24.あの頃のように
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
朝食を済ませ、帰国のための準備を整えていたところ、再び部屋へと訪れたメイドによってその手を止めた。
そして、先刻伝えられた決定事項を履行するため、ある部屋の前へと案内され現在に至るのである。
今しがたの深呼吸で心臓の鼓動が落ち着くことはなかったが、扉の奥にいる彼女は過去の私とすら出会っていない、私の知らないフィオナなのだ。私の記憶や過去に対する思いを今のフィオナに混同することは無意味であり、なにより彼女に失礼だ。
私はもう一度静かに息を吐き出し、部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
「失礼いたします」
聞き覚えがあるより僅かに高い声に入室を促され、ドアを開けて礼をする。
「初めまして。ハンナ·ベイリーと申します。お会いできる機会をいただけて光栄にございます」
「······ほんとに、きてくれた······」
「え······?」
小さく呟かれた言葉に呆気にとられ、フィオナを見やる。ベッドにもたれて座る彼女と目が合い、ヒュッと息を呑んだ。
──どうして、こんな──
目に映る彼女はとても痩せ細っており、元々の白く美しい肌は血色が悪くより一層青白い。容姿は私が記憶している彼女とよく似てはいるが、隈ができ頬がこけたその顔は幼子ということをなしにしても本当に彼女であるかどうかを疑ってしまう程に痛々しい。
「お身体の具合は、大丈夫ですか······?」
思わずそう声をかけると、見つめ合った彼女の目から大粒の涙が零れ落ちた。
「っ!どこか、痛まれるのですか?」
面会がこれほどまでに延びたのだ。過去のフィオナの性格を考えると、もしかすると体調がまだ芳しくないのに今日しかないからと無理をしてでも会ってくれたのかもしれない。
「······違うの、ごめんね。嬉しいの。······来てくれて、ありがとう」
「いえ······。でも、ご無理はなさらないで下さいね」
「ありがとう。少し、私とお話してくれる?······ハンナ」
「っ!······はい、王女様」
そう言って、私の名を呼びフィオナは微笑んだ。そんな彼女を見て、無性に泣きたくなるような気持ちがこみ上げてくるのをなんとか飲み込んで、私は彼女のベッドの傍にある椅子へと腰掛けた。
「お父様がきっと無理を言ったのでしょう?それなのにずっと会えなくてごめんなさい」
「いいえ。お身体の具合が悪いときは仕方ありません。それに今日だって、本当は無理をなさっているのではありませんか?」
「ふふっ。大丈夫よ。ハンナに会ったら元気になったもの」
「そうですか、それならよかった······って、やっぱり無理をされてたんじゃないですか」
「結果良ければ全て良し、だよ!」
「良し、じゃありませんよ!」
そう言って、お互いに顔を見合わせて笑った。
フィオナは幼い頃から明るかったのだなと実感する。こうしていると、まるであの頃の楽しかった時間に戻ったかのようだ。軽口を叩き合って笑い合って。
実際は、フィオナにとっての私は今日が完全に初対面なのだから、こうしてすぐに打ち解けられるのはやはりフィオナのおかげだろう。
「それと、国王様だけではなく王妃様も王女様のことを心配されていました。王妃様には兄の病を治す薬をいただいたのですが、本当は王女様のために作られた薬だったそうで······」
正直なところ、過去のことを考えるとやはりディーナがフィオナを本当の娘のように思っていると言っていたことが信じられなかった。だからフィオナには申し訳なかったが、少しカマをかけてみることにした。
「······ディーナ様が?」
すると先程まで笑顔だったフィオナの顔が強張った。ということは、やはり何かある。そう思った瞬間だった。
『ディーナ様には気をつけて』
強張った表情をしたまま、フィオナの口は動いていない。
「な──」
──なんで、念話が──
そう言いかけた私の唇にフィオナはそっと人差し指を当てて制した。
しかし次の瞬間、先程まで強張っていた表情はどこにもなく、人好きのするような笑みで私に問いかけてきた。
「そっかあ。でもお兄さん、その後身体の具合は大丈夫そう?」
「え、あ、はい。お陰様ですっかり良くなったようで、ディーナ様には感謝してもしきれません」
「そっか、それならよかった」
フィオナは満足そうに笑っているが、先程のやり取りからするに、恐らくディーナの言うことを鵜呑みにするのは尚早のようだ。過去とは違う、フィオナの今の病状だってもしかしたら──
「ところで、この間ハンナが庭園にいるところを見かけたんだけど」
「へ?あ、はい。とても美しく見入ってしまいました。素晴らしい庭園ですね」
しかし突然変わった話題に一瞬呆けて間抜けな声を出してしまった。
「そうじゃなくて、ハンナあのとき騎士様と一緒にいたでしょう?その騎士様とすごく楽しそうに話していたみたいだったから」
騎士様──恐らくニールのことだろう。謁見の後で外の空気を吸うために庭園へ赴いたのだが、そのとき護衛騎士を買って出てくれたのだ。
「トリケスタ王国の第一騎士団に所属することになっているニールという者です。あのときは護衛騎士として同行してもらっていました。同じく我が国の第一王子であるレオナルド様と幼少より親しい間柄であるようで、以前から少し私もお話させてもらっているのです」
「ハンナはレオナルド様の婚約者だものね。ねえねえ、ハンナはレオナルド様のこと、好き?」
なぜそこで突拍子もなくそのようなことを聞いてくるのかフィオナの真意がわからないが、今の私たちはまだ6歳だ。もしかすると彼女は恋の話のようなことに興味を抱いているのかもしれない。
「そうですね······お慕いしておりますよ。とてもよくしていただいていますし」
「そうじゃなくて。ドキドキしたり、その人のことで頭がいっぱいになったり、そういう好きの話だよ」
「······そういう気持ちは、まだ」
改めてレオナルドへの気持ちを確認してみるも、やはり過去のような想いを抱くことは今のところないようだ。
すると、なんだか少しフィオナが切なそうな、悲しそうな顔をしてこう言った。
「······そっかあ······。でも、これからだよね、きっと。だって私はね、いるんだ。好きな人。」
「え?」
ふいにフィオナがそんなことを言うものだから驚いた。過去ではお互いに想いを寄せ合ったフィオナとレオナルドは婚姻を結んだが、今はレオナルドと出会う前であるし──
「だからね、私はずっとその人のことが好きだから、ハンナはレオナルド様と絶対に幸せになってね」
「?それはどういう──」
フィオナの言葉の意味がわからなくて聞き返そうとしたとき、突然フィオナは激しく咳き込んだ。
「王女様!」
苦しそうにしているフィオナの背中をさすりながら部屋付きのメイドを呼ぼうとしたとき、フィオナが私の方へと振り向きそれを制する。
「フィオナって、呼んで。また、お話、しましょう。私は、ハンナが、大好き、だから」
尚も咳き込みながら、途切れ途切れそう言葉を紡いでフィオナは意識を失った。
その後すぐに私はメイドを呼び、王宮医師による早急な診察と薬の投与によってフィオナの容態は落ち着ついた。
静かに眠るフィオナの寝顔を確認してから、私たちはトリケスタ王国へと帰国したのであった。




