1.巻き戻った時間
苦しくて息ができない。
深いところに堕ちていく感覚。
体が動かない。
全てのものを消し去る暗闇は、私の存在すら飲み込んでしまいそうで。
怖い。
──あぁ、これが死ぬということか
朦朧とする意識の中で、静かに瞳は閉じられた。
* * * * *
「──ナ!ハンナ!」
そう私の名を呼ぶ声にハッとして、目を覚ます。
「よかった···。無事だったんだね」
声のする方に視線を向けると、私の兄であるカイル·ベイリーが安堵の表情を浮かべて私の顔を覗いている。
「ハンナが湖に落ちたと知らせを受けたときには生きた心地がしなかったけど、こうして目を覚ましてくれて本当によかった。どこか痛むところはあるかい?」
「い···え、おに···さま、だい···じょ···ぶ···です」
カイルの問いに答えようとするも、声を発しようとしたときの焼けるように熱い喉の痛みにうまく話すことができない。
おまけにひどく聞き取りにくいかすれ声だ。
「ああ、無理に話をさせてすまない。恐らく湖に落ちたときに飲んだ水を吐き出したせいで喉がやられてしまったようだね」
それ以上は言わなくていい、と優しく頭を撫でてくれた。
「それじゃあ僕は医者を呼んでくるから、ハンナは横になって待っていて」
そう言ってカイルは部屋を出て行った。
のと同時に、混乱の渦が頭を襲った。
まず、自分が生きているということ。
魔女に囁かれた食べた者を死に至らしめる毒りんごの話は嘘だったのか。
次に、毒りんごを食べたはずの自分がなぜ湖に落ちていたのかということ。
過去にも湖に落ちた経験はあるのだが、それは六歳の頃の話。なぜこのタイミングなのか。
そして最後に、カイルが生きているということ。
私が自ら命を絶ったのは十六歳の頃で、カイルが死んだのは私が十歳の頃だったはずだ。体が弱く、私を産んですぐに亡くなった母と同じくカイルは病弱だったのだ。
そこまで考えて、ふと顔をあげた瞬間きらりと何かが反射する光に一瞬目をつむった。
そしてその光の正体を目でとらえたときに、信じられない光景を見てしまったのである。
光の正体は鏡によるものだ。太陽の光が鏡に反射して起こった現象だとすぐに理解した。
しかし問題はそこではない。
その鏡に映った自分の容姿はどこからどう見ても十六歳の少女のものではないからだ。
その姿は、どこからどう見ても、幼女の姿であったのである。