牲になった者に。許さないと言うのであれば甘んじて受け止める。謝られたくないと言うのであればそれもまた従う。
『自分の中でけじめをつけたいんです。五年経っても全然……しんどくて』
召喚元もまさか生き物も殺した事がない若造が来るとは思わなかったろうが。
「まあゴルデスのアフターケアが足りんのは間違い無いでしょう。ありがとうございます。それで何でしたっけ、俺がなんでゴルトヴァルドを知ってるか。お察しの通りだと思いますが、異世界転生したからです。前世はシュトルムでした」
井戸田が気に病みそうなのでとにかくスタンピードとアリスリンデの最後については気にしていないことを念をおしておいた。紘一にとってはシュトルムの余生合わせてもう60年以上前の話だ。既に飲み込んだものを謝られても困るし寧ろ蒸し返さないで欲しい。
「俺がゲームを作ったのは、やっぱり転生者を探してですね。実は前から魔素研究してまして、転生とか転移について事例集めたいんですよ」
オカルト雑誌に投稿するよりは、痛い人認定されない創作活動での発表が無難だった。ゲーム形式にしたのは趣味だ。
「あとは……もし、アリスリンデが見つかったら、俺も謝りたいんです」
アリスリンデの性質は明朗快活だ。物の道理を弁えていたし彼女との会話は軽快で楽しい。恋愛感情こそなかったけれど家族のように思っていた。
何に足を取られるか解らない貴族社会は、魔力量の少なさを口実にアリスリンデを扱き下ろす。そして彼女は自己肯定感も低くなり、自信喪失し萎縮する。
シュトルムはそれが許せなかった。言いたければ言えば良い、だがそれは本来のアリスを見てからにしろ。自分と居れば素が出やすいし、からかえば尚更。夜会でからかっては軽く嫌がられていた。だから謝りたい。
そして最後の頑張りでどれだけの人が救われたのかを伝えたい。魔力も身分差もない今生ではもう必要ないかも知れないが、自分のように記憶だけでなく心情も持ち越しているのなら。
(違うだろ)
耳触りの良い建前で誤魔化すな。本当は
「魔獣の大量発生を聞いて、ちょうど良いと思ったんです。転生補助の魔術陣を仕込んだネックレスを防御魔術で偽装してから贈りました」
転生補助の魔術に死を招く効果はない。偽装で入れた各種の防御魔術もきちんと作動する物だ。
だが結果はゲームの通り。そんなつもりは無かったが、死ねと言ったも同然だった。
「謝って、もし恨まれてるなら恨み言を聞きたい」
紘一は井戸田と転生者を探す点で目的が一致したため、もう少し本腰を入れる事にした。とは言えあまり痛い人間ムーブはしたくない。井戸田と言う実績もあることだしゲームの販路を広げる方向で意見は合致した。
現在DL販売のみである所、ソフト版も出すことにした。『金の鍵』のタイトル通り、パッケージには金色の鍵を中心に描き、背景は前世の世界地図。
エンディングは王太子ジークフリートのグッドとバッド、婚約者シュトルムのグッドとバッドの四種だったが、ソフト版では新たにトゥルーを加えた。アリスリンデの死んだ魔獣侵攻の原因は勇者によって魔王が倒されたからだと言う短いナレーションだ。トゥルーは他のエンド四つ全部クリアしないと見られないようにする。そしてトゥルーエンド後のスタッフロールに真っ黒な画面にルビのように“真実は銀の扉の向こうに続く”と添え、大きく白字のウェルト語でこう書いた。
『この文が読める者、異世界研究会まで連絡乞う』
販売から三年、同人ゲームサークル異世界研究会にはコアなファンがついた。緻密な世界観が受けたらしい。そして我こそはと名乗りを挙げた者も二人いた。
一人はランデエゴルデス出身の転生者だった。不老不死の研究をしていたらしい。紘一とは異世界転生の検証で大いに盛り上がった。ついていけない井戸田はゲンナリしていたが。
もう一人はアリスリンデを自称する思い込みの激しいファンだった。なまじ顔が良いため絡まれ、その上シュトルムと誤認された井戸田はやっぱりゲンナリしていた。
ハプニングもあったが方向性は悪くないと判断し、紘一が社会人になる前にもう一本、目先を変えた新作を作ってみる事にした。主人公のモデルは聖者として召喚された井戸田だ。実際の魔王討伐の旅をベースにした冒険物にする。乙女ゲーム以外のプレイヤーを拾う作戦だ。パッケージには銀色の扉を中心に描き、背景は前作と同じく前世の世界地図。タイトルもそのまま『銀の扉』だ。
二作目の初出となるイベント当日、スペースに紘一と井戸田の二人で座る。卓上にはポータブルDVDプレイヤーで新作のデモムービーを流した。
『どうぞお手にとってご覧下さい』
「どうぞご覧下さい」
紘一がウェルト語、井戸田が日本語で参加者に声をかける。
軽く頭を下げた女性が新作を手に取った。
『そちら続編となっておりますが』
『あ、大丈夫ですこっち買いに来たんで。一部下さい』
ウェルト語で返事をした彼女はお金を支払いソフトを鞄にしまう。話しかけるつもりが、逃がすまいとつい腕を掴んでしまった。
「あの…?」
『この後お時間いただけますか?』
『いや、用事があるので』
当然断られた。ここで引き下がる訳にはいかない。
『お話聞かせて下さい』
『ですから、用事があるので』
彼女はスタッフを呼ぶためか周囲に視線を走らせている。紘一は重ねて言った。
