16.向かえた謁見の日
翌日、正午からの謁見のため、早めの昼食を終えた後再度身支度を整えると、案内人により私とレオナルドは謁見の間へと歩を進めていた。
緊張と重圧から、震える手をぎゅっと握りしめる。大丈夫だ、落ち着け。心の中で、そう自分に言い聞かせる。
するとその震えを優しく受け止めるかのように、温かい何かが私の拳を包み込んだ。
「大丈夫だ。私がついている」
じっと前を見据えながらそう呟いたレオナルドは、その左手を私の右手へと重ねていた。
大丈夫、そう自分に言い聞かせる程不安の渦に飲み込まれそうになっていたというに。レオナルドに言われると、不思議と本当に大丈夫な気がしてくるのはなぜだろう。
気が付くとそれまで強く握っていたはずの拳は緩まり、冷えきった指先にも少しずつ熱が戻るのを感じる。
私は返事の代わりにレオナルドの手を握り返す。
一瞬ピクリと反応したその手は、先程よりも力強く握りしめられた。
そうして謁見の間へと着いた私たちは、片膝をつき、頭を垂れて待機する。
そのまま辺りが静寂に包まれてからしばらくした後、よく通った男性の声が部屋中を響かせた。
「国王陛下、並びに、王妃殿下のおなーりー!」
二人の到着を知らせる言葉だった。
それを聞いて再び手に力を込めたのは、今度は不安からなどではない。ディーナに対峙する覚悟を新たにしたからだ。
「苦しゅうない、面を上げよ」
国王であるアーノルドが許可するのを聞き、私とレオナルドは頭を上げる。しかしまだ顔を合わせてはならない。こちらの発言が許されたときに初めて、目を見て話すことが叶うのである。これはルフラン王国特有の礼儀作法と言えよう。
「此度はよくぞ参った。レオナルドは以前この国に来てより七年程経つだろうか。立派になったものだ」
アーノルドが語りかけるのに、レオナルドは頭を垂れる。
「良い、発言を許す。そなたの顔をよく見せてくれ」
「はっ。お久しぶりにございます、国王陛下。このようにお目通りが叶ったこと、誠に嬉しく存じます」
レオナルドの様子に焦れるかのように、アーノルドがすぐに発言を許可する。それに応じたレオナルドは、アーノルドへと顔を向けると恭しく返事をした。
一方許しを得ていない私は相変わらず床を凝視したまま、しばらく二人のやり取りに耳を傾ける。
「しかし驚いたものだ。まさかその歳でお父君に頼らず外交に臨むとは」
「勿体ないお言葉にございます。恐れながら私も来年には十二歳、十五歳で成人とされる我が国ではこの頃より一人立ちを迎える者も多いのです。しかし、将来自国を背負う立場であるからにはもっと早い段階で経験を積むべきだったところを······お恥ずかしい限りです」
「そのように謙遜するでない。我が国では十五であってもまだまだ子供だ。そなた程聡明な者はおらぬよ」
「恐れ入ります」
アーノルドの称賛に、レオナルドは頭を垂れる。そうして一拍置いた後、再び顔を上げると謝辞を述べる。
「この度は私のような未熟者にハンナとの同行をお許し下さったこと、誠にありがたく存じると共に、国王陛下並びに王妃殿下の寛容なお心に感謝申し上げます」
「構わぬ。それに我らとしても、このような幼子に一人参れと言うのも心苦しいところではあったのだ。······して、ハンナ·ベイリーよ、よくぞ参ったな。発言を許す。顔を見せよ」
そうアーノルドに許可されるのを聞いて、私はゆっくりと視線を上げる。
──のと同時に、何か恐ろしいものを視界に捉えた。黒い靄に浮かぶ瞳。それはまるで刺すような、おぞましいような目をこちらに向けているようで、ひどく不気味だった。
しかしその何かは刹那に消えたかと思うと、次に見えたのは目鼻立ちの整った妖艶な美女の姿。口元を肌触りの良さそうな扇子で隠しながら、こちらをじっと見据えている。
思わず目をそらしそうになったのをなんとかこらえて目礼し、アーノルドへと視線を移して答えた。
「はっ。国王陛下、並びに、王妃殿下のお招きにより参上いたしました、ハンナ·ベイリーと申します。このようにご指名いただきお目通りが叶ったこと、誠に嬉しく存じます」
動揺して声が震えそうになるのを悟られぬよう挨拶を述べる。
先程目が合ってからというもの、一点に私を見つめる美女──アーノルドの隣に座るディーナの姿に冷や汗が滲む。
「よい、そのように堅苦しくするな。そなたはまだ六歳だと聞くが、信じられまい。我が娘も歳を同じくしているというのに······なあディーナよ」
そう言って、アーノルドは未だ一言も口を開くことのなかったディーナへと話を振った。
その言葉に私の心臓は大きく跳ねる。今尚私を見据えるディーナに言い知れぬ恐怖が沸き起こっているからだ。これから何を言われるのか、そう構えていると、少し低い艶のある声が発せられる。
「ええそうね、アーノルド。まああの子は少しお転婆なところがあるけれど、それはそれで可愛いじゃない」
思わず拍子抜けする言葉と共に、先程までの様子がまるで嘘のように私へと温かく微笑んだディーナは続ける。
「ごめんなさいね。あなたが余りにも可愛らしいものだから、つい見つめてしまって。気を悪くなさらないで?」
それなのになぜだろう。かけられる言葉も向けられる表情も優しいはずなのに、恐怖心は増していくばかりだ。それに、あれほど自分より美しい者を排除せんとするディーナが、いくら幼子とは言えど、簡単に可愛いなどと口にすることに違和感を覚えずにはいられない。
「滅相もございません」
そう答えるので精一杯だった私だが、そこまで考えてふと疑問を抱く。
先程ディーナは娘のことも可愛いと言っていたか。ルーカスに聞いた限りでは、ディーナとフィオナの関係はそのような感情を抱くほど深いものではないと記憶しているのだが。
「娘はね、私と血の繋がりはないのだけれど、とても可愛がっているのよ。だって、たった一人の愛しい子だもの」
「そう、なのですか······」
聞いていた話とは随分違うではないか。もはやディーナは噂されているのとは異なり、実は愛に溢れた人物なのだろうか。しかしやはり先程まで私に向けられていた視線の意味も気になって、にわかにはそう信じることができない。
考えあぐねた私は、レオナルドへと視線を向ける。
「······っ?!」
すると、今までの光景はそこにはなく、隣にレオナルドの姿はない。アーノルドも然りだ。
気付いたら見渡す限り黒い世界にいた私は、不思議とディーナの姿だけははっきりと捉えることができた。
「突然驚かせてしまってごめんなさい。怖いことはしないから安心して。それに、アーノルドとレオナルド王子のことも。ちょっと魔法で時を止めているだけだから」
そう言って、妖艶に笑うディーナに対してここがどこかもわからない私の頭はうまく働かない。
時を止めた?魔法で?ディーナが?思考が追い付かない。一体どういうことなのだろう。
そんな私の様子を見て「うふふっ」とさも楽しそうに笑うディーナは、人差し指を私の唇へと押し当てた。
「私とあなただけで秘密のお話をしましょう」
そう言って、今まで口元に当てていた扇子を閉じた瞬間、目の前からディーナの姿が消える。
しかし代わりに現れた人物に、私は驚きのあまり言葉を失った。
(そんな······どうして?)
それは、私が知っているよりも遥かに年若い、フィオナの姿であったから。




