8.困惑と忠誠
雷に打たれたような衝撃を受ける。
ルーカスが、時間を巻き戻した──?
「···っ!なんで、そんな···!」
動揺のあまり言葉に詰まる。
『···姫』
気遣わしげな声で私の名を呼ぶルーカスに、一層憤りを覚える。どうしてこの状況で彼に心配などされなければならないのだ。そんなことで償いになるとでも思っているのか。
「···私は、そんなこと、望んでなんかいない」
震える声で、伝える。
「あなたが消えてしまうことなんて···!」
『──はあ?!』
私が言い終わると同時に、ルーカスのものとは思えないほどの間抜けな声が響く。しかしそんなことを気にしてなどいられない私は続ける。
「だからっ、そんな重大なことを話してしまったら、あなたが消えてしまうって···」
『···あー、そうきますか姫。まさかそんな、ご自分のことより私などのことを気にかけて下さるとは···。くくっ、これは想像以上だ』
ルーカスは、何を言っているのだろう。消えるとわかって気でも触れたのだろうか。
そう怪訝に思っていると、気を取り直したかのようにいつも通りの口調でルーカスが釈明する。
『どうやら私の言葉が足りなかったようですね。この誓約に関しては、詳しいことはお話できないと申し上げただけであって、全てをお話できないというわけではございません』
「······そう、だったの···」
勘違いだったのか──。そうとわかると張り詰めた糸が切れたかのように力が抜けて、思わずその場にしゃがみこむ。
『姫!···申し訳ありませんでした。まさかそのように思っていただけるとは思わず···。しかしながら、なぜあなたは私が時間を巻き戻した、という点に対してお咎めになられないのですか?』
ルーカスは、気遣うような優しい光を向けて私に問う。
「なぜって···。そんなの最初からわかっていたようなものだったもの。だって死んだはずの自分が六歳の姿で蘇っていて、この国にはいないはずの精霊が突然わけのわからないことを言って目の前に現れるのよ。時間が巻き戻ったことにあなたが関係していないわけないじゃない」
私にしてみたら、ルーカスの疑問の方が不可解だ。起きてしまったことを今更咎めて何になるというのだ。
「私があなたを召喚した理由、あなたが時間を巻き戻した理由、どちらもわからないけれど、そこに意味はあるのでしょう?なら罰を与えるよりも、これからどうしていくかの方が大切なはずよ」
実際、巻き戻ったとはいっても、全てが以前と同じというわけではない。だからこそ、何かを変えられる好機でもあるし、これから起こりうることを回避だってできるかもしれない。どうせ後戻りできないのなら、今を生きていかなければ。
『あなたは──。···いえ、相違ありません。では改めて、姫。私は手となり足となり、御身のために尽くすと誓いましょう』
ルーカスがそう言うと、突如鏡が輝きを放ち、部屋一面をその光が覆った。反射的に目を瞑るも、ゆっくりとその瞼を開く。
すると、部屋一面を覆っていた光は消え去り、目の前には見知らぬ人物が立っていた。
雪のように白い髪は胸元まで伸び、中性的な端正な顔立ちをしている。見る角度によって変化する瞳は、まるで虹色のようだ。
「やはりこの姿だと自由に動けていいですね。鏡を通してだと姫のお体を介さなくてはならないので、どうしてもあなたに負担がかかってしまいますから。それに、これならいつでも姫をお守りすることができます」
まさかとは思ったが、その声にその口調──
「あなた、ルーカスなのね?」
「おや、驚きませんか。さすが肝が据わっておられる。これからお部屋でお話しをする際はこちらの姿で姫にお仕えいたしますのでご承知を」
ルーカスはそう言うと、片膝をついて私の手をとる。そしてその甲に、潤んだ柔らかい感触がしたことに気付いた私は咄嗟に手を引っ込めた。
「っ!な、なにを急に!」
「これはこれは、そのように真っ赤にされて···。ただのご挨拶のつもりだったのですが、思いがけず姫の違った一面を窺えて喜ばしい限りです」
飄々と答えるルーカスに、なんだかどっと疲れを感じる。無理もない、今日は王との謁見に王子との対面、それにルーカスとの対話でかなりの気力を消耗したのだ。
「···そろそろ休むわ」
「ええ、姫。よい夢を」
片膝をついたまま頭を垂れるルーカスを横目に、ベッドへと身を委ねる。そしてすぐに訪れた心地のいいまどろみの中に、私は落ちていった。
その様子を見届けたルーカスが小さく呟く。
「···想像以上のお方のようですね。やはりあの者にやるには実に惜しい」
そうして眠る彼女の額にそっと口付けを落とした。