15.ルフラン王国へ
ついに、ルフラン王国へと渡る日を迎えた。
前日ルーカスに『精霊の姿だとあちらの国では目立ちますからね』という理由で手鏡を一つ持たされた。どうやら同行してくれるらしい彼は、そこに留まるつもりのようだ。
出立する際にはカイルが見送りをしてくれた。
「気をつけて行っておいで。謁見も大事だけど、あまり無理をしてはいけないよ」
「ありがとうございます、お兄様」
カイルの言葉に張り詰めていた気持ちが少しだけ和らぐ。
この一ヶ月間、私は出来る限りの教養を身につけるべく勉学に励み、礼儀作法も一から全て学び直す日々を送った。
それでも不安は拭いきれないのが正直なところなのだが、やれることはやったのだ。大きく深呼吸をして、心を落ち着かせる。
「くれぐれも粗相のないように」
私の目を見るでもなくそう言い放ったのは、もう一人見送りに現れていた人物、フロイドである。
早朝にも関わらず、まさかわざわざ出向いてもらえるとは。相変わらずかけられる言葉は厳しいが、その事実が嬉しくて思わず笑みがこぼれる。
「はい。心して臨みます」
力強く答えた私に僅かに片眉を上げたフロイドだったが、すぐに表情を戻すとそれ以上何も言うことはなかった。
しばらくして王宮からの迎えが到着し、私を乗せた馬車はルフラン王国へと旅立つのであった。
「······父上も相変わらずだね。もっと気の利いた言葉でもかけてあげればいいのに」
「······なんのことだ?」
「本当は娘に甘々なくせに」
「聞こえなかったな」
その頃馬車に揺られていた私は、カイルとフロイドがこんなやり取りをしていたことなど知る由もない。
私の乗る馬車にレオナルドの姿はない。どうやら別の馬車で先に向かっているらしい。
その代わりといってはなんだが、私の斜め向かい側には騎士服に身を包んだ見知った少年が一人。ニールが座っていた。
「よっ。調子はどう?お姫様」
「おはようございます、ニール様。緊張していないと言えば嘘になりますが、心構えはできております」
「まあまあそう固くならずに。しっかし年の割に本当しっかりしてるよな。あんた本当に六歳なの?」
思わぬニールの言葉に心臓が一度大きく跳ねた。今まで特に意識したことなどなかったのだが、言われて始めて気付いたのだ。子供らしく振る舞うでもなく、十六歳の感覚のまま過ごしていたことに。
しかしここまできてしまったのなら仕方がない。このまま押し通すまでだ。
「いいえ、私などまだまだです。レオナルド様のお隣に立つにはもっと相応しい淑女にならなければなりませんから」
無論、私がレオナルドの隣に立つ未来などはない。いつかフィオナが現れて、彼は彼女と結ばれる運命にあるのだから。
そう考えて、なにやら胸に違和感を覚える。なんだろう、このなんとも晴れないような重苦しさは。
「よくできたお姫さんだな。レオナルドのあの様子にも納得したよ。あいつ、今まで立場上誰かを特別視することなんてなかったのに、あんたのことになるとあからさまだから」
そんなニールの言葉に耳を疑うと同時に、先程までの違和感は不思議と消え去った。
(特別視?レオ様が、私に?)
