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クライヤー  作者: モグラ
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クライヤー

 僕が病院で目を覚ましたのは、入院から三日後のことだったらしい。母親が大袈裟に涙を流して喜び、医師に礼を言っていた。僕も、生き延びたことに感謝はしていたのだが、どうしても、「心此処に在らず」だった。


あの日から一週間


 唐突に、また唐突に彼女はやって来た。


 退屈して外を眺めていた僕に、看護師が「面会です」と。時計を見ると、その針は十三時を指していて、しかも今日は平日だった。


「英君……」


 扉を開けて現れたのは、あの日と変わらない、僕の想い人だった。


「百鬼さん! 良かった、本当に無事だったんだね!」


 心から安堵して、最後の突っかかりがとれたように、僕は場違いな位に元気な声を出していた。お陰で少し、いや激しく、あばらに痛みが走った。


 彼女は困惑したように、でも、嬉しそうに横たわる僕の元へ歩いて来た。


「学校、どうしたの?」

「……火事の日から、行けてないわ」

「そっか。うん、そういう時もあるよね、仕方ない」


 多分、彼女が切り出そうとしている話は読めていた。だから、努めて気にしていない体を貫こうと決めたのだ。


「あれ、ミサンガ切れちゃった?」

「火事で……、その、これ……」


 彼女は気まずそうに、焦げて焼き切れたミサンガを差し出す。


 まずい。微妙に話題を間違えた。このままだと話がそっちに流れてしまう。


「大丈夫だよ、百鬼さん。ミサンガは切れてナンボ。切れたらお願いが叶うんだからさ! おめでとう!」


 彼女は思いつめたように暗い顔をしたまま、僕の目を見ようとしなかった。不穏な空気が急速に濃くなっていった。


「ごめんなさい、英君」

「ん、百鬼さんがどうして僕に謝るの?」

「……」


 気づいていないふり。それを押し通せば、彼女もそう信じてくれる。


 それを願っていた。でも、


「いいよ、気を遣わなくて。英君を巻き込んでしまったのも、あの日、あなたを三階から投げとばしたのも、全部『鬼』になった本当の私、私よ。もう、見抜いているでしょう?」


 彼女の口から切り出された言葉は、ひどく寂しく響いた。でも、僕はその中身を、大して重く受け止めはしなかった。なんだ、鬼だったのか、あの影は。精々そんな所だ。だって、


「そしてあの日、僕を助けてくれたのも『鬼』の百鬼さん、でしょ。情けなくてごめんね。ありがとう」


 僕は精一杯優しい笑顔をおくってみせた。百鬼さんに、悲しそうな顔を、不安そうな顔を、辛そうな顔を、そんな思いを、僕はどうしてもして欲しくなかった。


 百鬼さんの眼尻から、ツンと何かが零れ落ちた。そして、堰を切ったように、彼女は僕に訴えはじめた。


「私、鬼なんだよ? あんな、恐ろしくて、醜くて、禍々しいものなんだよ?」

「違うよ。百鬼さんは優しい人だ。いや、優しい鬼だ、かな」


 百鬼さんはきっと、鬼である自分に何か負い目を感じているのだ。でも、僕にとって、百鬼さんは、百鬼さんなのだ。


 人でも、鬼でも、大切な大切な友達。


 優しくて、綺麗な目をしていて、ちょっと不思議で魅力的な、僕の大好きな人。それが揺らぐことは無い。


「そんなことない。鬼は、妖怪は人を襲う。見たでしょ、英君を襲った妖怪を。あれと私と同じ妖怪なんだよ!」

「それがどうして百鬼さんも危険な人って繋がるの? そんなこと言ったら、僕も殺人犯と同じ、人間じゃない」


 何かが百鬼さんをずっと縛っている。縛り付けている。きっと、それとずっと戦いながら、百鬼さんは生きてきたのだ。切なそうに訴える百鬼さんを見ていると、どうしようもなく胸が痛んだ。


「……どうして、英君は私を避けないの? 怪物なんかって、私を追い払おうとしないの? おかしいよ。今までそんな人は一人もいなかったのに」

「だって……」


 言いかけたタイミングで、彼女は僕の胸の上に手を置いた。その手はみるみる色を変え、あの日見た、ドス黒い肌に、燃えるような赤い血管が浮き出た『鬼の手』になった。


「私は、もういつでも英君を殺せる。この手には出来る。鬼の私には、なんの造作もないこと。ねぇ、怖いでしょう。私が……私のことが」


 怖かった。ただ、こんなに怯える百鬼さんを、自分の言葉で傷つけてしまわないかだけが、震えるほど怖かった。


 それで、暫く言葉が出なかった。


 沈黙が、やけに乱暴に僕らを包んだ。僕は彼女の、肌と同じ様に血走った眼を見つめていた。


 不意に、胸にかかっていた圧が解けた。恐怖を与えるために、苦しくない程度に、僕の胸を押し込んでいたのだろう。どんなに動揺していても、僕を傷つけようとはしない。


 そんな彼女が僕を殺すなんて、考えられもしない。


 火事に巻き込まれたこと、妖怪を見たこと、そして、想いを寄せる人が鬼だったこと、そんなことがあった後ですら、この有り得ないという予感だけは正しいと、何一つ疑わず信じることが出来た。


 彼女の涙が零れて、僕の手のひらを打った。


 僕は痛みをこらえて、右腕をゆっくり上げた。掌で、百鬼さんの頬をどうにか捕まえる。


「鬼になっても、百鬼さんの瞳、やっぱり綺麗だよ」


 僕は精一杯の優しさを、心からの感謝を、なにより、自分の真っ直ぐな思いを、それらを全部言葉にして伝えるために、ゆっくりと息を吸った。


「だって、僕は、百鬼さんが大好きだから」



 鬼の目に、再び涙が浮かんだ。百鬼さんは、いつもの百鬼さんになっていた。


「 _____、_____ 」


 百鬼さんは何か小声で呟いたようだった。でもそれは、ガラス窓に打ち付けた強風の性で、上手く聞き取れなかった。


 百鬼さんは、切れたミサンガを大事そうに握りしめ、泣き腫らした目で、それでも僕の顔を見続けていた。



 やっぱり唐突に、僕の視界は百鬼さんに奪われた。


 手も使わずに、真っ白な瞼で、温かな涙で。淡い感触が口元に焼け付いて、胸も頭も一杯になってしまった。


 ありがとう。百鬼さんの口元が、確かにそう動くのが見えた。



 差し込んできた夕日に照らされた彼女は、この世もあの世もひっくるめて、一番に可愛らしく、一番に美しい笑顔で泣いていた。

謝謝。


ここまで付き合ってくださり、感謝で一杯です。


ではまたいずれ、お目にかかれること日まで……

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