『気付いてませんか?ウェルト語話してますよ私も貴方も』
本当に用事があり閉会までは居られないと言うので、卓上に布を被せ、離席の旨のメモを貼る。会場併設のレストランに場所を移した。
「では改めまして。異世界研究会の嵐です。こちらは」
「井戸田です」
飲み物が届いた所で自己紹介をする。彼女もハルと名乗った。ハンドルネームだろう。
「俺はゴルトヴァルト出身なんですが、ハルさんは?」
「……私も、ゴルトヴァルトです。王都に住んでいました」
しばらく前世の身の上話をした。シュトルムは魔獣侵攻の後、結婚して子供ももうけ、ひ孫の顔を見ての大往生だったと話す。ハルもシンプルに申告する。
「従軍してたので、最後は魔獣侵攻で……」
「日替わりランチ三つお待たせしゃしたーデザートはお声かけいただいたらお持ちしぁす」
一瞬お通夜のような雰囲気になったが、出来立てハンバーグを前に全てのネガティブは払拭された。肉は全てを解決する。三人とも無言で料理を食べる。その間紘一はハルの言葉の意味を考えていた。従軍して魔獣の侵攻で殉職。確かに当時王国軍が出ている。そういう者も居るだろう。しかしゴルトヴァルドの王都に住んでいたなら所属は王都軍になる。王都軍は出兵していない。その前にスタンピードは量を減らし散ったからだ。ハルは嘘をついたか、故意に何かを隠している。
デザートを頼んだところで仕切り直す。
「ハルさんは金の鍵プレイされました?」
「あ、はい」
「トゥルーは?」
「一応」
嵐とハルの二人で話すばかりだったが、ここへ来て黙りこんでいた井戸田が突然頭を下げた。
「あの?」
「ごめん、申し訳なかった」
『金の鍵』トゥルーエンドの勇者が自分であると吐露して謝罪する。許しは乞わなかった。
「はぁ、左様で……」
ハルから他の感想はない。井戸田は頭を下げたまま謝罪しつくし無言でただ待っている。ハルの言葉を。他の客の視線が痛い。
「まず顔をあげてください。話しにくいです」
井戸田がのっそりと頭をあげる。死にそうな顔をしていた。
「死ぬとき何故魔獣が暴走したか知らなかったので、今知ったところで特に何とも思いません。怨み辛みもありません。」
「本当に?」
紘一がまぜっ返す。ハルが一瞬嫌な顔をしたが、すぐ笑顔になる。表情を取り繕ったようだ。
「本当です。例えば交通事故で入院した病院で知り合った看護師さんと恋人同士になるとか、そんな感じですね。当時は痛かったし許せないと言えばそうなんですけど、そのお陰で恋人と知り合えた訳ですし」
「しかし……」
井戸田が言い募ろうとしたところでハルの面倒くさいゲージが振りきれたらしい。早い。
「正直に言えば、こうして時間を取られている事がとても煩わしいです。前の事は本当にどうでも良いので。どうしてもと言うのであれば言いますが、自分のせいで人が死んだとか自分を責めてるのかも知れませんけど、直接手を下したのでも無ければ、ただの思い上がりだと思います。私を殺したのは魔獣です。それまで自分のせいだと言うなら私の事バカにしてます」
聞き覚えのある言い回しに、何度も見た表情。紘一は目頭が熱くなるのを感じた。待てここで泣くなただでさえハルにとっては不審者なのにこの上はまずい。
言いきったハルは、帰り支度をしている。遮るように井戸田が言った。
「あの、ごめん。何でバカにしてるって話になるのかは解らないけど……ちゃんと考えてみる。時間をくれて、ありがとう。ここの支払いは俺がするよ、時間をくれたお礼に」
井戸田の申し出を受け二人は握手をした。
「頑張って下さい」
「そうする。本当にありがとう」
紘一も手を出し握手待ちをしたら、ついでに握手してくれた。
「何か良い感じにまとまってるけど、俺の話がまだなんだけど?」
ついシュトルムがアリスリンデをからかう時の口調になってしまった。内心動揺しつつ紘一は握った手を放さない。ハルは手を力の限り握りしめた。こんな所も彼女らしくてつい笑ってしまった。これ以上握れなくなったらしい所で、ハルは魔力で筋肉を強化し更に握りこんできた。この波長、間違いない。
アリスリンデだ!
ハルは紘一より年下に見える。シュトルムが事件後50年生きた事を思えば、転生にかなり年月がかっている。魔力枯渇による魂の傷が思いの外深かったらしい。
「痛い痛い痛いギブ!放して!」
流石に人外の握力に骨がきしんだので手を放してもらう。
「じゃあ私はこれで。井戸田さん、ご馳走さまです」
「あ?ああ、今日はありがとう」
「待って!せめて連絡先教えて!」
断られるかと思ったが、ハルはペーパーナフキンにSNSのアカウントを書いた。
「ありがとう、連絡する!」
彼女は少し笑った。紘一は頭を下げる。
その日の晩、宣言通り紘一から連絡をした。しかし案の定返信は無い。ハルのアカウントには鍵がかかっていたからだ。握手をした際に魔力のパターンは把握したし、探そうと思えばすぐにでも探せる。だがイベント時の反応を思えば単純に嫌がられているのだろうから、こちらから行くべきではないだろう。いつか連絡をくれたら良いな、と言うスタンスで構えておくしかない。シュトルムの時は好奇心優先で相手に突撃して嫌がられていた事を思えばあれから70年近く経っているわけで成長した、俺。折角ログインしたのだからとついでに新作の評判をエゴサするうち夜は更ける。
扉の向こうで待ちぼうけ。