6.王子との茶会
まるで金縛りにでもあったかのように動けなくなっていた体が、レオナルドが先に目をそらしたことで解放された。
怪訝そうな表情を浮かべるレオナルドに、私は青ざめる。
本来目下である私から自己紹介すべきところを、あろうことか押し黙ったまま凝視するという無礼を働いてしまったからだ。
「も、申し訳ございません!」
「···良い。いつものことだ」
慌てて頭を下げるも、レオナルドは礼を欠くふるまいをした私をあっさり許した。
いつものこと──ああ、そうか。
確か過去にもレオナルドと直接顔を合わせて時を止めた令嬢が何人もいた···というより、私が見た限りでは百発百中だった。その端正な顔で吸い込まれそうな紫の瞳に見つめられると、大抵の人間はこうなるだろう。そして全員が全員レオナルドに同じ行動をとり続けてきたのだから、慣れてしまうのも無理はない。そして先の私の失態は、どうやらその類いのものだと思われてしまったようだ。
しかし今はそれに気を揉んでいる場合ではない。これ以上の無礼は不敬に値する。
「寛容なお心遣い、痛み入ります。そしてご挨拶が遅れてしまい、誠に申し訳ございません。私はハンナ·ベイリーと申します」
先程までの様子を一変させ、最上級の淑女の礼をとる。
「···ああ。私はレオナルド·ラードナーだ」
ようやく互いに挨拶を交わしたところで、それまで事の成り行きを静かに見守っていた王が口を開く。
「自己紹介は済んだようだな。ではレオナルドにハンナよ。これよりしばし二人でゆっくり茶でも楽しむと良い。我らがいると肩肘を張ってしまうだろうからな」
王の提案に、一瞬思考が停止した。
* * * * *
──どうしてこうなった。
過去のレオナルドとの対面では、顔合わせが済んだら終わりであったはずなのに。
今私は王宮の中庭で、レオナルドとテーブルを挟んでお茶を飲んでいる。しかしどう見ても楽しそうな茶会ではない。静かに流れる時間、とでも言えば聞こえはいいが、実際にはただ沈黙だけが続く重苦しい時間である。
しかしその沈黙をレオナルドが破る。
「昨日湖に落ちたとき、怪我はなかったか?」
「はい。幸いすぐに侍女や近くにいた方たちが助けて下さったので···」
どうやら王にだけでなく、レオナルドの耳にも入っていたらしい。
「私の不注意にも関わらず、このように事を大きくしてしまい申し訳ありません」
「いや···。父上はあの場で何も言わなかったが、本当はあの時誰かに背中を押されたのではないか?」
核心をついた一言に、心臓が跳ねた。どうしてそれを──
どう返事をすべきか悩む余り、次の言葉が続かない。しかしそれを肯定と受け取ったらしいレオナルドはこう告げる。
「今回のことは既に調べがついている。あなたを陥れようとした者は近日中に然るべき罰を与えられるだろう」
なんということだろうか。まさか自身の言葉通り、そのように事が大きくなっていたとは。
そこではたと思い出す。フロイドに言われた言葉を。
──自分の立場を弁えろ──
それはそういう意味だったのか。フロイドはただ厳しい言葉を投げかけていたわけではなかったのだ。
私がもっと自覚を持っていれば、このようなことは想定の内で、今回の出来事を回避できたかもしれない。しかしそれを怠った私はこうして王家の手を煩わさせ、ほんの出来心からだったかもしれない誰かを貶めてしまった。
わかってさえしまえばこうにも簡単なことですら私にはできていなかったのだ。
王妃になるためだけに生きてきた──などと悲観ぶっていたあのときの自分を恥じる。
「すまない。私の妃として名が挙げられたばかりにこのような···。だが、恐らくこの婚姻が正式なものとなるまでは今後もあなたを害そうとする愚者は後を絶たないだろう」
実際、過去ではそうであった。最も、それは自分自身にも非があったことで。誰もが認める存在であれば、少なくとも今回のように湖に突き落とすなどという稚拙な行いをする者はいなかったであろう。
しかしいくら自覚したところで後の祭りだ。今の私には同じ道を辿る資格すらない。結局あのときの私は、恋に溺れた愚か者だったのだ。
どのような咎めを受けようと、正妃への道は辞退しよう。
そう決意したと同時にレオナルドは言った。
「だから私は全力であなたを守ると誓おう」
と。