にわかには信じられないが、確かにこれまでのレオナルドの行動を考えると思い当たる節はある。そう思うと、なんだか胸が熱くなるのを感じる。
「まあそんなわけだから、これからも仲良くしてやってよ。あんたと出会ってからなんか楽しそうだし」
レオナルドがなぜそのように思ってくれているのかはわからないが、自分のことを見てくれている人がいる。その事実が純粋に嬉しかった。
「願ってもないことです。私も、とても楽しいのです。レオナルド様と過ごす時間が」
いつまでこうして一緒にいられるのかはわからないけれど、先のことを考えるのはやめた。それよりも、今私の側にいてくれるレオナルドとの時間を大切にしたいと思ったから。
私の返答に「それはよかった」と微笑んでニールは続ける。
「着くのは夕方になるだろうから、それまで少し寝てろよ。これでも剣の腕には自信あるし、それに······いや、なんでもない」
そう言いかけて、ニールは口をつぐんだ。少々気にはなるものの、詮索するのも野暮だろう。
「それでは、お言葉に甘えて」
言いかけた言葉には触れず、そう断りを入れた私は目を瞑る。すると連日の疲れからなのか、あっという間に眠りへと落ちていった。
そうして適度に休憩を入れながら、馬車に揺られること十二時間。
どうにか夕暮れまでにはルフラン王国へとたどり着くことができた。
既にレオナルドの乗る馬車は到着していたようで、両側に出迎えのメイドがずらりと並んでいる真ん中で、誰かと話をしている姿が見えた。
「ハンナ」
気付いたレオナルドが私へと声をかけ手招きをする。
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
そう謝ると、レオナルドと話をしていた人物が答える。
「構わんよ。こちらこそ突然呼び立ててしまいすまなかった。我はルフラン王国が国王、アーノルド·スウィフトである。ハンナ·ベイリーよ、長旅ご苦労であった」
なんということだろう。まさか国王直々に出迎えをされるだなんて。私は慌てて淑女の礼で挨拶をする。
「申し遅れました無礼をお許し下さい。ハンナ·ベイリーと申します。この度はお招きいただき誠にありがとうございます」
「ほお······。そなたはまだ幼いというのに素晴らしいことだ。今宵はもう遅い。我が屋敷でゆっくり休むといい」
そう言ってアーノルドはその場をあとにする。心なしか疲れたような表情を浮かべていたような気がするのだが、大丈夫だろうか。
そんなことを考えながらアーノルドの背中を見送っていると、レオナルドが気遣わしげに私へと声をかけてきた。
「ハンナ、疲れたであろう。大丈夫か?」
「いいえ、レオ様がご用意下さった馬車はとても快適でしたし、ニール様にお話相手になっていただいたので、有意義な時間を過ごせました」
レオナルドに心配をかけまいと、私はなるべく明るい声でそう答えた。しかしレオナルドの表情がなぜか曇る。どうしたのだろう、馬車への評価の仕方が何かまずかったのだろうか。
「おいおいそこで俺の名前出すのは勘弁······」
「ニール、それはさぞ楽しい馬車旅だったのだろうな·······?」
「いやいやいや、そもそもお前が一緒の馬車に乗るよう指定してきたんだろうが」
他国へ来たというのに相変わらずな二人に、なんだか見知らぬ土地への不安すら吹き飛ぶようだ。思わず笑みがこぼれた私にレオナルドとニールもつられたように笑い、その後の夕食の席でも終始和やかな時間を過ごすのだった。
* * * * *
その頃とある一室では、真紅のドレスに身を包み、きらびやかな装飾を全身に纏った見目麗しい女性が鏡へと対峙していた。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰かしら?」
『それはあなたです、王妃様』
鏡に映った己の姿をうっとりと見つめながら、何度も何度も鏡に問いかける。
「ええそうよ。私がこの世で一番美しいの。私より美しいものなんて許さない」
そう言って鏡へと指を滑らせると、先程までの美しい女性の姿は消え去り、恐ろしい形相をした魔女の姿が映し出されていた。
「次に馬鹿なことを言ってみなさい。今度こそ消してやるから」
『申し訳ございません、ディーナ様』
真っ赤な爪を立てて、ゆっくりと鏡をなぞる。
「······まあいいわ。それよりも、明日はカイルの妹ちゃんに会えるのよね。私、ずっと楽しみにしていたのよ」
そう呟いた後、血のような赤色をした唇がゆっくりと弧を描いた。
「だってあの子は私のかわいいかわいいお人形さんなんだから」




