4.現れる鏡の精
執務室を退出してからどうやって自室に戻ってきたのかわからない。しかし、そんなことを考える余力すらないほどに、私は思考を巡らせていた。
王から直々に呼び出されたことがあるのは一度きりだ。本来王に謁見する機会などそう易々与えられるものではない。それこそ国に関わるような事案でもなければ。
しかし私には、その事案に該当する心当たりがあった。
「あの人と、出会うことになるのね···」
王子は、行く行くは現国王を継いで国を治めることになる人物。そしてそれを支え、次代を担う子を繁栄する役目にある王妃、は言わずもがな現時点では私が務めることになっている。そんな二人を初めて対面させるということは、国の将来にとっても重要な事案と言えるだろう。
記憶より早く王子と出会うことになった私は、想定外の事態に頭を悩ませた。
王子を一目見たら、あのときの熱い想いが蘇ってしまうかもしれないことへの懸念。
そしてもしもそうなってしまったときに、その想いを打ち消して行動することができるのかという不安。
未来を知っているからこそ打てる手はあるとは言えど、逆らえない何かに阻まれてしまったら──
いっそのこと、愚行をおかしてこのしがらみから抜け出してしまおうか。
『そんなことをすれば婚約破棄はおろか、不敬罪で処刑されますよ』
「それもそうよね、浅はかなことを考えたわ」
そう答えて、一瞬間が空く。
今の声はなんだろう。
誰かこの部屋にいただろうか。
しかし思索にふけっている間、この部屋に訪れた者は誰もいない。執務室から戻る間の記憶は少々怪しいが、仮に侍従か侍女かが私を部屋まで送り届けていたのだとしても、いくら幼子であるとはいえ不用意にそのまま滞在していることなどあり得ないだろう。
念のため部屋を見回してみるも、やはり誰の姿もない。
「誰か、いるの···?」
『此処に』
恐る恐る尋ねた問いに、声の主が答える──と同時に、一筋の光が私の心臓を射ぬいた。一瞬怯むもしかし痛みはなく、光の先を辿っていくと、それは先刻自身の姿を映した鏡であった。
「···鏡?」
『ええ。初めまして、我が麗しの姫』
どうして、鏡が──
『どうして鏡が物言うか、ですか。厳密に言うと私は鏡ではなく鏡の精なる者。名はルーカスと申します。姫により召喚されし我が身、どうぞあなた様のためにお使いください』
一連のやり取りに、理解が追い付かない。まず私の思考はどうやら筒抜けで、ルーカスなるこの声の主は精霊とやらで、それを召喚したというのは私で···?
「···見に覚えがないのですが。それに、精霊とは?」
精霊に関することは、この国では児童書の中にしか記されていない。つまり、精霊=架空世界のものとして認識されている。無論、その認識通りである私には、召喚など出来るはずもない。
『書誌通りの認識で良いかと思われますよ。そして私が扱えるのは「鏡の精」なる名の通り、鏡です。鏡がある場所であればその空間にいる者全ての気を読むことも可能です』
ルーカスは淡々と続ける。
『召喚の儀に関しては、何か歪みが起きたようですし···今はわからずとも良いのです』
ルーカスはそう言うと、まるで柔らかく微笑むかのような温かい光を私へと向ける。
一方で、ルーカスの話を聞けば聞くほどに増していく疑問に、私は次の問いを発しようとした。
しかし、力が入らない。
『申し訳ありません姫。私との対話は姫のお身体を介してのもの。これ以上お話することはあなたを壊しかねません』
ルーカスはそう言うと、私を貫いていた光を消して、こう告げた。
『いずれ、来るべきときがきたら全てをお話しましょう。それまでは、どうか私をお使いください』
遠のく意識の中で、その声を聞いた気がした。