閑話 第一王子として生まれて
私はこの国の第一王子、レオナルド·ラードナーという。
第一王子とはいっても、他に兄弟がいるわけではない。体の弱い母上は、初産を最後にそれ以上の子は望めなかったらしい。
周りの者は側室を娶って子を成すよう未だ父上に打診しているが、当の本人がそれを全て拒んでいる。
それもそのはずだ。父上と母上の仲の良さは、見てるこちらが気恥ずかしくなるほどのものなのだから。
従って、将来は父上の跡を継ぎ国王となることが既に決まっているのだ。
正直、面倒な後継者争いなど御免だった私は、それを納得しているし覚悟もできている。
しかし本当に面倒なのはそれからだった。
ただでさえ第一王子という肩書きだけでも寄ってくる連中がいたくらいだ。
それが王位継承権があると分かるや否や、それまで私を子供だとばかにしてきた奴らでさえ媚び諂ってくる。
それに、まだ婚約者が決まっていなかった私に、多くの貴族が自分の娘を紹介してくるようになった。
そして初めて会う令嬢は皆、一言目には固まり、二言目には潤んだ瞳をこちらに向けて、甘い声を出してくるのだ。
今でこそ慣れはしたが、正直うんざりだった。
そんなとき、父上からある令嬢と婚約を結ぶよう申し付けられた。なんでもあの氷の宰相と恐れられているフロイド·ベイリー公爵の娘なのだという。
同じくベイリー公爵の息子であるカイル·ベイリーとは同齢ということもあり、幼い頃から親しい間柄ではあったのだが、カイルに妹がいるというのは初耳だった。
その婚約には無論拒否権など与えられるはずもないが、私にとっても婚約者がいるということは都合がよかった。ベイリー公爵の娘とあれば誰も文句は言うまいし、うんざりだった紹介の話もこれでようやく跡を絶つだろう。
しかし、婚約が結ばれてからしばらくは、いや、初めてその娘と対面する前日までそんな悠長なことを考えていた私は、彼女が湖に落ちたという報告が入ったことで自分の考えを改め直すことになる。
私はこれがただの事故と片付けていい話ではないとすぐに理解した。
今回名が挙がった数名の令嬢その全てに聞き覚えがあったのは、しつこく私との縁談を乞う貴族たちの娘の名であったから。
彼女たちはベイリー公爵の娘に王妃教育が施されているということを知り、妬み嫉みから共謀して事に及んだのだという。
いかに自分の考えが浅はかだったことか。
次期国王という自分の存在が与える影響の大きさを、わかっていたつもりでわかっていなかった。そしてそれ以上に、その国王の隣に立つ王妃という存在に、誰もがぶら下がらんとしている事実を目の当たりにしたのだ。
恐らくベイリー公爵の娘は私との繋がりが消えない限り、これからも陥れられることは数多あるだろう。そんな窮屈な場所に、私より五つも下の幼子を据え置いて本当に良いのだろうか──。
結局考えはまとまらぬまま、翌日彼女との対面に及ぶことになった私は、父上から促される声へと従い謁見の間へと入室する。
目の前には、銀色の髪にアイスブルーの瞳をした美しい少女。ベイリー公爵によく似たその顔を見つめると、少女もまた、こちらを凝視したまま固まっていた。
──ああ、彼女もまたそうなのか。
慣れていたはずの反応に思わず零れそうになる溜め息をぐっと飲み込み、次に訪れるであろう行動に備える。
しかし彼女から聞こえてきたのは、取り乱すような慌てた声であり、謝罪の言葉だったのだ。
思わず拍子抜けした私はつい本音を漏らすも、彼女は気にした素振りも見せずに今度は先程までの様子を一変させ、完璧な淑女の礼で自己紹介をしてのける。
淀みなく凛とした瞳に心地良い澄んだ声、細部まで磨かれた美しい所作に私は一瞬で惹き付けられた。
そしてその姿に興味を引かれたのは私だけではなかったようで、二人で茶を飲むよう父上に勧められる。大方、本来の彼女を見極めるべく設けられた席なのであろうが。
しかし、二人きりになっても一貫した態度をとり続ける彼女は、湖に落ちたことに関してもあくまで己の責として受け止めているようだった。
どうして頼らない──?
柄にもなく焦れる思いに私は事の結末を語る。すると、彼女はどこか切ないような表情を浮かべ、口を閉ざしてしまった。
しかしそんな境遇に置いてしまったのは、紛れもなく私という存在で。
これからも彼女にこんな顔をさせ続けるのか──?
こんな小さな体に一体どれだけのものを背負わせてしまうのだろう。
だったらいっそのこと、遠ざけてしまえばいい。そうすればこのしがらみに彼女が傷つけられることはなくなるのだから。
なのにもう、止まれなかった。どうしてか、この手を二度と放してはいけない、そう思ったのだ。
それなのに彼女は拒もうとしてくるものだから、咄嗟にそれを遮断する。
話題なんてなんでもよかったが、どうしても気になった点をつい大人気なく捲し立ててしまった。
しかしそうして彼女に呼ばれる名はひどく心地よくて、名を呼ぶ彼女がたまらなく愛しくて。
私は彼女を──ハンナをこの手で守り抜くことを、改めて心に誓ったのだった。




